馬鹿な女神と馬鹿な死者

 まあ、普通の高校生だったと思う。

 成績はめちゃくちゃいいわけではなかったが、赤点を取るほどではなかった。

 宿題もちゃんとしたし、問題行動もなかった。

 あ、ごめんウソ。

 一回だけタバコとライターを買って吸ってみたことがある。けど咳き込んだし、髪や制服が臭くなるし、あれは私のためのものではなかった。

 実は異世界に来た今でも、タバコとライターはキャンプグッズのリュックのジッパー付きポケットに入れてある。まあなんて言うか、お守りみたいなもん。


 家は貧乏というわけでもすごいお金持ちというわけでもなかった。

 どちらかというとお金には苦労してるっぽくて、親はそれを私に感じさせないようにしてるみたいだったから少し貧乏なのかな、と思っていたが、クラスには詳しい話は省くけど本物の貧乏と称していいような子もいて、私はまだ恵まれているのかも知れなかった。


 両親は不仲というわけでも、歳とってもイチャイチャ、というわけでもなかった。

 大人としてどこか淡々と適切な距離を保ち、父は母を気遣い、母は父に一定の敬意を払い、二人は私が不自由なく暮らせるようにはからいながら、たまに学校の様子や、夏休みの予定などを訊き、どちらかの実家への帰省や催し物や旅行に誘った。


 私は自分が馬鹿じゃないと思っていて、ブレザーとチェックスカートの制服に身を包み、学生や、娘や、社会の構成員として、卒なく役割を果たしそうとしていたし、ルールは守るようにしていた。


 そう。あの日のあの時までは。


 ほんとなんであんな真似したんだろう。


***


「にゃあちゃんっ!!!」


 下校中、駅に向かって歩いてだ私は、小さな女の子の悲鳴のような声を聞いた。

 歩道橋。手すりに登ってその柵から身を乗り出す女の子とそれを引き止める母親。何かを落としたの?


 道路に視線を落とした私の心臓が跳ねた。


 道路に横たわるぐったりした様子のあれは……ネコだ!


 更に向こうから大きな貨物トラックがネコに向かって走っていてそのタイヤの軌道は丁度その小さな……多分仔ネコを捉えてひき潰しそうな位置だった。


 助ける? 間に合う? 微妙な位置関係だ。


 だが、考えながら私は既に走り出していた。トラックの運転手の様子がフロントガラス越しに見える距離。だが彼はネコに気付いた様子もブレーキを掛ける様子もない。


 やばい。危ないんじゃない? 死ぬかもよ?


 私の頭の冷静な部分は繰り返しそうやって私を引き止めようとしていたが、私の足は、身体は逆に更に加速して、小さなネコに向けて全力疾走していた。


 ガードレールをハードルのように飛び越えトラックの直前に飛び出す。クラクション。ブレーキのスキール音。ネコを手に取って横飛びに……。


 え。なにこれ。ぬいぐるみ?


 想定外の事態に、私はモーションを中断して手の中の年季の入ったぬいぐるみを見つめてしまった。


 どん。


 暗転。痛くはなかった。

 ただ真っ暗で。静かで。寂しくて。



***


 ぱんっ、と手を叩く音にビクッとして、私は目を開けた。


 真っ白い部屋。椅子に座らされている。


 私は授業中の居眠りを怒られたみたいなアクションで動揺してキョドり、置かれた状況を冷静に把握しようと努めてそれに失敗した。


 真っ白なテーブルを挟んで目の前にニコニコ微笑む女性。白いゆったりしたドレス。茶髪の長い髪。トゲトゲ葉っぱを輪にした冠。美人だと言っていいだろうが、その顔やメイクの感じはどこか無個性で主張がない。なんというか……そう、作り物っぽい。市役所に貼ってあるポスターのお姉さんみたいな。まじまじ見つめても、生きた人間であることに疑いはないんだけど。


「あ、あの……」


 私は自分の身体や服を確かめながら目の前の担当みたいな人に話しかけた。


「こんにちは。えーと、状況がよく飲み込めないんですが……私、確かトラックの前に飛び出して……」

「はい」


 真っ白い部屋。床と壁の境界が見えない。壁と天井の境界も。ものすごく広いのか。単に壁や床の境目が見えにくいつくりなのか。照明も何か分からなかった。ただ、部屋全体が輝くように白い。


「あなたは亡くなりました。トラックに轢かれて。即死です」

「つまり……ここは……天国?」

 女の人は、はあ、と溜息をついた。

「みなさん、同じリアクションをするのですね。大して人の役に立たず、むしろ生きていただけもいい所で、下手をすれば世界や人々に強い憎悪すら抱いているというのに、自分が死んだら行くのは天国だと自然に思っている。あ、あなたのことではないですよ」


