第2話~なぜなぜ?フォレストの恐怖~
なぜなぜ?フォレスト。
夜になるとどこからともなく「なぜ……なぜ……」と不気味な声が聞こえてくることで有名な森で、その声を聞いた者は頭がおかしくなってしまうという。
声の主は誰なのか。ヒトか、フレンズか、或いはまったく別の何かか――。
その謎を知る者は、まだ誰もいない……。
「じゃあここでちょっと待ってて下さいね。すぐに戻ってきますから」
「わん!」
「勝手にいなくなったりしたら駄目ですよ~」
せっかくだし散歩にでも出かけよう――そう思った矢先のことだった。子犬が忽然と姿を消したのは。
「あれ?」
子犬を家の前で待たせ、リードとハーネスを持って戻ってきたイエイヌは三歩歩いたところで足を止めた。
子犬がどこにもいない。
確かにここで待っているように言ったはずだし、子犬もそれに対して返事をした。その子犬がどこにもいないのだ。
急いで辺りを見回す。子犬がさっきまでいたところには、今はその匂いだけが残り、それがまるで足跡のように森の方へと続いていた。
「あわわわわわわ……。ど、どどどどどうしましょう……」
イエイヌの視線の先に広がるのはなぜなぜ?フォレストと呼ばれる危険な森だ。昨日のビーストの一件といい、あまり立ち入りたいと思える場所ではない。
ほんの少し目を離しただけで大変なことになってしまった――混乱から一歩遅れて凄まじい後悔がやってくる。
だがそんなことを言っている場合ではない。今こうしている間にもあの子はまた一人ぼっちで迷子になっているのだと思うと、息が詰まりそうになる。
それに子犬の足ならまだそう遠くへは行っていないはずだ。この匂いを辿っていけばすぐに見つけられるだろう。
イエイヌは四つん這いになると、鼻を地面に近づけた。そして子犬の残していった手がかりを記憶に、鼻に焼きつけるために何度も息を吸う。
何度も、何度も――。
「くんくん……はぁはぁ……。あぁっ! それにしても子犬ってどうしてこんなにいい香りがするんでしょう! 何というかこう、嗅いだだけで鼻の穴から幸せが拡がっていくような感じがして――」
そこまで言いかけて、はっ、と我に返る。苦笑いを浮かべながら「いけないいけない……。私の心まで迷子になるところでした」と独りごちると、今度こそ森へ向かった。
◇
それから数分後――。
イエイヌは木陰からそっと顔を覗かせながら呟いた。
「あれは何をやってるんでしょう……」
視線の先にいるのは探していた子犬と――二人のフレンズの姿だ。
見たこともないフレンズが、飛びながら、子犬の周りを取り囲むようにしてぐるぐると回っていた。
ひとまず子犬が無事だったことに安堵しつつ、視線をフレンズの方へ戻す。
どちらも真っ黒な身体をしており、二人とも胸元についた特徴的な羽根がキラキラと輝いていた。
片方は黄色に、もう片方は水色に――かと思えば黄緑色に、そして藍色に――動く度にその羽根だけが光を反射させて七色の輝きを放つ。
とても不思議な光景だった。
ミステリアスな雰囲気を纏い、神秘的とすら思えるその二人のフレンズが子犬にゆっくりと語りかける。
「ほら、どうだ犬よ。この驚きの黒さ、お前の鼻よりもずっとずっと黒いぞ」
「ヴゥ~……ワンワン!」
「ほぅ……。この犬、鼻よりも自分の目の方が黒いと言っているぞ」
「やれやれ……。我々の黒さに勝負を挑むとはよほどの世間知らずらしいな。いいだろう――犬、お前の瞳を見せてみろ」
そう言うとその黒いフレンズがふっと子犬の前に降り立ち、いきなり顔を近づける。
お互いの鼻と鼻が触れ合うかどうかくらいのところでしばらく見つめ合ったあと、何故か急に「――ぐっ!?」という声を上げ目を逸らした。
「ど、どうしたカンザシフウチョウ!?」
胸元に黄緑色の羽根を持つカンザシフウチョウ、と呼ばれたフレンズがへなへなとその場に座り込む。
