第5話 良子さんの読書

この辺で良子さんと僕の生活を話してみる。お前は本当に小学校か、チョトませてぇへんか?「愛のひとしずく」なんて、小学校5年生の云うセリフやないぜ。母が4人も変われば多少はませもしましょう、大人の世界も同級生より知って当たり前、グレたりせなんだのは、継母がそれなりに良かったせいだと思っている。

 良子さんは中学校しか出ていないが読書家だ。中学校しか出ていないから読書家ともいえる。テレビより本を読んでいる方が多いかもしれない。良子さんは本を読むときは必ず卓袱台の上に何か食べるものを置いて読む。読みながら食べ、食べては読む。

 読み疲れたら、立ってダイエット体操を始める。体操する時もせんべいを加えたままだ。よく太らず豊満の範囲内に抑えられていることと思う。


 良子さんの読書は二通りある。感動した本は必ず「これ読み」と渡す場合と、僕が階段上がってくると座布団の下に慌てて隠す場合である。僕はこの隠した方の本を専ら読書している。隠し場所は悪いけど知っている。「これ読み」の方は題だけ見て2、3日で読まずに返すのがほとんどだ。「どやった?」「よかった」で終わる。

 かなりの乱読家だ。鉛筆で線を引いているのもあれば、明らかに途中でほっぽり出したものもある。結構雑学、物知りだ。


 料理は店が閉まってからすることもあるが、結構手際が良い。これは鉄子さんも同じだった。皿盛りなどはしない。煮炊き物は鍋のまま、ドンと出てくる。洗濯は天気のいい日は毎日、前の日の下着を付けていると無理やり剥がされる。掃除は良子さんの部屋以外は、階段、風呂場、台所含めて僕の当番である。

 良子さんは定休日の前の晩本店に帰って、翌々日の朝開店までに帰って来る。妻の勤めだ。勝治も一緒に帰ろうと最初言ったけど「鉄子さんの時も帰らなんだ」と言ったら納得した。別に父の顔を見なければならないお勤めは僕にはない。

 本店の2階は何しろ襖隔てての小部屋二間だ、遠慮も入る。それより、藤井寺の2階を独占した快感がなんとも言えない。勿論、良子さんの部屋の探検は欠かさない。こんな時、〈例の隠し本〉を心置きなく読む。わからないとこも多いが、結構探求心を養ってくれる。中には感動本もある。涙なしでは読めない。なんでこれが隠し本なのかと思ってしまう。井上光晴さんの本もこうして読んだ。

 良子さんは清潔好きで、僕のお風呂での洗い方が荒っぽいと、一緒に入れられて、痛いほど擦られることがある。狭いお風呂では豊満なお乳が僕の身体をくすぐる。

 やっぱり、一人でゆっくりつかる方がいい。


***


 最初、鉄子さんと二人でこの藤井寺にやってきた。「お母さんだけやったら、無用心やろ。お前が守ってやれ」と父は云ったが、どうも体良く放り出されたような寂しさを味わったものだが、慣れたら父の目を気にしなくってよい。こっちの方の生活が気に入ってしまった。

 鉄子さんのええとこは、父の前でも、僕と二人の時とでも、全然態度が変わらないことだった。良子さんは父がいる時はいくぶんいい母ぶりをする。裏表が激しかったのが2代目だ。僕はこの人の名前が忘れる程、短期間であったことに感謝している。

 鉄子さんは背筋がピーンと張った人で、僕は嫌いではなかった。気分の変わりの激しさを除いては…。でも、良子さんは、鉄子さんをよく言わない。「陰険な女で、逆恨みが激しい」らしい。二人の間に何かがあった証拠だ。


 鉄子さんも、定休日前に本店には帰っていたが、何時しか帰らなくなった。それから半年、久しぶりに銭湯に行くと行ったまま、帰ってこなくなった。父には手紙があったようだが、僕には何もなかった。何故いなくなったのか?一つ思い当たることがあったが、父にも、良子さんにも云わなかった。

 良子さんが急遽、鉄子さんの代わりに、店長兼、母の役でやってきた。何故〈多村〉でなく〈田村〉なのかは僕には意味不明だ。母と云うよりどっかお友達的なとこがある人だ。若いから「それも、いいっか」と思っている。そんな二人の関係だ。鉄子さんが学校に来るときは和服だったが、良子さんは洋服で、それだけでも助かっている。


 他所の事どころではない、河内名物〈ビックリ仰天〉がこの「タムラ」に起きた。向かいの大黒屋が荷物を全部持ち出して、店舗造作を始めた。良子さんの報告に父は「ええこちゃ」と喜んだ。「何を売りはるねんやろ?薬局しはねんやろか?」と良子さんは店の進行に興味を持った。

看板がかかった。『婦人服飾 エトランゼ』。わー、同業やと良子さんはビックリ、早速父に報告、でも驚くのは早かった。シャッターは開けられた。その店に立った人を見て、良子さんは腰をぬかした。


