第七話 空高く

第7話 空高く(前編)



 ある日、森の奥の魔法屋に、ずいぶん可愛らしい客があった。いくら処女の肌が大好きな一角獣のソルティレージュでも、これはさすがに相手が幼すぎる。まだ十かそこらの少女だ。


「お願いよぉ。あたしの友達を助けて」


 少女は泣きながら駆けてきて、ソルティレージュの袖にしがみついた。くしゃくしゃの茶色の髪と、そばかすだらけの顔の、なんとも元気な女の子だ。


「こんな森の奥まで、よく一人で来られたな。お嬢さん。大人に叱られないのか?」

「帰ったら、きっと叱られるわ。でも、いいの。お尻をぶたれても平気。あたし、リュードブランを助けるの」

「リュードブランが友達の名前か。しかしね、お嬢さん。ここは魔法屋だ。何もタダで願いを聞くわけじゃないんだ」


 ソルティレージュの魔法の代償は、金貨や品物で貰うこともあるが、たいていは、その願いごとに関係する娘の最初の相手になることだ。これまでもそうだったし、これからもたぶん、ずっとそうだ。あどけない少女を前にしては、とてもそんな気分になれない。


「そんなこと言わないでぇ。お金なら、なんとかするから。あたしが大きくなったら、きっと働いて返すから」

「大きくなったらか。そうだな。じゃあ、あと五年もして、おまえがもう少し大きくなったら、大事なものをくれ。それなら言うことを聞いてやってもいい」

「約束する! なんでもあげるから、ブランを助けて」


 ちょうど季節は春。

 ソルティレージュの永遠の恋人アンフィニのいないときだった。

 ちょっと退屈しのぎに、そんな約束をした。


「それで、おまえの友達がどうしたんだって?」

「リュードブランはとなりのおうちの男の子なの。あたしの大切なお友達。森のなかでまちがって毒キノコを食べてしまったの。お医者さんはもう助からないって」

「なんだ。そんなことか。では、さっそく行こう。急いだほうがいいな。おまえ、少しのあいだ、こうしてろ」


 女の子の頭にすっぽり革袋をかぶせてしまって、ソルティレージュは一角獣の姿に戻る。女の子を乗せて街まで急いだ。一角獣の足なら、森をぬけて街へ行くのなんて瞬時のことだ。袋をかぶせられた女の子が息苦しさを感じる暇もない。


「この街だな? 家はどこだ?」


 ふたたび、一本角のひたい飾りをした白銀の髪の世紀の美青年に化身したあと、少女の頭から袋を外す。


「わあ、すごい。もう街についてる。やっぱり魔法使いって、すごいのね」

「そんなことはいいから、家は?」

「こっちよ」


 少女に手をひかれて、大通りから細い路地に入っていくと、どこからか毒の匂いが漂ってきた。一角獣は人間よりずっと鼻がいい。匂いには敏感なのだ。


「ああ。これは、だいぶ悪いことになってるな。急がないと死んでしまうぞ」


 こぢんまりとした家が続くなかを走っていって、辿りついたのは、いかにも貧しい職人の家。病人のいる家は、外から見ても暗いふんいきで、家のなかからは泣き声が聞こえていた。


「おじさん。おばさん。魔法使いをつれてきたわ。もう大丈夫よ」


 戸口に駆けこみ、病人の寝かされたベッドの枕元へ急ぐ。危機一髪だ。男の子は白目をむいて痙攣けいれんしたまま、顔色も、どす黒い。もはや、虫の息である。


「どいてろ」


 ソルティレージュはベッドに群がる家族たちを押しのけ、少年を抱きおこした。ほんとは嫌だが急を要するので、しかたない。あわをふいている少年にくちづけて、全身にまわった毒を吸いだした。もちろん、こんな方法ができるのは、ソルティレージュが悪魔だからだ。悪魔には人間の毒なんて効かない。


「きゃーあっ。あたしのブランに何するのよぉー!」

「おれだって嫌なんだ。我慢しろ」


 何度か毒を吸いだして、床に吐きだす。少年の顔色は見違えるほどよくなった。痙攣もおさまり、寝顔が安らかになっていく。こうなると、少年もなかなか可愛らしい。そばかすだらけの女の子より、容姿はいいかもしれない。


「これで毒は全部、吸いだした。まだ熱はあるが、すぐに意識も戻るだろう。今日明日を休めば、もとどおりだ」


 両親は泣いて喜び、女の子は少年を抱きしめた。


「ありがとう。あなたのおかげだわ。あたし、きっとお礼するから」

「約束だからな。まあ、おれが忘れてなければだが」

「あたし、カランドルよ。おぼえておいてね」


 それだけのこと。

 じつのところ、ソルティレージュはほどなく少女のことなど忘れてしまっていた。女の子は不器量とまでは言わないが、そんなに食指が動くほどの美少女ではなかった。


 白雪の肌のかぐわしい恋人のアンフィニと何度かの冬を楽しんだあと、ふと思いだしたのは、まったくのぐうぜんだ。アンフィニのいない夏を一人さみしくすごしているとき、空高く舞いあがるヒバリを見て、ヒバリのようによく喋る元気な女の子のことを、急に思いだしたのだ。


(あれから何年経つかな。そろそろ会いに行ってみてもいい。もしかしたら、わりにチャーミングに育ってるかもしれないし)


 あんまり期待せずに、ソルティレージュは街まで行ってみた。

 記憶をたどって少年の家まで赴くと、おぼえのある女の子の匂いがした。なんだか、とても豊麗な処女の匂いになっていた。荘厳なまでに清らかな香りだったので、ソルティレージュはビックリしてしまったのだが……。


「おい。約束のものを受けとりにきたぞ」


 いい香りのする家に入ろうとすると、戸に鍵がかかっている。さては借金をとりたてにきた魔法使いを見て、閉めだしにかかったなと思い、ソルティレージュは魔法で鍵を外すと、家のなかに乱入した。


 そこには娘の父と母がいて、鍵をものともせずに入ってきたソルティレージュに目をみはっている。


「ひえっ。お助けを」

「どうかお許しくださいまし」


 口々に言うのを、ソルティレージュは冷たく見おろした。


「大事なものをくれるという約束で、となりの小僧を助けてやったんだぞ。今になって約束を反古ほごにしようだなんて、虫がよすぎる。魔法使いとの約束をやぶればどうなるか、わかっているんだろうな? この家の全員に呪いをかけてやるぞ」


 嘘をつかれるのは、一角獣がもっとも嫌うことだ。一角獣はとても誇り高いのだから。


 憤然としていると、どこか家の奥のほうから、女の子の声がした。


「お父さん。お母さん。その人の言うとおりだわ。あたし、たしかに約束した。約束は守らなくちゃ」

「だけど、おまえ、カランドルや……」

「いいのよ。この人は魔法使いだから、きっと内緒にしてくれるわ」


 どうも、ようすがおかしい。

 変だなとソルティレージュが思っていると、家の物置の戸があいて、カランドルが出てきた。その姿をひとめ見て、悪魔で魔法使いのソルティレージュですら絶句する。


「こいつは……驚いた」


 なるほど。どおりで両親が必死でこの子を隠そうとするはずだ。


 そばかすだらけの可愛い娘になったカランドル。

 だが、その背中には、大きな純白の翼が生えていたのである。

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