第6話 良子さんの生い立ち

鉄板の育子さんのとこに、育子さんが生んだ男の子が広島から一人で出て来て、その亭主が後を追って連れ戻しにやってきた。尾道時代母親に頭上がらず、育子さんに味方しなかった不甲斐ない兄を、妹の寛子さんが責めて、兄妹の大喧嘩になって、亭主は子供を育子さんに戻すことになった。

 僕はこの話に感動して、いっぺんに、尾道弁の寛子さんが好きになって、寛子さんの誕生日にお小遣いで、誕生日ケーキを持って「鉄板」のシャッターを叩いた。

 

 お風呂上がりか頭にインド人みたいにタオルを巻いて、寛子さんが降りてきて「なんやの、勝ちゃん」といった。

「今日寛子ちゃんの誕生日やろ、一緒にハッピーバースデーしょうと思って」「ワー、嬉しい!うちの誕生日覚えていてくれたん」手を持って2階に通してくれて、紅茶を入れてくれて、暗くしてロウソクをつけて、ハッピーバースデーを歌って、19本のロウソクを消して、真っ暗になって、僕は両手で顔を挟まれ、ブチューとキスされた。これが初キッスの体験だったけど、あとのケーキの方がなんぼかおいしかった。


 駅裏の空き地の跡に大手のスーパーが進出してきて、ショッピングセンターができて、藤の喫茶店がそこにパーラーの店を出して、マスターがそちらの店に移って、喫茶・藤は私で持っているとママは思っていたが、マスターの入れない珈琲に客はなく、珈琲フアンはショッピングセンターのマスターの方にほとんど行ってしまった。自尊心が傷付けられて、夫婦仲が険悪になったが、元木酒店の定さんが、中に入って「あんたら、アホか。マスターが菊水の店に戻り、ママがパーラーの方に行く、そんな知恵も湧かんのか」と一喝されて一件落着。

 センターのパーラはお子様連れやヤングの客で混み、イタリア人のような男前ウエイターと楽しげにキビキビと働くママは宝塚ジェンヌに見えた。一方商店街に戻ったマスターのもとにはマスターの入れた珈琲をこよなく愛する客が「やっぱりここがいい」と戻った。


 ああーそれよりも、またまた、タムラに大事件。初代、母和子が現れたのだ。

良子さんと、鉄子さんはお互いを認め合っていたが、向かい同士、短い挨拶しか交わさない。その鉄子さんが、良子さんと長話。確か「和子」と聞こえたので、後で良子さんに訊いた。最初は躊躇していたが、思い切ったのだろうー、鉄子さんの話したことを言ってくれた。父が初代和子とミナミで一緒に歩いているのを見たというのだ。鉄子さんが言うのだから見まちがいはないだろうと、良子さんは言った。

 やっと、鉄子さんの件が終わったと思ったら、次なる心配が増えたのだ。その晩、晩酌をしながら、良子さんは自分の生い立ちを話し出した。


***


「私が住み込みで前いた、お店はそれは酷かった。同じ年の女の子がいて、その子が高校に行き、大学に行くのは、それは何とも思わなかった。家庭の経済力の差は致し方ないし、仮になくても、本を読むのは好きだったけどあんまり勉強は好きでなかった。

 その子の下着を洗うのも、別段家族の物を洗っているのだと思えばどうってことなかった。みなで揃って食事をするとき、家族と私のおかずに差があった。別にそれを絶対食べたいと思わなくても、食べ物の差は心に堪えた。夜も遅くまで仕事を言いつけられ、テレビも殆ど見せてもらえなかった。私は北海道の礼文島というとこで育った。利尻昆布が有名で、父は漁師だった。中学校を出ると大阪に嫁いだおばさんを頼って、大阪に来た。見るもの全てが驚きの連続だった。道の下を走る電車、地下鉄がどうしても想像出来なかった。田舎で地下を走るのはモグラだけだ。エレベーターだの、エスカレータだの、エスカレータの前では怖くて最初の1歩が中々進められなかった。1年程して、ようやっと大阪にもなれ、大阪弁の片言も話せるようになった。おばさんは、婦人服のお店の住み込み店員の口を見つけて来てくれた。築港のほうの、賑やかな商店街の中にあった。おばさんの紹介だから、4年我慢した。でも辛抱出来ないことがあって、おばさんに言った。おばさんは何も言わず、おばさんの家におらしてくれた。半年ほどして、おばさんがよく行く田辺本通り商店街で「タムラ」が住み込みの女店員を募集していると聞いた。大将も女将さんも従業員には優しい人だと、商店主らも言っているからどうか?と聞かれた。何時までもおばさんとこでお世話にもなっていられないし、本通り商店街なら、私もおばさんのお使いでよく行ったし、一度は「タムラ」で服も買ったことがある。女店員さん(鉄子さん)の接客も素晴らしく、二つ返事でオッケーした。

