33日目  名古屋ー岐阜


 さて。一つの目標であった名古屋までたどり着いたので、これからのことを考えてみた。

 いままでの流れなら海岸線を伝うように、三重・和歌山の紀伊半島をぐるっと回るルートなんだけど、それだと岐阜県・滋賀県・奈良、京都までスルーになってしまう。日本一周というくらいなんだし、そこを通らないのはどうなのかな、と思ったのだ。

 そう考えた結果、岐阜に行って、琵琶湖経由、・京都奈良を通って、伊賀を抜けて伊勢に戻って紀伊半島、というルートを取ることにした。また寄り道が多くなったけど。


 というわけで、今日は岐阜を目指します。

 まずは名古屋に来たので、名古屋城。もちろん徒歩で行く。

 高速環状線の高架下を通りながら名古屋城へ。途中観光で海外から来たっぽい老夫婦に「キャッスル」ってお城の場所を聞かれたけれど、こっちも英語はさっぱりなので、右曲がって左って感じで「ライト、ストレート、レフト」ってジェッサーを交えながら答えた。果たして伝わったかな。本来なら一緒についていってあげたいんだけど、まだ遠いしご夫婦はゆっくりな歩きだったから、その場で別れてしまった。

 さて名古屋城である。開園ギリギリの9時に来たにも関わらず、結構人がいる。しかもさっきのご夫婦のように海外から来た人も目立つ。

 名古屋城は何年か前に来たけれど、工事中だった。小田原城もそうだったけど、現代でも時期によってお城も変わるから面白い。時間がないのでちらりと見ただけで、早めに切り上げて出発する。


 お城の北から西へと向かう。さすが名古屋。お城や市庁から離れても道幅は広く歩きやすい。環状線を通って国道22号線に合流する。

 片道三車線は昨日と同じなんだけど、やっぱり徐々に中心から離れている感じがする。途中、名古屋高速の高架が道路の真上を通るようになった。立体的な道路が何だか近未来的だ。

 庄内川を渡る。渡り切ったところに「清州市」と看板があった。てことは清須城から岐阜城って半日くらいで行ける距離だったのか。織田信長と斎藤竜興が10年くらい争っていたことを考えると、ちょっと意外だった。


 さてここからは車通りの激しいバイパスを避けて、名鉄の線路沿いを南に進んで、県道67号線に移動する。この道を選んだのはこの先に清須城があるからだ。

 歩道橋の看板に直進先に稲沢の文字。さすがにまだ岐阜は出てこない。

 新川大橋と書かれた橋を渡る。川が多い印象。さすが濃尾平野って感じ。

 そして清須城の文字が見えた。

 おお。意外とまともなお城だ。もちろん鉄筋コンクリートによる再建だろうけど、石垣すら残っていない城址よりも観光的にはいいかも。城内は展示館のようになっていた。こちらも軽く回って、ちょっと休憩してから出発。

 なんとなく、岐阜城目指して出陣、なイメージだった。


 清須橋を通って北へ。

 県道なので道幅も歩道も小さくなったけれど、まっすぐなので歩きやすい。まだ岐阜の山は見えず平たんな道がずっと先まで続いている。県道62号線を北上。そういえばこれからしばらくは海沿いを通らず内陸部を歩くんだよなぁ。癒しの海がないのが、寂しくなってきた。

 稲沢の駅前をそのまま通過。岐阜まで22キロという標識があった。まだ結構あるけど、歩けるペースだ。ちなみにまっすぐ同じ道路を歩いているのに、今度は190号に呼び名が変わっていた。ややこしい。そのぶん道は二車線で歩きやすくなったけど。

 左手にジョーシンのアウトレット。なんとなくだけど、西のイメージだ。

 まっすぐの道が続く。周りに山も大きな建物もなく、これぞ濃尾平野って感じだ。


 名神高速道路の高架をくぐってさらに直進。少し寂しくなっていた町並みがまた栄えるようになってきた。一宮市市街に入ったようだ。

 歩道橋の標識に、岐阜まであと18キロとあった。順調だ。それからしばらく歩いていると、名古屋に戻って来たようなビルが両側に立つ町並みに変わってきた。さすが県外の人間でも聞いたことのある都市、一宮である。