心配したもう一方のフレンズも飛ぶのを止めて急いでカンザシフウチョウの元へ駆け寄る。そしてその肩をぎゅっと抱き寄せた。
「大丈夫か?」
「お、おのれ……。お前……中々やるじゃないか」
「お、おい犬! お前カンザシフウチョウに一体何をした!?」
「わぅ~ん?」
「い、いいんだカタカケフウチョウ……! 所詮私ではこの子犬の可愛さになど勝てるわけがなかったのだ……」
「は、はぁ……?」
カタカケフウチョウ、と呼ばれたフレンズが首を傾げる。胸元の青い羽根がキラッと光って、また水色に変わった。
「おのれ……こうなったら私がカンザシフウチョウの仇を……!」
「あ、あの~、お取り込み中のところすみませんがちょっといいですか」
一連の流れを眺めていたイエイヌがようやく木陰から姿を現す。その場にいた全員の視線がイエイヌの元へ集まった。
「何だお前は。悪いが私はこれからこの犬と……ってあっ!? おい犬! どこへ行く!?」
「わん! わんわんわんわーん!!」
「おぉ~よ~しよしよしよしよし。駄目じゃないですか勝手にいなくなったりしたら~心配したんですよぉ」
「くぅ~ん」
子犬はイエイヌの顔を見るや否や、猛スピードで駆け寄り顔をペロペロと舐めてきた。イエイヌもそれに応えるように顔を擦り寄せる。
子犬の甘い、お日さまを一身に受けた匂いが鼻腔いっぱいに広がり、イエイヌの心を満たしていく。
何事もなく、無事に見つかって本当によかった。その安心感を噛みしめながら深呼吸する。
何度も、何度も――。
何度も何度も何度も何度も――。
それを怪訝そうに眺めていたフウチョウの二人が、やがて痺れを切らしたように「おい」と声をかけてきた。
「お前、この犬の飼い主か?」
最初にそう尋ねてきたのはカンザシフウチョウだった。
先程まで子犬に自慢していたその羽根の黒さは、間近で見ると予想以上に威圧感があり、思わず気圧されそうになる。
今まで見てきたどんなものよりも暗く、黒く、一度そこに手を伸ばせば飲み込まれてしまうのではないかという恐怖すら感じるほどだ。
イエイヌは少し困りながら答えた。
「あ、えーと飼い主というか飼い主が見つかるまでの飼い主代理というか……」
「どうしてそんなに歯切れの悪い答え方をするのだ?」
今度は横にいたカタカケフウチョウが尋ねる。
こちらも見事なまでの黒い羽根を持っており、薄暗い森の中で木漏れ日を浴びているにもかかわらず、まったくその身体の色が変化していない。
光を吸収しているのだ、と気づいた。
全ての明るさを飲み込んでしまう本物の黒――きっと夜に出会ったとしても気づかないだろうなと思う。いや、むしろ夜の闇にすら紛れることができないかもしれない。
さて、この子との関係をどう答えようか、とイエイヌは思案した。
言ってしまえばイエイヌだってこの子犬と出会ったのはつい先程のことだ。素性を知っているわけでもないし、むしろ知らないことの方が圧倒的に多い。
ひとまずこの子を見つけて相手をしてくれたお礼を言おうと「あなた方がこの子を見つけてくれたんですよね。どうもありがとうござ――」と頭を下げかけた、その時だった。
「なぜそう言い切れる?」という問いがカンザシフウチョウから投げかけられた。
「えっ?」
驚いて言葉を止める。
一瞬何のことを聞かれているのかわからなかった。
少々面食らいながらも「だってこの子と一緒にいたから……」と答える。
「ではなぜこの犬と我々が一緒にいただけで見つけたことになるのだ?」
「えぇっと……じゃあ見つけてくれたわけじゃないってことですか?」
「なぜそうなる」
聞き方が悪かったのか、少しムッとした表情でカンザシフウチョウが言った。
「すみません……」と謝ると、今度はそれにも「どうして謝る?」と返される。
さすがにちょっと居心地が悪くなってきたイエイヌは、話題を変えようと「あの……お二人はここで何を?」と聞いた。
「どうしてそんなことを聞く?」
