35日目  大垣ー長浜


 昨日とうって変わって早目の出発。

 今日は関ケ原を経由して、琵琶湖に面した長浜まで行く予定だ。


 大垣駅前は意外と言っては失礼だけど、結構都会で歩道もしっかり整備された道だ。それを西へと向かう。

 しばらく進むと、先の線路をくぐるような道になってしまい、徒歩ではいけなくなってしまったので、脇道に逸れて養老線の線路を渡る。住宅街を通る小さい道になったけど、歩道の有る無しを気にしなくていいのである意味楽だ。というわけで、国道に戻らずそのまままっすぐ進んでいく。

 住宅街の小道を抜けると、急に家がなくなって畑が現れた。ちょっとした大きさの杭瀬川を越えると、多少家々が並んでいるけど、基本畑。

 関ケ原までずっとこんな感じなのかなと思ったら、また普通に住宅街に戻った。そういえば、内陸を歩くのは今回が初めてだけど、意外とこういう道が多いのかな。

 その後もちょくちょく畑が目立つ狭い住宅街を抜けていたけれど、そろそろくねくね曲がって進むのにも疲れたので、大谷川を渡ったあたりで、北に進んで国道21号線に合流した。うーん。この広い道と真っ直ぐ感がもう懐かしいよ。


 歩きなれた国道を進んで垂井町に入った。まっすぐの道路の先に、左右に山が見えている。その山の間を突っ切る感じだろうか。「中山道の追分・宿場町」と書かれていたので、昔からのルートなんだろう。ずっと東海道を歩いてきたけれど、いつの間にか中山道を歩いていたようだ。それにしても今も昔も西に抜ける道は同じなのか。

 関ケ原まであと8キロとあった。その看板の近くにはラーメン屋とネットカフェ。これは日本全国どこにでもあるなぁ。さて昼食にはまだ早いけれど、この後谷の間を越えるので人里離れた場所も歩くかもしれないし、食事処も考えないと。

 いつの間にか片道一車線になった国道を進んでいると、スーパーやら百均やらのちょっとした複合施設があったので、トイレ休憩。ちょっとした座る場所があるだけでも助かる。今日も暑い。ここまで二時間弱だ。


 そこから少し先に進むと「池田輝政陣跡」という立札があった。もしかして関ケ原関連だろうか。ちょっと気になったので寄ってみた。ちなみに、その隣に「池田興業岐阜支店」ていう倉庫があったんだけど、池田繋がりってわけじゃないよね?

 国道からそれて入ってみると、やはりここが関ケ原の戦いのときの池田輝政の陣地だった。地図を見ると、ここからさらにちょっと南に行ったところに、弁当を食べていただけの吉川広家の陣。そしてその先に見える山が毛利秀元が陣取っていたという南宮山だった。

 関ケ原はまだ先だけどこの辺りから、戦いがあったわけだ(ここはにらみ合っているだけだったけど)。さすが天下分け目の戦い。スケールが大きい。


 再び国道に戻って進む。ファッションセンターのしまむらが見えてきた。店舗の隣に倉庫があるんだけどそれが半端なくてデカかった。どれだけの衣服があるんだろう。

 今度は竹中半兵衛を生んだお寺の紹介の看板。戦国好きには見どころの多い地域だ。そして徐々に関ケ原の中心に近づいてきたからか、山間が目立つようになってきた。いちおう歩道はあるんだけど、ほとんど人が歩いていないからか、すぐ横の森や山からの草の浸食が激しくて動きにくい。

 右手に「おふくろの味 天下茶屋」ってあった。これも関ケ原にあやかっているのかな。なんて思っていたら、今度は「天下分け目のめん処」だ。

 さてここから少し歩くと今度は左手にちょっとした小山が道路に面している。そこの丘の中腹に「徳川家康最初初陣の地」というのぼりが見えた。桃配山だ。ちょっとした丘で、家康も歳だから高い山に登るのは大変だったんだろうなと思う。まぁあまり高くて深い山じゃ大軍を置けないか。木が生い茂って隠れているけれど、当時はこの山から石田三成の陣地が見えたのだろうか。

 さらに国道を西へと進む。家々が立ち並んでいるけれど基本的には平地だ。少し離れたところにぽつぽつと小山が見える。ここで天下分け目の大戦があったと思うと、何とも感慨深い。


 しばらく歩いて関ケ原駅に到着。有名な名前の割に、質素な駅だ。周りにも駅ビルも何もない。お昼時だけど、見事に店がない。代わりに家紋や旗が至る所に立っている。やはり「関ケ原の戦い」を売りにしているのだろう。