 入って3日目だったか、表のウインドウを椅子に乗って拭いていたら、椅子が倒れて、私は後ろに飛ばされた。その椅子がガラスに当たって大きなウインドウが「ガシャーン!」と大きな音がして壊れた。音を聞きつけて奥にいた大将(父のこと)が血相変えて飛んで出てきて、私はてっきり叱られるものやと思った。でも、お父さんの一声は『良子さん、怪我はなかったか?!』だった。

 私は、〈ここには居れる〉とそのとき、思ったのや!勝治ビールが切れたから、元木の酒店閉まっていても開けてもうて、2本ほどこうてきてんか!」北海道言葉や大阪弁や今日はチャンポン弁だった。


 あんなに、メーター上げて大丈夫かいなーと心配した。シャッターが開いて、定さんが出てきたので、多少の顛末を話した。「最後まで、黙って話は聞くんやで!明日学校の帰り寄り」と言ってくれた。

 かなり、ろれつが回らなくなった良子さんの話を要約すると、父は優しい人なのだ。特に女性には。和子さんがいなくなって、2番目がいなくなって、寂しそうだった父に鉄子さんは同情した。ともかくこの一緒の食事が良くないと言うのだ。鉄子さんが藤井寺に行って、父と二人っきりで食事をすることが多くなって、おかしくなってしまって、鉄子さんが出ていった。「お父さんは、優しいひとや、せやから和子さんのことが心配や・・むにゃ、むにゃ」

 僕は毛布を押入れから出して、背中にかけた。「父は優しい人なんぞではなく、スケベ-で優柔不断なだけや」と思った。


***


 良子さんは、和子さんを知らない。初代は気配りが出来て、愛想が良くて、綺麗で、どうして、多村の潔っさんがあんな人を嫁さんに出来たのか、商店街の7不思議の一つにされていた。父は悪いが背は低い。僕はその悪いDNAを受け継いて前から2番目なのだ。さして男前ではない。僕は初代母に似てよかったと思っている。自分では結構気前がいいように言うが、結構ケチだ。取り柄と云えば、良子さんの言う「女に、やさしい」のと、あまり細かいことを言わないとこぐらいだ。酒も、バクチもしない。煙草は吸っていたが、やめると言ったら、買い置きのタバコがあっても、スパーと止めた。

 外に出るときは何時も買い置きのタバコを1箱もって出た。封は切られていない。その訳を訊くとこうだ「相手が吸い出すとつい欲しくなるものだ。つい1本下さいになる。これを、貰いタバコをすると云う。持っていると、俺はタバコを持っている。封を切らないだけだと思える。そうして、貰いタバコをふせいだ」ということだ。結構意思は強いのだ。

 良子さんは鉄子さんより、初代母のことは散々聞かされている。人は、聞かされているが、見たことのないものには、必要以上のイマジネーションを抱く。良子さんは見えない敵に怯えた。豊満だった身体もどことなく、スリムになり、笑顔がよく似合う顔に憂いを含むようになった。良子さんは、気の強いとこと、変に弱いとこがある。父に問いただしたり、追求したりはしなかった。一人で悩む良子さんを見ていると、僕は切なくて、父を恨んだ。


 良子さんの晩酌のビールの本数は増え、本店に帰る回数も減った。ある日「久しぶりに、大きな湯船に浸かりたい。銭湯にいくわ」と云った時には、僕は鉄子さんの例を思い出して、心配したが、「勝治、ソフトクリーム買ってきたで、食べよか」と帰って来てくれたときは、しがみついて泣いた。何と俺は女に弱いのだろう、父と何ら変わらんと思った。「おかしな子やなぁー、溶けるからハヨ食べよ」と良子さんは僕の頭を撫でた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る