「それを聞いたところでどうなる」
なぜ、なぜ、どうして――。
こちらが質問しているのに、返ってくるのは答えではなく新しい質問。そしてさっきまでの問いに対して答えが返ってくることはなく、真実はまた新たな謎に埋もれてゆく――。これではQ&AではなくQ&Qである。
質問を質問で返されるのがこんなに辛いとは思わなかったイエイヌは、段々頭が混乱してきて、自分でも今考えていることがわからなくなってしまった。
そんなイエイヌの頬を涙が一粒、ぽろりと零れ落ちる。あまりにも突然の出来事に、その場にいた全員が驚きで目を見開いた。
「お、おい! どうした!? なぜ泣くのだ!?」
「何か変なものでも食べたのか!? ――はっ!? まさか犬、お前がまた何かしたのか!?」
「わうっ!?」
もう何もかもがわからなくなって「だっでぇ゛……あ゛な゛だだち゛がぁ……」と言葉にならない言葉を洩らす。
頭の中ではまだ「なぜ? なぜ? なぜなぜ どうして?」という呪文が、リズミカルに繰り返し流れている。まるで壊れたラジカセのように、同じフレーズだけを延々と再生し続けられて、もう頭がどうにかなりそうだった。
泣くつもりなんかなかった。
ただほんの少し、洗脳されかけておかしくなっただけだ。今日はもうさっさと帰って、この子と寝て、朝になっていればここであったことなんて全て忘れてしまう。大丈夫だ、私は正気に戻った――そう自分に言い聞かせる。
しかしフウチョウの二人が声を揃えて言った「なぜ『どうして』そこで我々の名前が出るのだ?」という言葉を聞いた瞬間、ついにイエイヌは叫び声を上げた。
「うわああああぁぁぁん!! もうあなたたちには子犬ちゃんと遊ばせてあげませんからあああぁぁぁ!!」
子犬を抱き上げ、全速力でその場から逃げ出す。
フウチョウの二人はまだ何か言いたげな様子だったが、これ以上この二人の声を聞くのは危険だと本能で察知した。
走りながら、思い出す。
なぜなぜ?フォレスト。
夜になるとどこからともなく「なぜ……なぜ……」と不気味な声が聞こえてくることで有名な森で、その声を聞いた者は頭がおかしくなってしまうという。
あの話は本当だったのだ。
その正体はカンザシフウチョウとカタカケフウチョウという二人のフレンズの仕業で、宇宙人でも、壊れたラジカセでも、ましてやヒトでもなかった。
そのことについてはちょっと残念だったけれど、夜でもないのにこんな目に遭ってしまった時点で、噂話なんていうものは所詮そんなものだ、と思ってしまう。
そして謎は、謎のままにしておいた方がいい、ということも――。
無論その日一日「なぜ? なぜ? なぜなぜ どうして?」というフレーズが頭から抜けることはなかった。
◇
「行ってしまったか……」
逃げるように走り去るイエイヌの後ろ姿を眺めながら、カンザシフウチョウが残念そうに呟いた。
「あの犬、カンザシフウチョウを負かすとは何者だ……?」
「別に負けたわけではないぞ。ただほんの少し、その可愛さにくらっときただけだ」
表情を崩さずにそう言ったが、それがただの強がりであることをカタカケフウチョウは知っている。手に取るようにわかる。
カタカケフウチョウがくすりと笑った。「なぜ笑う」という問いを「なぜだと思う?」と問いで返して、「それより」と続けた。
「どうしてあいつに本当の飼い主のことを教えてやらなかったんだ?」
「それはお互い様だろう」
「そうだな。――まぁいずれその時が来ればわかることだ。だがそれがいつ訪れるのかは誰にもわからない。次の満月の夜か、またその次の満月の夜か、或いはもっと先か――」
「ではその時が来る前に――」
二人が手を繋いで言った。
「もう一度遊びに行くか」
その声が、綺麗に揃う。
今日もまた、森に、二人だけのメロディがこだまする。
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