第2話 雨あめふれふれ母さんは・・

昼から曇り空、「嫌な予感…」、午後の授業の途中から雨・・。

良子が真っ先に傘ご持参。去年は鉄子さん。継母はこんな時の行動は素早く、どこの母にも負けていない。いくら家が近いと云っても、空中を飛んできたとしか思えない早さだ。何時も一番乗りだ。

「雨、雨ふれふれ、かあさんが、ジャノメでおむかえうれしいな!ピチピチ、ちゃぷちゃぷ、ランランラン・・」冷かし合唱が始まる。教室の廊下側のガラス戸が開いて、「勝治ここに置いとくからな!」良子さんの元気な声。僕はクラスメイトの顔を窺う。

 ひどい奴は「来年は誰が持ってくるねん」と云いやがった。僕はそいつの金玉を蹴り上げた。「多村君、あそこは男の子の大事な所でしょう、男の子やったらわかっているでしょう」と、メガネ美人の先生に放課後2時間立たされた。


 僕の店「婦人服飾タムラ」は藤井寺駅前、と云っても、駅前は銀行2店。駅前銀行裏と云ったほうがよい。菊水商店街の中にある。店舗数8店舗、向かい合って4店舗が並ぶ、アーケードのある小さな商店街にある。

 藤井寺と言えば「娘、道明寺」で有名な道明寺がある。それから、藤井寺球場がある。かつて、近鉄(現在オリックス)バッファローズがホームグランドにした所だ。その昔、近鉄球団は〈近鉄パール〉とか称して、名前からして弱かった。何で〈パール〉?近鉄は、伊勢志摩まで行っている。だから〈パール〉。そんな弱いときからのホームグランドであった。


 昔、藤井寺は道明寺の門前町であった。近年、大阪からの郊外流入が激しく、人口が急激に増え、ベッドタウン化してきた。東住吉の商店街の衰退の先を見越し、父が支店をここに2年前出したのだった。店舗探しをしていたら、大阪の同じ商店街にあって、この商店街にいち早く店を出していた呉服の「えり正」さんにばったり出会って、「多村はん、ここは高級品が売れまっせ」と話している最中に「あら、多村のおっちゃんやー」と、えり正さんのお客さんに声をかけられた。東住吉の本店のお得意さんの娘さんだった。新世帯をこの藤井寺に構えたのだった。


 父は即刻支店を出す場所を藤井寺に決めた。「どっか物件おまっか?」とえり正さんに聞いた。「隣が一軒まだ決まってまへん」ということで、8軒のラストの物件を買った。即金で買ったというから立派なものだ。

父は月賦だの、この頃から取り入れられたローンが嫌いであった。モノを買うときは貯めてから買う。貯めることは大変で、大抵は途中でやめる。それはいらないもので、貯めきって買ったものが本当にいるもので、そうすればいらないものは買わなくて済む、と店の従業員に話しているのを、食事中横耳で聞いた。食事の時間は従業員教育の場でもあるのだ。僕だったら食べた気がしないと思うのだが、店の女の子は〈タイショウー〉の話を結構興味を持って聞いている。

 藤井寺の店の2階は2室にキッチン、小さいながらも、バス、トイレ付きで、一応寝泊りが出来る。


***


 支店を出すには、もう一つ理由があった。

鉄子さんと良子さんの仲が険悪になったのである。二人とも本店「タムラ」の販売員で、当時は〈住み込み〉というのがあった。親方の家で寝食を共にして働くのだが、店が終わっても、初代母(母が何人も登場するので以降初代和子とか和子さんと呼ぶ)がいた時でも一緒に台所や掃除を手伝った。

 和子さんは穏やかな人で、住み込みの人に優しかった。鉄子さんにも料理を教えた。良子さんに料理を教えたのは鉄子さんである。だから、僕は母の味を食べられ続けられた。初代が、いや2代目がいなくなってからは、鉄子さんが食事、洗濯、家事一切をせねばならなかった。だから、父と一緒になるのはなんの不思議もなく、すでに僕に取っては、半分母であった。

 本店の2階は二間しかなかったので、裏にあるアパートの一部屋を従業員用に借りていた。そこに鉄子さんと良子さんが一緒に住まいしていた。鉄子さんは販売力抜群で、先輩、後輩、最初二人は仲がよかった。


 鉄子さんが父のお嫁さん、ということは僕のお母―ちゃんになったわけで、良子さんに取っては、鉄子さんは女将さんになった訳で、二人の仲良しは壊れた。良子さんはグラマー(今こんな言葉あるのやろか)な美人で、父がやたら優しい。二人とも優秀な販売員であったが、店で口もきかなくなっては、店の雰囲気も悪く、客はあざとく噂をする。

 支店を出して、鉄子さんに任す。本店で父は良子さんと仲良くお店をやる。一石二丁を考えた次第。鉄子さんは気性もきつく、胸もペチャこいが、和服を着せたら美人だ。結構年配受けする。父の本店からは今川駅まで歩いて15分、藤井寺までは普通電車で25分。通えない距離ではないが、2階に住むことになった。その鉄子さんのお目付け役として、僕も藤井寺に転校になって、2階に鉄子さんと住むことになったのだ。

 2代目は、僕と桜の下で写真を撮ってすぐに居なくなった。何だか訊いてはいけないみたいなので、いきさつはわからない。母であった期間も数ヶ月ぐらいで、名前も忘れた。嫌な人の名前は忘れたら思い出せないものだ(以降2代目としか呼ばない)。


 鉄子さんの販売力は凄いもので、お金持ちのオバサンはお手の物。「あら~、奥様素敵!昔、宝塚におられたんですかあー」と声が裏返っている。そばで聞いていた僕は恥ずかしくって、店の外に出た。デモ覚えた。将来僕も大人になったとき、営業や物を売る仕事につくかも知れない。褒めるときは徹底して、途中で恥ずかしがったりしてはいけない。なら、最初から褒めずに、黙っておくことだ。中途半端は褒めたにならない。鉄子さんのおかげでたちまち、店は軌道にのった。父は「俺の目に狂いはないと」満足気であった。


 鉄子さんは料理も上手いし、家事の手際も良い。僕の着るものにも気を配ってくれる。結構、教育ママで、宿題にはうるさく、眠たくても食卓台の上で最後までやらされた。いい成績を取ったら、「これ、ええのん?」と言うようなモノを買ってくれた。

 以降、僕は寝言のふりして、「むにゃむにゃなんとか、なんとか」と欲しいものの名前を言った。頑張って、いい成績を取ると、「はい、プレゼント」と僕の欲しいものが出てくる。「これ、僕、前から欲しかってん!なんで鉄ちゃんは分かるの・・」とぶりっ子をした。鉄子さんはご機嫌で「ないしょ」と云った。欠点は、気分にムラがあり、機嫌を損なうと手厳しい。オカズが1品減らされ、1ヶ月、小遣いが半分になるのは覚悟だ。

 

 鉄子さんはキツイ継母に育てられた。連れ子で来た女の子は高校に進んだが、鉄子さんは中学校を出ると、地元の紡績の女工さんとして勤めた。キツイ継母の仕打ちに耐えられず、初代和子さんの田舎の伝手で「タムラ」にやって来た。

「せやから、勝治もやさしいしたげんとあかんのやで」と和子さんに言われたのを覚えている。

 僕は鉄子さんはいい母を頑張ったと思っている。それに比べれば良子はのんびり屋で・・・やめとこ、今の母の悪口は。

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