 ……いや、充分に私に刺さったけど。まあ世界を憎悪まではしてないかな。人々も。でも確かに世界や周りの人の役に立ちたい! なんて心から思ったことはない。


「申し遅れました。わたくしは女神。やり直しを司る女神。アプジニーラルと申します」

「……はあ。あ、私、令和まなび学園二年生の辻りんかです」

「知っています」


 女神は突然ぶわっと目に涙を溜めて泣き始めた。


「わたくし感動いたしました!」

「え、な……と……言いますと?」

「あなた、りんかちゃん? 命を賭けて仔ネコを救おうとしましたよね⁉︎」

「ええ、まあ……」

「なんて心の優しい……リアルもバーチャルも争いばかりの今の人間世界に、こんな純粋で高潔な魂の女の子がいたなんて!」


 あー……なんか知ってる展開だぞ。これ、いわゆる「異世界転生もの」の導入テンプレじゃん。


「見ず知らずの、他の種族の、生きてるか死んでるかもわからない者の命を救うために、たった一つの自分の命を投げ出すとは! 結果手にしたのは古いぬいぐるみでしたが」


 この人……いや女神様?

 天然のフリして遠回しに私のことディスってね?

 ってか私そこまで持ち上げられる人物の自覚ないけど、感動とか聖人認定の判断基準ガバガバじゃね?


「で、私どうなるんですか? 生き返らせてもらえるとか?」

「いえ……残念ながらあの世界のあなたのボディは、つまり言いにくいことなのですが、跳ねられ、轢かれ、ドライバーがフルブレーキだったためにトラックの荷重で轢かれながらこう五メートルばかり引き摺られましてね。要するに大分グチャっとしてるというかこびりついた感じになってるというか……あ、動画で観ます?」

「いえ! 結構です!」

「だけどこのままあなたを死なすのは惜しいし、女神としてあなたの友愛に満ちた高潔な魂の輝きに報いたいのです」


 なんだろう。胸に渦巻くこのモヤモヤは。


「そこで! なんとあなたを剣と魔法の異世界へ転生させちゃいまーす!」


 女神の手にポムッとタンバリンが現れ、彼女はそれをシャンシャン鳴らしながら囃し立てた。


「イェーイ! ラッキー! やったね!

 ……あら、喜んでらっしゃらないですね。普通はここで表向き半端な渋キメしながら心の中は踊り狂って喜ぶところなんですが」


「人の頭の中が……心が読めるんですね?」


「そりゃあ、女神ですから」


「なら、私が思ってること、分かるんじゃないですか?」


「さあ……見え易さは人それぞれで。あなたは少し分かりづらいですね。私を警戒してるでしょう? 転生と言っても、ただの転生じゃないんですよ。あなたの言う通りに、全てのステータスやレベルを好きなように設定できます!」


 ステータス? レベル? 人が生きているのに? そこにレベルや数値を振って、上下を付けようってぇの?


「所持アイテムや住居やリスタート位置も自由ですよ? 今の記憶を保持したままお姫様になったり、逆に仲間からハブられたパーティメンバーになることも……」


 分かった。怒りだ。

 私のこのモヤモヤは。

 私は、こいつが気に入らない。

 こいつは異世界で、私たち人間を欲望のままに振る舞わせて、それを観察して、楽しんでいる。そしてそれに喜んで載せられる連中がいる。


「聞いてます?」

「ええ」


 こいつは馬鹿にしている。

 人の生を。人の死を。真面目に生きる人々を。そして私を。

 その時何故か両親の顔が浮かんだ。

 そのイメージは私の怒りを更に加速させた。


「さあ、どうします? 無敵の女騎士? 正体不明のドラゴン使い? のんびり自給自足生活でもいいですよ?」


「まず、私のiPhone。無限の充電と無限のwifi。永遠に快適にネット繋がるようにして」

「それから?」

「私の部屋……いえ、我が家のマンションの部屋のコピーを丸々用意して。ガス、水道、電気は使える状態で。ゴミ箱、排水孔に捨てたものは消滅するようにして。見た目はその世界の家で、ドアを入ったらうちん家になるように。それとアマゾンのポイント残高を無限にして、注文したらその家の玄関に届くようにして」

「あとは?」

「スナイパーが使うような銃が欲しい。めっちゃ強いライフル。弾は撃っても撃っても減らないようにして」

「スナイパーライフル。

 ではバレットM九五を用意しましょう。十二.七ミリNATO弾を使う強力な対物ライフルで、現行の狙撃銃の中では文句なく最強クラスです。M八二の方がほぼ同型でややバレルも長く、集弾精度は高いですが、あなたの体格では大き過ぎると思います」

「お任せします」


 なにそこだけ早口で語ってんだ。

 自分の興味範囲の得意分野アンバランスに語れる情報量が多いオタクか、あんたは。


「それで全部ですか?」

「最後にもう一つ。狙撃のサポートになるアプリが欲しい。そのアプリは──転生してくる奴がどこに現れるか、事前に探知できるようにして」


 女神の目に一瞬暗い喜びの光が宿ったのを私は見逃さなかった。


 それも面白そうだ。


 私には女神の頭の中が見えるわけではないが、一瞬ほんの少し細められた瞳がそう物語っていた。こいつはやはり私の心をそっくり読んでいる。その上で、私がしようとしていることをそのままやらせようとしている。


 私は確信した。

 こいつは、女神なんかじゃない。


 その瞬間、女神が微かに頷いたように感じた。

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