 駅から少し離れたところに「関ケ原歴史民俗資料館」がある。電車で来た人はここでレンタル自転車を借りて各地を回ることができる。実は以前ここにきて、自転車を借りて関ケ原一帯を回ったことがあるのだ。さっきの桃配山にもいってきたし。ただ今回は自転車を使えないので、あまり回ることは出来ないかな。

 そこから北西に向かうと、畑の中にぽつんと関ケ原古戦場という史蹟がある。広々とした畑が広がるその先に、小高い山があって白い旗がなびいている。石田三成の本陣、笹尾山だ。

 ただし今回の目的は別なので、本陣を横目に見ながら、国道365号線に入って、西へと関ケ原を後にする。なんか、敗走する気分だ。


 徐々に盆地から山の中に入ってきた感じ。長浜まで19キロと看板あった。さてここから歩く人間などいないような車専用の山道になってしまうのだろうか。幸い、国道わきにちょっとした生活道路があったのでそちらを進む。

 その道も途切れてしまい国道に戻ると……やはり歩道はなくなっていた。でもここ進むしかないし。

 けどほんの少し歩いたら急に道幅が広がり歩道が出来た。そしてその手前には「米原市」という看板。さすが鉄道の中継点。なんて思っていたら、「米原市」の看板の上に小さく書かれていた「滋賀県」の文字。

 おお。そうか。米原市に入ったということは、滋賀県に入ったのだ。さすが琵琶湖県。道もしっかりしているよ。

 というわけで、神奈川からスタートして、静岡・愛知・岐阜……そして五県目の滋賀県に入った。本当に山と山の間を抜けている感じ。海欠乏症になっているから、早く琵琶湖が見たいよ。


 歩道は山の中に入ると消滅。しかも国道は通行量が多いので、北側の県道に抜ける。県道と言っても家と家の間を通る狭い道だ。けど歩行者が歩いていても大丈夫そうな感じが助かる。もっとも不審者扱いされそうで、それはそれで心配。

 結局くねくねと住宅街を抜け、山道のようなところも抜け、国道に戻ってきた。歩道は復活していたので有難い。もう山を抜けたようなのでしばらくはゆったりとした平野を歩けそう。


 さてもう二時過ぎだしそろそろ食事したい。

 そんなことを思っていると海鮮丼のお店があったのでそこで食事をした。セルフサービスなので気楽でいい。なんでこんなところに海鮮丼って、今更ながらに思って、そっかもう琵琶湖が近いんだっけ。

 と納得したんだけど、食事を終えた後に気付く。琵琶湖にマグロはいないよね?


 ともあれ食事を終えて出発。

 先の関ケ原を抜けたけど、ここも長々と平野になっていて、遠くに山々が見える、盆地みたいな感じだ。そんな中、左右を畑に囲まれた小さな一本道を進んでいく。けどそれなりにロードサイド店や家もあって、進んでいくうちに歩道も復活して、少しずつ国道らしくなってきた。飛騨牛の看板があったけど……ここら辺では近江牛じゃないのか。

 敏達天皇の古墳が道沿いちょい奥にあるみたいなので寄ってみた。築山の上に樹木が生い茂ったようなこじんまりとしたものだった。もちろん一般人のお墓よりでかいけど。そういえば滋賀は近江京の舞台でもあるんだっけ。京都ほどじゃないけど、歴史ある地域だ。


 国道に戻って少し進むと、何でもないところに、「長浜市」という看板があった。どう区切ったのかは分からないけど、ついに目的の長浜に到着だ。

 Y字路を左に曲がって、県道37号線になる。ここをまっすぐ行けば琵琶湖が見えるはず。

 いつの間か、なだらかな平野がどこまでも続いて、前方に地平線が見えそうなくらいになっていた。道が立派なのは徐々に市街地に近づいているからだろうか。

 北陸自動車道の高架をくぐると、市街に入った感じだ。住居や建物も並んで栄えているんだけど、ごちゃごちゃしておらず密度が低いというか広々と感じられる。決して寂れているというわけでもなく、いい感じだ。

 そのまままっすぐ歩いて、ついに琵琶湖までたどり着いた。

 地元じゃ当たり前すぎるからか、湖沿いを道路が走っているだけで、公園や景観スポットもなかったけど、道路わきに立って、その光景を堪能させてもらった。

 さすがに広い、大きい。対岸が見えるけど、それは海でもあったから問題ない。


 というわけで今日はここまで。

 ちなみにホテルのある場所まで、また来た道を戻る羽目になるんだけど、まぁそれはそれで。

 


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