第12話 危難再び
昨日の大雨を受けて、ドオーンドオーンと大声を上げ川は流れる。
いつもは、
小さめの馬に乗った清三郎が、岸辺を覗き込みながらポクポクと下流へ向かう。
増水が心配で家を出てきた訳ではない。父親と云い争って飛び出しただけだ。
それでも音を立てる流れが心配でなくもない。
川下を見はるかす事は出来ない。
この川は真っ直ぐ流れている訳ではない。「お前根性悪いぜ」と云いたいほどに蛇行している。
この川原で負傷したのは、もう五年も前だ。三月ほど寝込み、左足を幾らか引き摺る後遺症を残した。
本来なら、武芸に励む年頃の負傷に父母は落胆したが、清三郎の心はさほどに挫けてはいず、主に似て成長しきれない小馬に乗って颯爽と村を走り抜けた。
視界が途切れたところには、雑木が川中に頭を垂れて震えている。更に川辺をたどると雑木の向うに赤い物が動いた。
「天乎、天乎ではないか」
母と云い争い、裏から家を抜け出した天乎を呼ぶ声がする。久しぶりに会う幼馴染だ。前髪を落とし元服をすませた清三郎に会うのは、初めてだ。
とっさに誰だか分からなかった天乎は目を見張り、馬上に背筋を伸ばした男振りに驚かされる。
「…… 清三郎…… どの」
「おう、おれ、おれ、覚えていてくれたか。元気にしていたか」
天乎は、小さく頷き、面を伏せた。我知らず大きく育った鼻を隠したのだ。
辺りを窺うようにしながら、天乎の傍へ寄ってきた清三郎は、笑顔を溢れさせた。
「ちょっと親父どのと喧嘩してな、逃げ出してきたんだ」
「そう、天乎も母と云い争い、家を出てきたところ、で、す」
天乎の言葉はぎこちない。
清三郎の乗る馬は、駿馬と云うには元気がないが、性格の良さそうな優しい目で天乎を見つめる。
「ハヤ、少し散歩をしような」
清三郎は、優しく馬に話しかけると天乎を見下ろした。
「紹介しよう。おれの馬、ハヤっていうんだ。身体が小さい上に気も小さくって、何にでも驚く奴だから、みんなは駄馬だというけど、おれはこいつが好きなんだ」
天乎は、驚かれたらどうしようと思いつつそっとハヤに近づいた。ハヤは少し首を振ると天乎の必死に撫でつけた茶髪に顔を寄せた。
「おう、ハヤ、お前は天乎が好きか。そうだよな、天乎は色白の美しい女子じゃろう。少し天乎を乗せて散歩に行こう」
天乎は驚いて清三郎とハヤのやり取りを聞いている。今日の天乎は、農作業が出来るほどに裾がすぼまった袴をはいている。ちょくちょく家出する天乎だが、今日ばかりは、もう少し遠くまで家出しようと思って袴をはいてきたのだ。
清三郎は、そっと優雅に馬を下りた。
「さあ、天乎、乗って。おれが手綱を取るから心配いらないよ。ハヤは、名前に似合わず、速く走ることもないからさ」
天乎は、顔を小さく振る。大きな鼻は、それなりに動く。
「そのぉー、わたしが歩きます」
「おれの足を心配してくれているのか、ありがとう。でも少し散歩するだけだから、大丈夫さ」
天乎が、ハヤの顔を伺う。
ハヤはやさしい目を天乎に向けて、鼻先を上下してから、かがむ様に頭部を落とした。
清三郎に助けられて、ハヤの首ったまにしがみ付いた。
笑顔の清三郎が、ゆったりと歩き出す。
幼児の頃から背の高い天乎だから、いつも清三郎より高い風を感じていたが、馬の背に乗ると更に豊かな風が流れ、以前、空を飛んだ夢を見た時のような爽やかな楽しさに満たされた。
広がる景色を楽しみながら、のんびりと進む天乎と清三郎の気持ちが静かに寄り添う。昨日の怒りを内包しながら流れる川を左手に見て、下流に進む。
そこへ馬蹄の音を響かせて、騎馬の一団が近づいて来た。振り向いた清三郎は、一団をやり過ごそうと道を外れて縄手にハヤの鼻先を向けた。
「ウォー」
近づく騎馬団から罵声が上がり、笑い声が渦巻く。
先頭の二、三馬がハヤの尻を過ぎた辺りで綱が引かれて、ドウドウと足踏みした。六頭の騎馬連れが、佇む清三郎を取り囲む形で馬蹄を止めた。
「ほう、これがあの有名な天乎どのか、聞きしに勝る醜女面じゃのう」
ワハハハハと冷やかしの笑いが響き渡る。
「そのほうら、無礼であろう。馬を下りて天乎どのに謝れ」
「清三郎、お前はまだ醜女の天乎と遊んでいるのか? いい加減にしろ。もう子供でもあるまいに」
まだ少年の面影を残す若い男がニヤニヤしながら馬の綱が引き絞り、棹立ちする。
「なんだ留、お前か。家を出て野伏せりの一団に入ったと聞いていたが…… こいつらか」
五年前、清三郎に傷を負わせた少年らの中にいた百姓の倅、留蔵だ。あの後、親父の思惑か村から姿を消した。
「小僧、云わせておけば野伏せりだと。我らは、志を一つにする軍団であるぞ。その無礼な物言い許さぬ。そこへなおれ、手打ちに致す」
「ギャハハハハハァ、おお、お頭の命令だ。なおれなおれ」
「これ留蔵、武家に向かってその態度はいかん。ここは別の手立てで許そうではないか」
「はぁ、別のと云いますと、どんな?」
「望みとあらば、教えてしんぜよう。それはな、グフフフフ、それは金目の物をいただくことよ」
ワハハハハという高笑いに包まれて、清三郎はハヤの尻をビシリと叩いた。
ハヤは、ヒンと啼き、走り出した。田圃の畦道だから本道よりも柔らかく走りにくいが、ハヤは驚いた拍子にのってグングンとその速度を増していく。
驚いた天乎は、ハヤの背にしがみ付く。速くは走れないと云われたハヤだが、臆病者ハヤの逃げ足は思いのほか速い。
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