第3話 天真天乎

 四郎は、前庭で豆を選別している。虫食いの豆をはじき出し、割れ豆も取り除く。どこから見ても農夫の風情だが、四郎は立派な武士である。

 戦があれば、槍を担いで出陣し、なければ鍬を持って畑を耕した。四郎に限らず、この頃の武士は、一所懸命に土を耕し土に生きた。戦うのは、土地を守るためだ。

 四郎の出自は、武蔵国は比企郡の豪族に従う郎党の四男であったが、親兄弟を戦で亡くし、一人になった幼い四郎を迎えに来る者はいなかった。

 その頃は非御家人ではあるが、豊かな田畑を持っていた水穂の父親である稲田越衛門の情けにすがり、うまやの隅でわらを被って成長した。馬は人間より大切に扱われた。主人の愛情は飼い馬に惜しげなく、そのおこぼれを頂いて育ったとも云える。

 四郎は武蔵武者の子にしては、撫肩で背もさほどに高くなかった。農作業で日に焼かれ、色こそ黒かったが、幾らか下がり気味の目に鼻筋の通った優男で育ちの割には穏やかな表情をしていた。

 こたびは、膨れた腹を抱えた水穂が、自ら四郎を夫として選びとったのだ。水穂の遠目にも、成長した四郎は映っていたのであろう。

 現在の自分の境遇を考えれば、夫として父として四郎が適任と思い至ったのかもしれない。

 水穂の父親には、娘と孫を同時に押しつける男は、他に幾らでもいたろうが娘の希望を入れて、忘れ去っていた四郎に郎党の身分を与え嫁がせたのだ。


「ワァーイ、天乎、てんこ、天狗の子」

 裏の畑の辺りで、子供たちが騒いでいる。天乎の声も混じっているようだ。

 武士の娘らしく、穂那美という気高く立派な名を祖父から頂戴したが、歩き出し屋敷の外へ遊びに出れば、誰もが穂那美などとは呼ばず、「天乎」と呼んだ。

 本人が穂那美の名を覚えないうちから「天乎」と呼ばれ、自分を「天乎」と思っているようだ。


 時おかずして、大きな泣き声が響き渡る。

(まただよ)

 また天乎の乱暴が始まったと四郎は軽く腰を浮かせたが、その手はまだ豆をいらっている。四郎は、豆をいらうのが好きであった。昔、腹が減って耐えられない時、はじき出したクズ豆を口に含み奥歯で噛み締めた。青臭い匂いも空きっ腹にはご馳走だった。

「仕方のない奴らだ」

 一人ごち、腰の鈍痛に手をあてながら屋敷の裏へと回っていく。

「こらこら、仲良く遊ばねばいかん」

 四郎の穏やかな声に、泣き声が走ってくる。

「しろさま、しろさま。天乎を叱って下され」

 泣き泣き訴えるのは、遥かに離れた田畑の先に小さく見える御家人屋敷の子清三郎だ。四郎は、笑いをかみ殺し、天乎を手招きする。

 数えで六歳になった天乎は、同い年の誰よりも大きく、一歳上の清三郎よりも背が高い。

「とと、とと。清三郎が天乎をからかった」

 うん、うんと頷きながら、四郎は泥だらけの天乎の背に手を滑らせ、トントンとその尻を叩く。

 四郎の目は清三郎の左目に注がれている。その目は見る見る赤味を帯び、四郎のため息を引き出した。

「天乎、清三郎どのに謝りなされ」

 今では、父親の四郎も日常の中では娘を「天乎」と呼んだ。

 可愛いのだ。

「天乎」と呼べば、満面の笑みで両手を広げむしゃぶりついてくる。

「いやじゃ、いやじゃ。天乎は悪くない。清三郎が悪いのじゃ」

「天乎は乱暴じゃ、天乎は女子ではない。天狗の子じゃ」

 清三郎は、すすり上げながらも叫び、四郎の後ろに隠れる。

 天乎は両手を腰に当てて、色素の薄い大きめの唇を突き出し、睨みつけている。

 この頃になると誰の目にも、天乎の異相は明らかだ。その顔の中央に居座る鼻ももちろんだが、ぬけるような白い肌は神がかりで、周りの子らの中に混じってもひと際目立つ。赤茶けた髪は縮れ天乎の周りでフワフワ遊ぶ。

「天乎、家に帰りなさい。帰って、かかさまに着替えをさせてもらえ。ととは、清三郎を家に送っていく故な」

 手を出せば、素直に握る清三郎の手を引き、少年の家にゆるゆる向った。

 田畑を渡る風が冷たさを増してきた。その道すがら、清三郎に問おてみる。

「清三郎どの、もう天乎の家に遊びにくるのは止めてはいかがか。いつも喧嘩をして泣いて帰るのはいやであろう」

 天乎の父親の言葉に、首を傾け、鼻をすすり上げた清三郎は「うーん」とうなり、やがて「でもー」鼻すすり、「やっぱり天乎と遊ぶ」と恥ずかし気に小さく呟く。

「殴られてもか?」

「うん、天乎と遊ぶのが一番おもしろい」

 ちょっと元気な声が戻った。

「ほー、そうか。何がそんなにおもしろいのかなぁ‥‥‥」

「うーん、分からんけど。天乎はにょろにょろ蛇も退治してくれるし、おれを守ってくれることもあるから‥‥‥」

 四郎は笑いを咬み潰し、やれやれとため息を飲み込む。

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