わたしの小指の偽史
中指と親指、人差し指でペンを持ち、その手を薬指一本で支えるようになったのは2年前――5年と5ヶ月と5日を共に過ごしたあのインディアン達との別れの日だった。わたしの小指はしきたり通り、一度あの森の集落の広場に突き立てられた簡素な、擬似的な墓の下に埋められたのだろう。ちょうど日本人が収穫した銀杏をそうするように、肉だけを土中の住人たちに食わせ、中身だけを取り出すために。それは骨格標本を作るときのような、人為の手の元で行われる無粋な作業工程の一部なのではなく、彼ら特有の霊的な手続きである。
小指の欠損は、思ったよりも被去勢的な精神的作用をわたしに及ぼすことは無かった。そんなのはもっと、手や足の丸ごと1本、あるいは古典的に両目が潰れるような事態にならない限り、少なくともわたしには引き起こされないようであった。あるいは、わたしの小指の居所がはっきりしているために、それが失われたという意識が薄いせいなのかもしれない。森の集落の広場の土中で肉を土に還した白骨は、ヘラジカどこだかの臓器で作られた小袋に収められ、ホームステイ先だった長の甥家の玄関先にぶら下げてある。わたしの帰りを待って。あの小指は彼らとの繋がりとして、わたしの右手の
つまり、わたしの性欲はいまだ健在である(被去勢的な気分が勃起を妨げるかどうかは知らないが)。しかもそれは悪い方へと発展していて、最近で頭に去来した妄想の一つに酷いのがある。ソローはウォールデン湖の森にいる間に何回マスをかいたか、というものである。わたしの想像では56回で2年と2ヶ月と2日のうちの56回とすれば、だいたい3、4日に一回だ。まあ、その辺りが平凡で平均的なところだろう。つまりわたしは、ソローが一般的な頻度でシコっていたと考えていて、独居のなかで、肉体の声を聞きながら実践されるミニマルな禁欲には、オナニーの節制は含まれていなかったのではないだろうかと考えているのだ。
先日このようなことを、友人に連れられて行った『森の生活』の読書会で大勢の前で話したら大顰蹙を買った。その夜は一人で原色のギラギラした色のハードカクテルを浴びるように飲み、マスをかいてから寝た。
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