第5話 幸福のおまじない(後編)



 さて、そのころ、ソルティレージュはまた別の仕事にとりかかっていた。あの高飛車なイヴォワール姫の高慢の鼻をへし折るために、となりの国のお城に参上していた。


 じつのところ、姫の両親は、ロカイユ王と娘の結婚を良縁と思っていたのに、王女が無礼千万な態度で王をあしらったので、娘を持てあましていたのだ。


「娘を隣国の王のもとへ嫁がせることはできぬだろうか? 姫ももう二十二。女として決して若すぎるということはない。このまま行き遅れてしまえば不幸になるだけだ。叶えてくれるなら、わが国の宝をさしだそう」


 そんな申し出が、姫の父王からあった。このころの女と言えば、十五、六で結婚するのがあたりまえだった。


「うん。たしかに、王侯貴族の娘が二十歳をすぎて独り身だなんてありえない。いいでしょう。受けますよ。その話」


 そして、その夜、王宮に忍びこんで、ソルティレージュはぐっすり眠る王女の寝具のなかへもぐりこんだ。月の光も星の光もささない暗い夜だ。


「あ……あなた、誰なの?」

「しッ。いい子にしてたら、いいものをあげるよ」

「イヤよ。無礼者。離しなさい」

「イタタ。私の顔をひっかくなんて、乱暴なお姫様だな。聞きしに勝る高慢ちきだ。悪い子にはお仕置きしないとな」

「何するのよ」


 もちろん、そのあとはいつものように首尾よくいって、姫君は自分の体をすっかり作りかえた男の胸にすがって泣いた。もうこの男が来てくれないと思うと、さみしくてならない。


「あなたが好きよ。また来てくれるわね?」


 だが、男のほうは、王女の出来に満足すると、するりと寝台をぬけだす。


「待って。あなたは誰?」

「今は言えない。もしまた会いたければ、今夜、となりの国の街外れの宿へ来なさい。窓をしめきって、明かりをつけずにいるんだよ」


 宿の場所だけ告げて、男は去っていった。


 その夜、イヴォワール姫は町娘に化けて、となりの国へ行った。言われた宿はすぐにわかった。宿の一室で命じられたとおり、窓をしめ、明かりをつけずに待っていた。


 深夜になって、男はやってきた。

 何も言わずに王女のよこたわる寝台に入ってくると、昨夜と同じ技巧で王女を歓喜させた。


「いいわ。なんて素敵なの」

「おお、この味だ。これこそ、余の求めていたもの」


 情熱を出しきって、さて枕元の明かりをつけると、男は以前、王女が冷たくつっぱねたロカイユ王。王も驚いて、イヴォワールを見つめた。


「あなただったのか。イヴォワール姫。しかし、あの味は……」

「お願いよ。わたくしをこんなにした責任をとってくださるわね? 以前の無礼はこのとおり、謝ります。わたしが愚かだったのよ。あなたが、こんなに素晴らしい人だったなんて」


 涙を流して謝罪されれば、王も怒る気にはなれなかった。それに、王女の味は、ずっと探していたあの人とまったく同じだった。それもそのはず。ソルティレージュが昨夜、魔法でエメロードと同じ作りに変えていたのだから。王を宿に行くよう仕向けたのも、当然、ソルティレージュだ。


 どうしても結婚してくれとせがむイヴォワールを説得して、いったん帰らせ、ロカイユ王が城へ戻ると、王の寝室には愛しい人が待っていた。だが、もう、それは動かない。冷たい石の人形に戻っていた。


「すべては、あなたの加護だったのか。あなたがイヴォワールとの仲をとりもってくれたのだ。余にイヴォワールをめとれと言うのだな?」


 石の人形は答えない。


 翌日、ロカイユ王は使者を送り、正式にイヴォワール姫に求婚した。


 一方、本物のエメロードは、いまだに人間界をさ迷っていた。なにしろ絶世の美女だから、どの男も親切にしてくれる。が、何人試してみても、もとの夫ほどの宝物にはあたらない。人間の男の貧弱さに裏切られるたび、エメロードはもとの夫が恋しくてならなくなった。殿様の逞しさと男らしさが、たまらなく懐かしい。


