散らかってるの次元
「どーぞー。散らかってるけど、適当にすわってー」
ごそごそと足許に散らばる段ボールや書類の束を避け、扉を支えたルーカスさんが、こちらを振り返る。
ぞっとした。『掃除ができない』を体現した部屋だった。
事務所と称されたそこの、あまりの物の散乱し具合に、頭が痛くなってくる。
……師匠の家もこうなっていませんように。
お星さま、お月さま、どうか師匠の家を守ってください。
「あ、そこべたべたしてるから、気をつけてね」
「……はい」
どうしてわかってるのに、掃除しないんだろう?
べたべたする床を乗り越え、広くなった部分に出る。
部屋自体は、そこそこの広さを有しているはずだ。ただ雑然としていて、見た目よりも狭く感じる。
中央に置かれた大机には、積めるだけ物が積んであり、全ての動線を遮っていた。
絶妙なバランスで重ねられている、そのファイルとかうちわとか、どうなっているんだろう?
壁には一面に棚があり、引き出しからは様々なものがはみ出していた。
その内の一角に載せられた、用途のわからない不可思議な器具。
実験に用いられるようなそれらには、うっすらと埃を積もっていた。
……雪景色みたいだね?
絨毯と見紛うほど紙の敷き詰められた足許が、うっかりすると滑って転びそう。
……雪道みたいだね?
全体的に薄目で室内を見詰める。
――僕は別に、掃除が好きなわけではない。ただ、散らかっている状態が苦手なだけだ。
ただでさえ廃墟のような家にいた。そこが更に雑然と散らかっていたら、ひとりぼっちでお留守番したときに、忘れ去られそうでこわかった。
「……ルーカスさん」
「んー?」
「掃除、苦手なんですね」
「もっと広い場所に住んだら、ボクにも片付けられると思うんだ!」
「幻想です」
ぐっと拳を作るルーカスさんに、ぴしゃりと断言する。
例え部屋が広かろうと狭かろうと、この手のタイプは片付けが苦手だ。片付けられるのなら、とっくに片付けられている。
ううっ、師匠、家はどうなっていますか?
はやく帰って確かめたい。ここまで散らかっていませんように……。
「じゃあ、改めて。ボクはルーカス・エイデン。キミは?」
「アオイです」
「ふむふむ、アオイくんね。それで、何から教えよっか」
二人掛けソファの片側に積まれた本を押し退け、ルーカスさんがよいしょと座る。
どうぞと手で指し示されたけど、この部屋のどこに座る場所があるんだろう……?
比較的、積んでいる本の少ない丸椅子から本を退け、遠慮がちに座ってみる。キイ、軋んだ音がした。
「ええと、……この国の、名前から」
ごめんなさい、セシルさん。疑っているわけではないのだけど、はじめから尋ねてみます。
ふむふむ頷いたルーカスさんが、瓶底眼鏡を押し上げた。
「ヴィルベルヴィント王国だよー。ここは、アクセロラって街。中央に近いから、結構大きいんだよ」
中央って、ええと、魔術師として登録して、番号を出してもらうところだったっけ?
そっか、そこまで来ることができたんだ。
「魔術師とは、何ですか?」
「魔術が使える人の総称で、そうだな、魔力ってわかる? 人の身体に個体差で流れているものなんだけど、その魔力で火とか水とか作り出せる人のことだよ」
「魔力は、みんなにあるんですか?」
「多かれ少なかれね。生まれつき溢れんばかりに多い人もいれば、全くないゼロの人もいるよ」
にこにこ、楽しげにルーカスさんが笑っている。
……知らないことばかりだ。
魔力って、それじゃあ、セシルさんにもあるのかな?
考えごとをしていると、ルーカスさんが身を乗り出した。持ち上がった口角がにんまりしている。
「ボクからもいい? キミを保護した人って、だれ?」
「セシルさん、ええと……セシル・カーティスさんです」
「カーティス? ああ、セシルか。ふぅん、じゃあ大丈夫か」
ふむ、と頷いたルーカスさんに、なんだか心配になってくる。
大丈夫……って、大丈夫じゃないこともあるのかな?
「あの、どういう意味でしょうか……?」
「ここによく来るからね。ジゼルと違って几帳面だからって、ジゼルが」
「はあ……」
……それって、身内の贔屓目というんじゃ……?
