第3話 皇帝とは日本の最高位だった!

 このところ、日中の調査員の激論が目立ちます。わたくしは完全なる、縁故というかコネ、いや半ば強引に単にこの末席を汚していて堂々たる身ですので、中国側の言葉は一切わかりませんし、覚える気もありません。それでも、なんとなく雰囲気でわかります。彼らは一見、怒ったように早口で話しますが、とても理知的で、相手を尊重しつつ、自分の意見を相手方に染み込ませていきます。これぞ、本当に大陸的なやり口です。とはいうものの、南北アメリカ大陸や南極大陸に、そんなものは微塵もありませんから、“大陸的な”という形容詞は中華大陸の人々のみにあたえられるべき称号なのでしょう。なんてね。


 などと考えていると突然、大きな声が上がりました。


「出たぞ!」


 なんだろう? 鬼が出たか? 蛇が出たか?


「かなり古い木簡が出た! 検査機にかけないとダメだろう……」


 当然、大昔は紙などありませんから、全て木に書いて記録します。ちなみに紙というのは三世紀くらいに登場した新しいメディアのようです。さて、もちろん木は腐りますし、カビも生えます。記した墨もいずれは薄れて消えてしまいます。そこに、想像の余地が生まれるとともに、歴史と神話の間も生まれます。以前、わたくしが「日本人の知っている日本史は司馬遼太郎先生の作った日本史だあ〜云々」と叫んだのを覚えておいででしょうか? 「余白は井沢元彦の『逆説の日本史』で埋めちまえ!」と暴論を吐いた以外の部分は全く反省しておりません。なぜなら、歴史のこと客観的に記録した映像媒体、ニュース映像などがあるはずもないのです。その史料の持つ価値の高低は様々ですけれど、全ては史料頼みです。司馬先生は史料第一主義者で、先生が神田・神保町の古本街を歩くと『大日本史料』はじめ、特級の史料が根こそぎ消えたとか……

 司馬先生ほどの大家なら『大日本史料』くらい常時、全部持ってればいいのにねえ。


 第一、司馬先生は直木三十五賞出身者で『国盗り物語』や『竜馬がゆく』などの極上の作品群を生み出していたのに『関ヶ原』あたりから、妙に史実にこだわり始め、後期の明治維新もの以降はわたくし、読む気もいたしません。あの不朽の名作『街道をゆく』の一体なにが面白いのでしょうか? 第一『司馬史観』ってなんでしょうね? 先生、あなたはエンターテインメント型の小説家なのですよ。もっともその前に『国民的』がついちゃうけれど。その一人前の『国民作家』吉川英治先生なんかはエンターテインメントに徹していましたよね。吉川先生の唯一の汚点は戦中版と戦後版とでは『宮本武蔵』の内容が違うということでしょうか。要するに、戦中版は国威発動の文章だったのです。でもこれは仕方がないですよね。非国民にでもされたら、特高に一家皆殺しですからね。でも、先生! わたくしは『宮本武蔵』を読みませんのでご安心を! わたくしに『三国志』の楽しさと『平清盛』の魅力そして『太平記』を教えてくださった。それだけで大満足です。『新・水滸伝』の未完だけが残念でなりなせん。


 その点でみれば、エンターテインメントにこだわり続けた池波正太郎先生は、とても偉いなとわたくしは思います。なにせ、池波先生の師匠は演劇脚本界の巨匠、長谷川伸先生ですからね。『一本刀土俵入』ですよ!


『仕掛人梅安』はちょっと、読んでいません。あまり、人殺しはわたくしの趣味でないのと、『仕掛人・仕事人』と聴いちゃうと、どうしても藤田まことさんの顔が浮かんでしまうんで(藤田まことさん自体は好きですよ。ただし『てなもんや三度笠』みたいなコメディー俳優としてね。真面目なのはダメ)

 池波先生の代表作はやはり『鬼平犯科帳』でしょうね。実物の長谷川平蔵は「人足寄場」を作るなど「人材を生かす」立場の官僚だったのだろうと思われるのに対し、小説の『鬼平』は養母にいじめられて、家を飛び出し、ならず者として街で放蕩三昧。ただ、剣術の稽古はきっちりやったから、やたらと強く、さらに常に弱いものを助けた。というようにどこか、心持ちが違うのです。そしてついに、養母が実子を諦めて平蔵が家督を継ぐ。やがて、幕府上層部(途中でなぜか人が変わるんですよね)の信頼を得て「火付盗賊改方」長官となる。場所は役宅。要は自分のウチ。「奉行所は表舞台。火盗は裏舞台」だってさ。だって、あっちは都庁兼警視庁ですから、最初から、かなうわけがありません。さて、池波が平蔵のモデルにしたのが初代・松本白鸚。(八代目・松本幸四郎)ものすごい人気役者でしたが、『鬼平』をやるにはちょいと年齢がねえ……まあ、その頃のわたくしは『鬼平』の『松本幸四郎』も知りませんでしたしね。なんと、わたくしが『八代目・松本幸四郎』をきちんと観るのは、いまの白鸚が市川染五郎時代に主役を張った、大河ドラマ『黄金の日日』のDVDでゲスト出演した回を観たのが初めてでした。とてつもない迫力がありましたね。


 あれ、なんの話でしたでしょうか? まあいいか!


 ああ、その長谷川平蔵を二代・中村吉右衛門が演ると知った時は感涙しましたよ。フジテレビ最高だぜ! 今は最低ですけれど。その前年でしたか? NHK水曜新時代劇『武蔵坊弁慶』で吉右衛門が魅せた人間味溢れるターミネーター弁慶。そして、そのラストは忘れられません。観たい人だけ、観てください。完全版がようやく出ました。この件については、皆さんとの話題の共有すら拒否します。けれど、わたくしは死ぬまであのシーンを忘れないでしょう。


 かなり、道を外れてしまったので、次回、本筋に戻りましょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る