第4話 静けさも 半年続かぬ 河内かな

これで、あらかた説明が終わったかな?そうだ、市場の入口にある高松肉店と藤井寺商店街の真ん中にある元木酒店が抜けていた。日曜日や学校のない日は良子さんに昼食代を貰う。鉄板のオムそばの金額であるが、始末して、ご飯は自分でたいて、オカズは高松肉店のメンチカツにすることが多い。こうしてお金を貯めるのだ。僕かて将来商売するかもしれない。貯める習慣は大事だと思う。

「勝ちゃんおまけや」とコロッケ1個を何時もおまけしてくれるのは、女将さんの亜希子さんだ。タムラの上客さんで、良子さんの相談役でもある。鉄子さんの後を継いで業績も上がらず悩んでいたとき、元気付してくれたのが亜希子さんだ。店では何時も割烹着姿だが一度、近鉄電車の中で「勝ちゃん」と呼ばれたけれど、声の主は分からない。「勝ちゃん、私やんか」と肩に手をかけたのは、何と、高松亜希子嬢であ~りませんか。ああー、女はつくづく衣装と化粧で化けると思った。そうだ、あれだけタムラで散々いい服を買ってるんだから、お洒落だったんだと思った。それにしても綺麗だった。45才とはとても思えなかった。


 元木酒店の定さんは65才、孫の磯吉君とは同学年だ。学校の帰り前を通ると何時も声をかけてくれる。「勝ちゃん、通信簿はどうやった。運動会リレーの成績はどうやった?」磯吉君から学校の行事はあらかた聞いて知っているのだ。定さんには息子さんが3人いる。いずれも藤井寺、羽曳野に住みサラリーマンだ。「私ら一代でもしゃない」と定さんはこだわっていない。店の配達はほとんど定さんのご主人、〈やさしい養子さん〉の梅吉さんがしている。定さんはこの養子さんを自慢しない日はない。店のお客は必ず聞かされる。

 定さんは〈ちゃきちゃきの河内女〉だ。「うちが、もう5つ若かったら、勝ちゃんとこの服買うねんやけどなぁー、何が悔しいゆうても、高松の亜希子さんは着れるのになぁ・・」定さん、亜希子さんと勝負する気持ちが失せてない。5つとは言わないが、もう5つ足して、10才若かったら着れると思う。僕の悩み事相談係は定さんだ。定さんにはなんでも話せる。やっぱり継母はお互い気を使いあって疲れることがある。そんな時は学校の帰り、お客がなければ店によって、道草をする。


***


 この話は〈トマト〉の俊介さんの、お嫁さん。夕子ちゃんのお母さん、夏子さんが向かいの〈バナナ屋〉の茂さんと出来ちゃって、あくる日から〈バナナ屋〉の店に立ったところから始まる。

 商店街の連中はオッタマゲタ、月に人が降り立った時だってこんなに驚かなかった。ビックリ仰天に慣れた河内人にだってこれはビックリ仰天であった。事を知らないお客は「あら、店を間違った。八百屋のバナナ屋さんはお向いね」そのお向いに〈トマト〉の俊介さんがいる。客は真ん中で両方を見て、夏子さんと茂さんの熱々の二人を見て「????」で、何も買わずに帰った人もあった。


 良子さんによるとこうだ。

悪いのは、俊介さんで、店の売上が悪いと、夏子さんのせいにして、時には手が出るらしい。青い痣を横顔にして店に立った事もあったという。それを向かいで見ていた茂さんが同情し、夏子さんが何時しか惹かれて、それでも夕子ちゃんの事を考えて悶々としていたが、ある日俊介さんに叩かれて、向かいの茂さんの2階に飛び込んだという次第。良子さんは夏子さんに同情したが、あくる日から向かいの店に立った事だけは解せなかったみたいだった。