うっかり曖昧な返事になってしまった。
ルーカスさんが足を組む。大袈裟な仕草で、彼が両腕を広げた。
「中には悪徳な騎士団員もいるからね。アレだよ。運が悪いと、ペットにされちゃうから」
「ペット!?」
「なんか、金持ちの間で流行ってる道楽だよ。迷惑な話だよねー」
「もうちょっと詳しく教えてください!!」
「ええっ? キミ、ペットにきょーみあるの?」
「自己防衛のためです!」
「ああ、なるほどぉ」
ルーカスさんはのんびりと頷いているけれど、僕は頭が痛い!
今この瞬間だけで、如何にセシルさんが良心的に言葉のキャッチボールをしてくれていたのかを思い知った!
ルーカスさんが、ソファの隙間から缶に入った飲み物を引っ張り出した。
無造作にこちらへ投げられたそれを、慌てて受け取る。
缶の側面に印字された文字は、デザイン性が高くて見慣れないものだった。……なんだろう、この飲みもの。
「顔がよかったり、能力が強かったり珍しかったりするとね、わるい人が『処刑』を盾に脅して、魔術師を隷属させるんだ」
心臓がひやりとした。氷を飲み込んだような心地だ。
ルーカスさんはプルタブを開け、缶に口をつけている。
彼はごくごく飲んでいるけれど、とてもではないが飲食できる心境ではなかった。
持て余すように、もらった缶を両手で包む。心臓が早鐘を打っている。
「ヴィントでは管理局に登録のない魔術師は、処刑の対象だからね。番号を剥奪したーとか、はたまた違う国から浚ってきたーとか、コレクションに忙しいみたいだよ」
「そう、です、か……」
「でも、傍目には『保護』という形を取ってるから、介入も難しいんだよねー」
間延びした声が遠くに聞こえる。呼吸の度に胸が苦しい。
人攫いのおじさんたちは、仲間内に僕のことを、『ヴィントの金持ちに売る』と言っていた。
セシルさんは、僕を『保護』している。
そしてセシルさんは、僕が『処刑』されることを心配して、行動を制限している。
……何が正解で、何が不正解なのか、わからない。
セシルさんの心配が、本心からなのか、はたまた脅迫なのか、わからない。
セシルさんはいつも柔和に微笑んでいる。……ポーカーフェイスだ。
大人の対応をする彼の表情や仕草から、真意を汲むことは難しい。
けれども、セシルさんはこれまで、僕とクランドにとても親切にしてくれた。
一切の金銭を負担して、僕たちを目的地まで案内してくれている。
……本当に?
僕はヴィントのことをなにも知らない。
本当に中央で登録したら、アストロネシアに帰ることができるの?
仮にこのままずっと連れ回されても、きっと僕はすぐには気づけない。
セシルさんの目的は?
でも、セシルさんは僕に無理を強いていない。
ただ部屋で待つように、彼から離れないように、大人しくするよう言われているだけだ。
……何を信じればいいのか、わからない。
「そういえばキミ、この国の人じゃないって言ってたよね? どこからきたの? もしかして浚われてきた?」
「……アストロネシア、です」
「ああっ! あそこはいい国だよね~。魔女に対して寛容だから、油断し切った魔女がいっぱいいる。その手の人たちにとって、いい狩場なんだってね!」
にこにこ、ルーカスさんが手を叩く。彼の無邪気な言葉が、苦痛でたまらなかった。
狩場? 商品? ペット?
……僕って、なんだろう。
常温を伝える缶ジュースを、雑多な机へ置く。
鞄の肩紐を握って立ち上がった。ぺこり、頭を下げる。
「色々と教えてくださって、ありがとうございました」
「あれ? もういいの?」
「はい。……失礼します」
「ふぅん、まあいいや。困ったらいつでもおいで。ボクは、キミたち魔女の味方だよ」
立ち上がったルーカスさんが手を振る。
味方? ルーカスさんは、信じてもいいのかな?
魔女、……師匠は、みんなから『魔女の先生』って呼ばれてる。……師匠に会いたい。
判断力が弱っている。与えられた言葉がぐるぐる回っている。
魔術師の男の人が、騎士団に捕まえられた。セシルさんは、騎士団の人。
セシルさんは、信じていい人? ……よく、わからない。
灰色の扉が開いた空は、うっすらと雲を伸ばしていた。
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