 チェーン店で昼食をとり、再出発。

 超高層ビルな市庁を通り過ぎる。ここからは徐々に中心から遠ざかっていくわけだが、しばらく歩いても綺麗な街並みが続いている。そのまま進んで国道22号線に合流。さすが国道。綺麗な道なんだけど、お約束通り自動車専用道路になってしまった。けれどそのすぐ横を自転車歩行者用の道があるので(普通の歩道とは違って、国道より低いところにある別の道みたい)、そこを国道に沿うように進む。

 やがて一宮木曽川インターチェンジに近づいてくる。こちらも当然歩行者は入れないんだけど、迂回するようにちゃんと歩道専用道がある。親切設計だ。


 インターチェンジを無事越えて、名岐バイパスを進む。徐々に登りになっていく。いよいよ愛知と岐阜の県境、木曽川である。今までの中でもかなり長く大きい橋を渡る。向こう側の河川敷の辺りに、岐阜県笠松町と看板があった。

 神奈川・静岡・愛知……そして四県目、岐阜県到着だ。そう考えると、やっぱり遠回りになるけど、内陸回って良かった気になる。


 さて。橋を渡って歩行者用の道を進んでいたら、国道から降ろされ、その先には土手があって、まっすぐ進めなくなってしまった。まぁ向かう先の岐阜駅は、まっすぐ北ではなく、北西にあるので、ここから西に向かうのもありだろう。

 というわけで左に曲がって西へと進む。右側の土手に「木曽川」という看板があった。ということは、ここも堤防の内側の河川敷扱いなのかと思ったら、その先にちっちゃな水路みたいなものがあった。これが看板の「木曾川」かな。支流みたいなものかも。

 そのまま真っ直ぐだとまた堤防の上を走るような歩道のない道になってしまうので、一本北寄りの道路、県道178号線を通って進む。国道より豪華だった天下の愛知県を抜けたからか、普通の県道だ。


 しばらく進むと目を疑うような看板があった。

 横断注意と書かれた青看板。ただそこに書かれているのが、人が乗った馬の絵なのである。馬横断注意。

 さすが天下布武で知られた岐阜。武士のごとく馬も進むのかと思ったけど、さすがにそうではないようで。

 地図を確認するとこの先に「笠松」の文字があった。そうあのオグリキャップの笠松競馬場だ。なるほど。その先には「馬専用」と書かれたのぼり道も見られた。ここからは何の建物も見えないけど、ただの土手が続いていて、その一角にのぼりの階段がありそこに「ようこそ笠松競馬場へ」と書かれていた。あそこが笠松競馬場なのだろう。残念ながら今日は開催日じゃなかったけど、仮に開催していても時間的に寄れなかったかな。


 競馬場を越え、笠松駅に到着。のぼりに「名古屋まで最速24分」とあった。それを半日以上かけて歩いてきたのだ。とはいえ歩き始めたころは電車30分の道のりを数日かけて歩いていたから、進歩しているのかな。まっすぐ直進的に進んでいるからだろうけど。


 駅前を越え、西に進んで境川を渡る。木曽川に比べたら小さく、町中を通る普通の川って感じだ。そして県道183号線にたどり着く。あとはひたすら北に向かえば、目的地の岐阜駅だ。

 まだ岐阜城の山は見えないけれど綺麗に整備された一本道で、早くも整備された城下町って感じだった。岐阜信用金庫の文字が岐阜に来たのだと実感させられる。

 途中、堀秀政生誕の地という石碑があった。織田・羽柴家で活躍した武将だ。岐阜出身だったのか。この辺りはそういう戦国時代のゆかりの地が多そうで、歴史好きとしては楽しめそうだ。


 そして無事岐阜駅まで到着。ちなみに岐阜城は、さらにこの先のようだった。時間と体力的にもつらいし、前に行ったこともあるので、今回はいいかな。

 というわけで今日はここまで。お疲れさまでした。


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