 困ったのは〈トマト〉の俊介さん。元々気の小さな俊介さん、店を閉める訳にもいかず、立つには精神力を要した。元々痩せ気味の俊介さんが、しばらくしてキュウリのようになった。しっかりしていたのは夕子ちゃん。いなくなった(いえ、向かいにいるのだが)母親に代わって炊事洗濯をこなした。解らないことがあると、母である向かいの夏子さんに訊いた。籍がどうなったのかは当事者以外は知らない。他人ごとには興味津々の河内人でも聞き辛かったようだ。

 3ヶ月が経った。〈トマト〉の俊介さんの店は何とか開けているが、精気のない店ははやらない。それに比べて向かいは、別人のようになった夏子さんを入れて3人、威勢のよさで益々お客が増えた。噂を聞いて興味半分で、奥からわざわざ電車賃を使って菜っ葉を買いに来る客も含まれていた。キュウリは益々細くなって、消えてなくなるかと思ったその時、又、又仰天があった。


〈トマト〉の店に夏子さんの妹、秋子さんが立ったのだった。従業員としてではなく、れっきとした、籍の入った女房として。


 良子さんに聞くしかない。良子さんに聞くとこうだ。

夏子さんと秋子さんは5つ違う。夏子さんが居る時から、時々〈トマト〉を手伝うことがあった。姉妹の実家は古市にあって、秋子さんは両親と住んでいた。両親はアパートを2つ持っていて、生活に苦労はなかった。いくらなんでも、姉の非常識な行動に秋子さんは頭に来た。夕子ちゃんの事を思うと胸が痛んだ。実家に引き取る話も出たが、当の夕子ちゃんが首を縦に振らなかった。夕子ちゃんへの同情は、何時の間にか俊介さんへの同情に変わった。同情は愛情にいつでも転じる。特に河内においては転じるスピードが事のほか早いみたいだ。

 夏子さんの籍は抜けていた。夏子さんは夕子ちゃんの引き取りを主張したが、夕子ちゃんが拒否した。どちらかと云うとトロイ方に入る夏子さんが怒った。俊介さんとくっつくのは自分の行いを省みても文句が言えるものではない。怒ったのは、姉妹なのに一言もなく、夕子ちゃんの母親になったことだ。

「一言あってしかるべき」が夏子さんの言い分。これに反して秋子さんの言い分は「他の他人が夕子ちゃんの継母になるより、身内の自分がなった方がズート良い。感謝されても、文句を言われる筋はない」ということで、向かい同士、姉妹の敵対心は決定的になった。2軒の真ん中を通る時は怨念の灼熱が感じられると良子さんは笑った。


〈トマト〉に立った秋子さんは何としても、向かいに負けたくなかった。向かいの八百屋を見るにつけ、果物屋がよくないと考えた。なんと、八百屋に転じたのである。

 八百屋に転じてもそれは長年の〈バナナ屋〉には叶わない。儲け度外視で安売りを仕掛けた。向かいの客さえ取れたたらいいのだ。生活費はアパート1軒分で何とでもなる。女のメンツを賭けた戦いだ、負ける訳にはいかない。

 最初はゆっくりと構えていた〈バナナ屋〉ではあったが、昨日まで買っていた客が、今日はほうれん草を向かいで買っているではないか、これには慌てた。値段勝負に打って出た。向かい同士、すぐ敵の値段は知れる。1日の内、何度値段は書き換えられた事か。面白半分で見ていた藤井寺近辺の同業、八百屋は他人事では無くなった。客がこの2店に流れ出したのだ。彼らもまた、値段を下げるしかない。藤井寺の八百屋の値段戦争は噂を呼び、奥は河内長野から、西は布忍あたりからまで客を呼んだ。藤井寺は一時大いに賑い、八百屋を除けては潤った。特に、喫茶藤とお好みの鉄板はてんてこ舞いの繁盛であった。


 客は喜んでも何時までも続くものではない、当事者の2店を入れた藤井寺の八百屋全てが会合を持った。仲裁役はえり正さんであった。結論はこうなった。〈トマト〉は果物半分、野菜半分の店にすること。〈バナナ屋〉は〈トマト〉が扱う野菜には配慮すること、出来るだけぶっつからない品目にするか産地を違えるか、2店で調整すること、調整がつかない時は藤井寺八百屋組合長が調整することとした。

