イエイヌちゃんとシバイヌちゃん
こんぶ煮たらこ
第1話~あなたのおうちはどこですか~
キュルルたちと別れた次の日の朝、イエイヌは家の前にいる何者かの気配を感じて目を覚ました。
「もしかして戻ってきてくれたんですかー!? わぁ会いたかったですキュルルさ――」
はやる気持ちを抑えきれずに勢いよく扉を開ける。
しかし視線の先にキュルルの姿はなく、代わりに下から「わん!」という元気な声が返ってきた。
「――え?」
目線を落とす。
はっはっはっはっという軽快な呼吸、だらしなく垂らした舌、くるんと巻かれた栗色の尻尾――そこにいたのは犬だった。
「うわぁ~! 可愛いですねぇ! あなたはどこから来たんですか~?」
「わんわん!」
「えぇ? 私ですか? 私はイエイヌって言います。これでもあなたと同じイヌなんですよ」
「くぅん?」
「そうは見えない? まぁ厳密にはイエイヌのフレンズなのでそう思われても仕方ないかもですね」
それに自分はいわゆる雑種というものだ。この子は恐らく柴犬だろう。顔つきにまだあどけなさが残るものの、利発そうに澄んだ瞳はそれだけで純血の気高さを感じる。
それにしても驚いた。まさかこんな近くにまだ犬が存在していたなんて。それにここまで人馴れしているのも珍しい。まだ子どもだからだろうか。
そもそも柴犬は誰彼構わず愛想を振りまくようなことはしない。どちらかというと飼い主と認めた者にしか懐かない狼のような習性がある。
そこまで考えた時、イエイヌの胸がざわり、と騒いだ。
「そう言えばあなた、ご主人様はどうしたんですか? まさかここまで一人で来たわけじゃないですよね?」
イエイヌが子犬をじっと見る。首輪やハーネスは付けられていないが、それでも毛並みを見ればこの子が誰かに大事に育てられてきたことは明白だ。
しかしイエイヌの問いに子犬は答えようとせず、項垂れたまま黙ってしまう。視線を合わせずにこちらの様子を窺う仕草がイエイヌの嫌な予感を更に増幅させる。
「――ひょっとして迷子?」
その言葉を聞いた子犬の身体が一瞬だけビクッ、と硬直する。そしてただ一言、「くぅん……」と弱々しく鼻を鳴らした。
やはりそうだった。
イエイヌの目に見る見るうちに涙が浮かんでいく。そして堰を切ったようにわっ、と大きな声を上げて子犬に抱きついた。
「うわああああぁぁぁん!! そんな小さな身体でご主人様とはぐれてたった一人ぼっちなんて辛過ぎますよおおおぉぉぉ!! 寂しかったでしょう怖かったでしょう心細かったでしょう!? ここまでよく頑張りましたねぇ」
涙が止まらなかった。その涙が抱き寄せた子犬の頬を伝い、首筋に染み込み、色を濃くしていく。
子犬は呆気にとられたように目を見開き、しかし決して嫌がる素振りも見せずただ黙ってイエイヌにその身を預けていた。
ひとしきり泣いたところでイエイヌが決心したように言った。
「わかりました! 私があなたのご主人になりましょう!」
「わんっ!?」
「ただし! あなたの本当のご主人様が見つかるまでです。それまでの間、私が一緒にいてあげます」
子犬の目を見ながらそう宣言する。
自分にこの子のご主人様が務まるかどうかはわからない。この子のご主人様がどういう人物で、どんな生活を送ってきたのかもわからない。この広大なパークからたった一人、本当のご主人様を探すのだって容易なことではない。
そして何より自分にはここでお留守番を続けるという使命がある。キュルルの時もそうだったが、ここで待ちながら誰かを探すというのは非常に根気のいることだ。一体どれだけの時間がかかるのか検討もつかない。
――ただそれでも、側にいたいと思った。側にいて、少しでもこの子の役に立ちたいと思った。本当のご主人様じゃなくてもいい。この子にとっての一人の時間が少しでも減らせるのならそれはとても幸せなことだ。
この子がここまでの道のりをたった一人で歩いてきた姿を想像すると胸が張り裂けそうになった。きっと心の中では不安で押し潰されそうだったに違いない。
ご主人様と離れ離れになってしまった犬の気持ちなんて自分が一番よく理解している。それをこの子はこの小さな身体で受け止めてここまで来たのだ。
そんなことを考えていたらまた涙が溢れてきて、つい子犬を抱きしめる力が強くなる。そして子犬の頭を優しく撫でながら囁いた。
「だからもう、あなたは一人ぼっちじゃありませんよ」
「きゃんきゃんきゃんきゃん!!」
「うわっ!? ちょっと、くすぐったいですよぉ」
イエイヌの頬にぺろっと一筋、生あたたかい感触が伝わる。子犬の舌が右の頬、鼻の頭、額と次々に舐め回していく。
そして涙でぐしゃぐしゃになったイエイヌの顔はあっという間に涎まみれになってしまった。
「うへぇ……。これじゃ涙か涎かわかりませんね」
「ハッハッハッハッ」
「もうっ! いいですか。これからは私があなたのご主人様代理なんですから、ちゃんと言うことは聞いて下さいね」
「くぅん?」
「ゔっ……駄目ですよそんな目で見たって! これはあなたの為でもあるんですから……ってあぁ!? だからそんなに舐めないで下さいってば~!」
こうして一人と一匹、同じイエイヌ同士の生活が始まった。
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