 そうして旅するうちには、つらいこともあった。その日の宿のためには嫌な男の誘いにも乗らなければならなかったし、食うものに困ることもあった。お金の苦労を知らずに育ち、結婚してからもずっとゴブリン王の愛情を一身に受けて、温室の花のように大切にされていたエメロードは、貧しい暮らしには耐えられなかった。人間の世界がこんなに苦しいものだということを、初めて思い知った。


「もう嫌よ。あなたのところへ帰りたいわ。わたしの愛しい人は、あなただけだわ。ポワーブル」


 寒風の吹きすさぶ街路で、エメロードがすすり泣いていると、小さな影が近寄ってくる。体は小さいけれど、誰にも負けない大きな愛を心とズボンのなかにかかえて。


「じゃあ、帰ってきちゃあどうだね」

「あなた!」


 エメロードは小鬼の夫にしがみついて、その夜は芯までとろけるように甘えつくした。


 そのあと、愛する奥方が心を入れかえて帰ってきたので、気をよくしたポワーブルが、ふたたびソルティレージュを宴に招いた。幸せそうな二人を見ると、いつになく、ソルティレージュはさみしくなった。


(おれにもあんな恋人がいてくれたらな。まあ、処女しか愛せないおれには、もとからムリな話なんだが)


 死んでしまった兄のようには、自分は恋人に対して歯止めがきかないことを、ソルティレージュは知っている。永遠に変わらぬ恋人など、願うだけムダなことだと、誰よりもよくわかっていた。


 一角獣は恋をするには不向きなのだ。

 ずいぶん長いこと人間たちに魔法をかけて、多くの恋人どうしをつれそわせてきたけれど、自分自身にだけは、その魔法をかけることはできない。これからも、ずっと一人で生きて、気ままに刹那せつなの恋を楽しむしかない。


 そう考えていたところに、ポワーブルが言いだした。友人はソルティレージュに最高の贈りものを用意してくれていたのだ。


「ソルティレージュ。おまえに報酬をやってなかったからな。こいつを貰ってくれ」


 ポワーブルがつれてきたのは、なんとも愛くるしい美少女だ。少し、エメロードに似ている。でも、エメロードともまた違う趣があった。その肌からは千年も人の入らない聖域で守られてきた、清らかな根雪のような香りがする。ひとめでソルティレージュは恋に堕ちてしまった。


「これはまた、最上級の乙女じゃないか!」

「そうだろう? こいつは、おれと奥の娘だよ」

「それじゃ貰えないよ。おれは相手が処女のうちしか愛せないんだから。捨てるとわかっていて、おまえの大切な娘を貰うわけにはいかない」

「ところが、こいつは特別仕立ての娘なんだ」


 美しい娘は、大地のふところに眠る、けがれない雪を刻んで、ポワーブルとその手下たちが精魂こめて作った彫像だ。雪でできた人形に、エメロードの血をまぜて、ポワーブルが魔法をかけたので、生きて動く雪の精になった。雪娘は愛されて体が熱すると、溶けて消えてしまうが、やがて雪の降る季節になると、また新しい体を持って、新雪から生まれてくる。永遠の乙女だ。


「では、おれは、いつまでもこの子に恋していられるんだな? 何度、愛をかわしても、ずっと心変わりしなくてすむんだな? なんてことだろう。そんな夢のような乙女がいるなんて」

「いい子だろう? この子に名前をつけてやってくれ」

「アンフィニだ。この子こそ、おれの永遠の恋人だ」


 おまじないがすべての人を幸福にして、宴は一晩中、続いた。




 了

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