〈トマト〉と〈バナナ〉の百日戦争は終を告げ、菊水商店街も元の落ち着きに戻った。


***


 お商売の調停だけではない、人間関係の修復も図られた。なにぶん8軒しかない小商店街、きめ細やかに気配りが出来るのはえり正さんしかない。えり正さんを中にして2軒の手打ちが行われた。その集まりに夕子ちゃんは出席を希望したのである。

 お商売の調停は、損得で割り切れるが、人間関係はそうはいかない。感情、意地、面子、その他諸々入り乱れる。かなり激しいやりとりがあったらしいが、えり正さんはみな吐き出した方がいいと思って、放っておいた。皆が疲れて、静かになりだした頃、夕子ちゃんが立ち上がってこう言ったそうだ。

「もう、喧嘩はやめて欲しい。私がどれだけ辛かったか、わかって欲しい。デモ、毎日お父ちゃんの顔も、お母ちゃんの顔も見れたし、お母ちゃんが遠くに行ってしもうたと違うと思って我慢した。おばちゃんが、お母ちゃんになってくれて、お母ちゃんが二人も出来て、お父ちゃんも新しいお母ちゃんに優しくて、ちょっとづつ太り出して、バナナ屋のおっちゃんらも変わらず優しかった。うちはこれでええねん」

 みんなは思わず涙して、えり正さんは何も言わず、1本締めで締めたと、良子さんに話しているのを、盗み聞きした次第。父が心腹を寄せる〈えり正さんは人格者や〉の意味がわかった。そして、夕子ちゃんはやっぱり僕が見込んだ通りイイ女やと思ったし、何だか切ない大人たちを好きに思った。


『静けさも 半年続かぬ 河内かな』これは僕が学校で俳句の時間に読んだ句だ。季語がないと叱られた。


 季節は夏、魚常に一件持ち上がった。例によって、常吉さんの朝帰りが原因だった。「出て行け!」と怒鳴ったのは、初世さんの方で、初世さんは魚の捌きもできれば、売りも上手だ。困るのは仕入れだけだ。初世さんの叔父さんは大阪市内の魚屋さんだ。暴走族だった二人を心配して、常吉さんを説得して、叔父さんは常吉さんに魚屋修行を自分の店でさせた。二人に店をと探して、ここならとなって、お金は両方の親が出し合って開店したのだった。叔父さんに頼めば仕入れも何とかなった。これが、初世さんが強気に出れる理由だ。常吉さんにすればこれが面白くない。暴走族の番長を務めた輩である。


「自尊心が傷ついたと言っては、店は初世さんに任せて早仕舞い、元々遊び人よ」と、良子さんは初世さんの味方だ。二人は仲が良い。マー2、3日もしたら帰ってくるだろうとタカをくくっていた初世さん、1ヶ月経っても亭主は帰ってこない。「なんか事故でもあったんやろか?警察に届けた方がええんやろか?私が悪かった。女やのにでしゃばりすぎた」毎晩、良子さんとこに来ては涙を流して相談。良子さんもえり正さんに相談。そんな時、ふらりと常吉さんが帰ってきた。姿を見るなり、初世さんは常吉さんに抱きついて、誰はばかることなく店先でワンワン泣いた。それを見ていた良子さんももらい泣き、良子さん派手に涙が出たのか〈まつから〉取れて、パンダのようだった。


 じゃれ合うように、仲睦まじかったのは3日程、ドンパチ始まって、今度は出ていったのは初世さん。そのまま帰って来なかった。一ヶ月程して良子さんに電話があった「今、福岡にいてる。前から好きな人やった。常さんには言わんように」と言って電話は切れた。良子さんは迷ったけれど、初世さんの言うとおりにした。

 常吉さんは、パートのおばさんを入れて店はしのいでいたが、前のような元気はなくなり、何となく刺身の鮮度も落ちたみたいであった。女はワカラナイ生き物だと子供心に思った。

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