から揚げ定食とお悩み相談室
「絶対に嫌われた……」
大衆食堂の使い込まれたテーブルに肘をつき、セシルが頭を抱える。
もぐもぐとから揚げを頬張るジゼルが、みそ汁を啜りながら不可解そうな顔をした。
ふたりの顔面偏差値は異様に高く、そのテーブルだけ浮いて見えた。
外見だけで判断するなら、ふたりともこのような下町の大衆食堂よりも、高級レストランの方が似合っているだろう。
しかしジゼルはこの食堂の常連客であり、男くさい客層も、誰ひとりとして彼等へ目を向けることはなかった。
店員のおばちゃんも慣れたもので、注文の際には「ジゼル、またから揚げ定食かい?」と朗らかにしていた。
もきゅもきゅ昼飯を消化するジゼルとは異なり、セシルの前には水の入ったグラスしかない。不審そうな顔で、ジゼルが口を開いた。
「だから、何が」
「知っていますか、ジゼル。人は恋をすると、食事も喉を通らなくなるんです」
「医者呼ぶか?」
「そのみそ汁、頭から被りたいそうですね」
「やめろ。みそ汁に罪はない……」
どん引きの顔で背凭れに身を預けたジゼルが、みそ汁を守るように飲み干す。
据わった目のセシルが、重たく息をついた。
「……アオイくんは、魔術師です」
「……まじ?」
「まじです。それもアストロネシア公国から誘拐されてきました」
「まじかぁー……」
げんなりとした顔で、ジゼルがから揚げを箸で摘む。
セシルの潜められた声量は、がやがやと賑やかな食堂に埋もれ、正面に座る兄にしか届かなかった。
威勢の良いかけ声を上げ、店主がカウンターへ皿を置く。おばちゃんが豪快な仕草でそれを運んだ。
「最近多いよな、その手のケース」
「迷惑しています。手引きしているそいつらの生皮を剥ぎたい」
「やめろ。お兄ちゃんごはん中だ」
「騎士団ジョークです」
「初めて聞いたわ」
ジゼルのから揚げを食べる手が止まり、彼が添え野菜を掬う。
無心にぱりぱりレタスを食べる兄が、妹へじと目を向けた。
「……じゃああれか。アオイは初めて捕縛現場を見たのか」
「はい。……配慮が足りませんでした。アオイくん、とても怯えた顔をしていたんです。……ショックだったのだと思います」
憂いた顔でため息をつき、セシルが組んだ指先に額を乗せる。
神聖ささえ感じる様相だが、正面のジゼルは素気なかった。ぱりぱりしたレタスを、ごくんとしている。
「探しに行ってやれよ」
「もう行きましたよ。あなたがここでのん気にから揚げ定食を頼んでいる間に、何度広場と街道を往復したことか」
「俺のことけなす必要あったか?」
「可愛い妹がこうして縋っているんです。少しは手助けしようという気概はないのですか?」
「こんなときだけ妹面する!? お兄ちゃんのことサンドバッグにして!?」
愕然とジゼルが震えるも、セシルの半眼に諦めたように肩を落とした。
茶碗を手にした彼が、もそもそと箸を動かす。
「外には出てないのか?」
「共鳴が起きていないので、この街の何処かにいます」
「おう。じゃあ、これ食ったら探すの手伝ってやるわ」
「今すぐという選択は出来ないのですか? 今頃、私のお嫁さんが心細い思いをしているかも知れないんですよ?」
「待て。誰が誰のお嫁さんだ?」
げほっ、噎せたジゼルが、咳き込みながら湯飲みを煽る。
目尻に涙を溜めた彼へ、セシルが生真面目な顔で答えた。
「アオイくんが、私のお嫁さんです」
「やべえ。どこからつっこもう」
食器をことりと置き、両手で顔を覆ったジゼルが天井を見上げる。わいわいとした賑やかな声が遠い。
兄の不審な動作を見守るセシルは、無表情のまま微動だにしない。
意を決したように、ジゼルが顔を下ろした。
「お前、ショタコンの気があったのか? その職業でそれはだめだ。あいつ未成年だろ」
「アオイくんは17歳です。来年成人します」
「どう見ても15歳!!」
「否定はしません。しかし本人がそう言っているので、私はそちらを推します。童顔なんですよ、きっと」
「ふーん!?」
ジゼルが再び両手で顔を覆う。
――ええっ、まさかこいつ、本気で言ってるのか? 本気でアオイを娶ろうとしているのか!?
「待て、いやっ、どうしよう。はっ、相手に合意は得ているのか!?」
「書面で確約を得てから、じっくり話し合います」
「ふーん!? 書類が先? へえー!?」
真面目なセシルの迷いない言葉に、ジゼルは戦慄した。
どうしよう、うちの妹が犯罪者になる。その書面に効力はあるのか? 手段が詐欺じゃないか?
