助けて! この人不審者です!

 咄嗟に飛び出してしまったけれど、行く当てがない。


 広場のベンチに腰を下ろして、ざわつく心地に耐えた。

 陽気な気候と穏やかな日差しは心地好いもののはずなのに、身体の震えが止まらない。

 クランドのいる鞄を抱き寄せ、石畳の線を目で追った。


 僕はこの国で、魔術師に分類されるらしい。

 ……よくわからない。僕は師匠みたいに色んなことができるわけではないし、あの男の人みたいに、火が出せるわけでもない。

 ただ、花が編めるだけだ。それ以外に、なんの特技もない。


 それに、師匠が使っている不可思議現象は、どちらかというと『便利そう』なものだ。

 あんなにこわがられるものでは、ないと思う。


 じんわり、石畳を映した視界が滲んでくる。あ、と瞬いた拍子に零れたそれを袖で拭い、ますます俯いた。


 僕と、あの取り押さえられた男の人は、然程変わらない立場にいる。

 僕もセシルさんから、首輪をつけられている。

 人前でクランドを出すことも禁じられた。

 花を編むことも、セシルさんの前か、他に誰もいない場所に限定されている。


 ――次にあの男性と同じ目に遭うのは、もしかすると僕かも知れない。


 花が一体何になるんだ。たかが花じゃないか。

 こんなことで殺されそうになるなんて、すっごくばかげてる。

 どうして僕は、この国でおかしな種類にされているんだろう?

 こんなことになるなら、花なんて編めなければよかった!


 涙があとからあとから溢れてくる。次第にしゃくりあげてしまう。

 鞄の中のクランドが、ごそりと身動ぎした。鼻先が隙間から出される。

 ――今は出てきちゃダメだよ。

 ふたを閉め直して、鞄越しにクランドの身体を撫でた。


 ……セシルさんも、ジゼルさんも、僕が暴れたら、同じことするのかな?


 深みにはまった思考が、ますます底へと落ちてしまう。

 思い出したセシルさんの顔は、とても緊迫していた。

 まだ『人ならざる者』を相手にしているときの方が、気楽にしていると思う。

 ……彼にとっても、魔術師は邪魔なものなのかもしれない。

 じゃあ、どうして僕のことを、ここまで手伝ってくれたのだろう? 仕事だから? それとも……。


「……あれ? キミ、大丈夫?」


 頭上から影とともに落ちてきた声に、思わず身体が強張った。

 慌てて顔を上げる。僕に声をかけたのは、ぼさぼさの茶髪の青年だった。

 ひょろりとした体躯に、ぶらぶらと白衣の袖を揺らしている。

 今どき珍しい瓶底眼鏡が人相を隠していて、とても不審だ。

 ……関わるのはやめておこう。

 咄嗟に顔を逸らせて、即座に立ち上がる。ふむ、眼鏡の男が大袈裟に頷いた。


「キミ、首輪つきだね。どうしたの? もしかして迷子?」

「っ、なん、でも、ありません! 失礼します!」

「待って待って! せめて番号教えて! そこに事務所あるから、お茶しようよ~!」

「結構です! おつかいの途中なので!!」


 下手な勧誘のようなそれが、ますます不審だ。絶対危ない人だ。こわい。


 慌てて駆け出すも、はたと財布がないことに気づく。

 数歩で緩んだ歩幅が、呆然と立ち止まった。


 僕の生活は、セシルさんに依存し切っている。

 心苦しかった。さりげなくセシルさんに、アルバイトの相談もした。結果はお察しだ。


 けれども月日が過ぎるごとに、罪悪感が薄れていった。

 今ではセシルさんのお金を使うことが、当然となってしまっている。

 ……こんなはずじゃなかった。僕は来年成人するのに、こんな依存し切った生活をしなければ、生きることすらままならないなんて。


 じわり、またしても涙が視界を覆う。慌てて両手で顔を覆った。……今日は泣いてばかりだ。こんなのじゃいけない。

 靴音に振り返ると、さっきの眼鏡の人がいた。困惑したように白衣の袖を揺らしている。


「……だいじょうぶ?」

「平気です。放っておいてください」

「あー、その。……ボクはルーカス。魔術師管理局で働いているんだ」

「はい?」


 僕の目線と合わせて、ルーカスと名乗った彼が、覗いた口許を笑ませた。

 魔術師管理局……って、セシルさんがちらっと説明してくれた気がする。ええと、なんだっけ?


 戸惑う僕に、ルーカスさんがうんうん頷いた。


「ボクも魔術師だから、警戒しなくていーよ。キミ、自分の番号わかる?」

「……すみません。僕はこの国の人ではないので、仕組みがわからないんです」

「あー、なるほどぉー。立ち話もなんだし、事務所行こう? ね!」


 にこにこ笑うルーカスさんが、ずれる眼鏡を押し上げて、彼方を指差す。

 ……ルーカスさんは、僕と同じ魔術師らしい。

 その『事務所』とやらへ行けば、詳しい話が聞けるのかな?


 白衣の袖の示す方角を確認して、躊躇いがちに頷く。


 ルーカスさんは、依然としてあやしい。

 けれども、僕の知ってるヴィルベルヴィント国の知識は、全部セシルさんが教えてくれたものだけだ。

 セシルさん以外に、頼る人がいなかった。

 だから、他の人からも話を聞いてみたい。


「よーし! いっくよー!」


 両手を振り上げ、ずんずん僕の背を押すルーカスさんは、どうやら少々浮いている人らしい。

 広場にいた人々の冷めた視線とひそめられた小声に、騎士団支部での出来事を思い返した。

 震える手で鞄の肩紐を握り、顔を俯ける。急ぎ足でその場をあとにした。

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