***


 鉄子さんが、にっこり笑って「商店街のお仲間に又、入りましたよって、よろしゅうにぃー」と挨拶廻りをしたのであった。商店街の人も驚いたが、良子さんの顔ったらなかった。比較的おうような良子さんであったが、開店記念の粗品を渡された手は震え、顔は引きつっていた。思いもしてなかった驚きよりも、鉄子さんの実力を一番知っているのは、良子さんなのだ。

今の〈タムラ〉のお客さんの半数は鉄子さん時代の人だ。高松の亜希子さんのアドバイスがあって何とかつなぎ留めたお客さんだ。半数と言っても、この半数の殆どが上得意客だったのだ。良子さんの驚愕は当然だった。

 商店街のみならず、藤井寺の商売人が全てとはいわないが、この勝負の行方に興味を持った。鉄板の育子さんは鉄子さんと仲が良かったし、藤のママも鉄子さんが贔屓だった。初世さんもいなくなって、良子さんはこの商店街に来て初めて孤独を味わった。僕は出来るだけ陽気に振舞ったが、小学校5年生には何も出来ない。


 鉄子さんが学校から帰ってきた僕に、店先に出てきて声をかけた。「勝ちゃん、大きくなったね」「何言ってやがんだい。自慢じゃないが、この一年商店街で色んなことがあって、神経がそちにいって、1センチも伸びてないんや。大体そのスタートが鉄子!お前がいなくなったとこから、始まったやど。ほんで、突然現れて、今年も伸びなんだら、朝礼で一番前に並ぶことになるやんけ」僕は鉄子を呪った。そして良子に同情した。いけない、同情は愛情に転化する。継母に〈恋い〉はいけない。僕は同情をやめて出来るだけクールを装って、この勝負を見ることにした。


 こんな事もアリなのかと思った。そう言えば鉄子さんが本店に帰らなくなって、大黒屋の息子が荷物を取りに来たとき、鉄子さんに挨拶しても、さほどでなかったのに、急に愛想良く受けるようになった。ある時なんか、息子が何かプレゼントらしき物を渡すのを、僕は見ちゃった。この1年、大黒屋の愛人になっていやがったのだ。これぐらいは、母が4人も変わった僕には分かる。「何がお風呂に行ってくるや!アホ、ボケ、カス、鉄クズ!」


 心配したことが起こり始めた、店の顧客がこっそり、鉄子さんの店で買いだしたのだ。鉄子さんの店には女店員が二人、どう見てもウチの二人は見劣りする。鉄子さんのサブみたいな女店員は松原の婦人服店にいたとかで、そのお客さんも引っ張りこんでいた。一番はミセスのニットもので有名なW社のブランドを揃えたことだ。父は昔ここの営業マンと喧嘩して取引をやめている。

 W社はその組織力を使って、藤井寺、羽曳野地区にチラシの宣伝を打った。ブランドの宣伝であったが、取扱店として鉄子さんの『エトランゼ』を紹介した。援護射撃をしたのだ。オープンから1週間、W社のセーターの特価に客は列を作り、W社の男子社員が応援に2名駆けつけていた。

 良子さんの夕食は細くなり、それに反比例してビールの本数は増えた。


***


 良子さんは高松の亜希子さんに相談に行った。亜希子さんは鉄子さんの時からのお客で、鉄子さんもよく知っている。良子さんのセンスを認めていた亜希子さんは、こう言ったという。

「鉄子さんの接客に勝てるわけがあらへん。同じ土俵で勝負せんこと。鉄子さんが好きなお客は全部あげたらええ。あんたはあんたのセンスで勝負しいー!応援しているよ」


 良子さんは考えた。3日、ロダンの考える人になった。僕も一緒にポーズだけ考える人になって付き合った。良子さんは決断した。父に相談で本店に帰った。帰ってきた顔はスッキリしていた。僕は安心した。もとの良子さんに戻った。

 良子さんは取り扱っていたメーカーを思い切って入れ替えた。良子さんはもう少し若いヤングミセスの店にしたかったが、お金持ちのオールドミセスは切れなかった。

 商品がガラリと変わって、古い客は「わー、私ら来られへんわ」と云って、喜んで向かいの店に行った。「タムラ」の売上は半減した。鉄子さんは勝ち誇ったようであった。


 良子さんは動じなかった。前の二人の販売員も入れ替えた。若くなった店の商品に合うような綺麗な人を採用した。若いミセスや、OLの客が増え出した。沿線の奥には若手を扱う婦人服店もなく、古市、富田林、河内長野からもそのセンスの噂を聞いて、お客が来るようになった。又勤め帰りのOLが晩がた来るようになって、7時閉店だったのを8時にした。百貨店が6時閉店だった時代、阿倍野近鉄百貨店に立ち寄れない、兼業主婦やOLの顧客がついた。

 二店は上手に顧客の棲み分けが出来て、勝負は引き分けに世間には見えた。「どっちもようやる。ええ女や」になった。僕は、良子さんに軍配を上げる。一旦売上を下げる決断は大変なものだと思うからだ…。許した父も偉いと、初めて思った。事実売上は1年後、1.5倍になっていたのだ。「商売っておもろいなー」と子供心に思ったのだった。良子さんの食べながらの読書は戻った。良子さんが「これ読み」と云った本は一応目を通すことにした。

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