額を押さえた彼が、湯飲みを握った。
「なあセシル。俺の記憶に偽りがなく、お前も邪法に手を染めてなければ、お前、女だよな?」
「男女差別ですか? わかりました。心身が使いものにならなくなるまで潰します」
「何でお前、そうやってすぐマウント取ろうとすんの? 喧嘩っ早いのいくない」
「失礼しました」
苦笑を浮かべたセシルが、背筋を正す。
中性的な見た目は身長もあり、より印象を優男へ近づけた。
「お嫁さんは愛称のようなものです。響きが可愛らしいじゃありませんか」
「……あっそ」
「ジゼル。あなたは女性へプレゼントを贈るとき、何を基準にしますか?」
唐突な質問に、きょとんとジゼルが瞬く。
思案気に顎に触れた彼が、出題主へ目を向けた。
「金額とかか? あんま安いの贈れないだろ」
「あなたと私の価値観の違いって、こういうところですよね」
「んん?」
「私、はじめて花をもらったんです」
はんなりと口許を綻ばせたセシルが、席を立つ。
腕を組んで視線で促す姿に、皿に残ったから揚げを名残惜しそうに見下ろしたジゼルが従った。椅子が床を擦る。
財布を取り出した彼が、金銭を支払う。店員の快活な笑顔がふたりを見送った。
ガラガラ、横開きの扉を閉めたところで、はたとジゼルが顔を上げる。
「ああ、そうそ。お前また受診さぼっただろ。ルーカスが愚痴ってたぞ」
「……ばれましたか」
「お前なあ、倒れても知らねーぞ?」
白々しいまでにしれっと顔を背けるセシルに、兄がため息をつく。
ジゼルが腰のポーチから薬袋を取り出し、妹の手へ押しつけた。
「預かりもん。ちゃんと飲んどけよ」
「……この頃、飲まなくても平気なんですよ。不思議と」
「まじで?」
「乾布摩擦のおかげでしょうか」
「え。俺もする」
「冗談ですよ」
奥まった路地から道なりに歩くセシルが、薬袋の中身を確認する。
交差するシートには白い錠剤が並んでおり、無機質な顔がそれをポーチへ押し込んだ。
あっさりとからかわれたジゼルが、不貞腐れながらセシルの後ろに続く。
白手套をつけ直す兄へ、妹が振り返った。
「ジゼル、体調に変化は?」
「……変わんねーよ」
「そうですか」
「うそ。この前、テラリウムに行った」
ぴたり、セシルの歩みが一瞬止まる。
何事もなかったかのように再開される動作が、暗い路地から大通りを目指した。
頭の後ろで手を組んだジゼルが、あーあとため息をつく。
「俺、あんま長くねーかも……」
「ジゼル。らしくないですよ」
「……わりぃ」
ぴしゃりと遮ったセシルの声に、ジゼルが口を噤む。そのまま言葉はなく、黙々と靴音だけが響いた。
大通りへ出た彼等が、過ぎ去る人波に加わる。
雑多な街路を進む彼等が、ふと違和感に気づいた。
ふたりは広場を目指していたが、その広場の方から人が押し寄せていた。
遠くを窺えば、鬼気迫った声で何かが叫ばれている。脚を縺れさせる群集は、何かから逃げているらしい。
異常を察したジゼルが耳を澄ませる。誰かの悲鳴が耳をつんざいた。セシルが上空に黒い影を見る。
「ドラゴン!?」
「何でだ……? あの種類、人を襲わないタイプだろう……?」
「ジゼル、どういうことですか!?」
焦ったセシルがジゼルへ振り返る。
愕然としている彼は、襲い来るドラゴンを目で追い、顔色をなくしていた。
「ドラゴンだ!! ドラゴンが襲ってきた!!」
「逃げろッ! 喰われるぞ!!」
怒号と泣き声が恐慌を訴える。
さっと顔色を悪くさせたセシルが、広場を目指して駆け出した。舌打ちしたジゼルがそのあとを追う。
しかし流れに逆らう行為は中々目的地へ辿り着けず、焦燥を煽った。
ようやく辿り着いた広場で、目の当たりにした光景に絶句する。
かつての街並みは見る影もない。
砕けた石畳と、割れた壁面。散らばる赤い染みと転がる肉片、動かない肢体。そして数多の翼竜と交戦する、騎士団員等の姿がそこにはあった。
上空を埋める黒い翼竜が、甲高い咆哮を上げる。
大きく開かれた口には鋭い牙が並び、長い尻尾が鞭のようにしなった。
小さな個体で1メートル、大きな個体で2メートルほどの、比較的小型のドラゴンだった。
「数が多過ぎる! 増援を呼べ!!」
「くそっ、こいつら襲わないはずだろ!? どうなってんだよ!!」
「誰かが巣に入ったんだろ! 余計なことをしてくれるッ!」
騎士等が悪態をつきながら、剣を振るう。ぐぎゃっ、一体の翼竜が血を流した。
「アオイくんは!?」
「落ち着け、セシル! 目の前のことに集中しろ!!」
ジゼルが刀を抜く。彼の顔に、先ほどまでの飄々とした色はなかった。射抜くような目で、鋭い鉤爪を振り下ろす翼竜と相対する。
ぎゃあぎゃあッ、空が旋廻するドラゴンで埋め尽くされる。
「セシル!!」
「……ジゼル、ここを任せます」
「おいっ、セシル!?」
翼竜の流れを目で追い、セシルが駆け出す。ジゼルの制止を振り切り、黒の手套が刀を抜いた。
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