第35話 愛と神
ゴブちゃんが慌てた様子で私の元へ来ると、なにやら訳の分からないことを言った。いや、「私と交尾したい」というようなことを言ったのは分かるのだが、内容が頭に入ってこない。ゴブちゃんはメスだし、それにその前にモンスターだ。言葉の意味がよく分かっていないのか? いや、今まで一緒に過ごしてきたが、喋り方はつたなくとも言葉の意味はよく分かっているはずだ。つまり、同性愛者であり、異種族愛者であるということか? そんなことがあるのだろうか。単に私が優しくしたから、好きというだけなのかもしれない。彼女にとって一応私は、誘拐したゴブリンを捕まえた恩人でもあるはず。
「ハァ……ハァ…… シャトー、トカゲは、ムラを、ウバウ!」
「うん、さっき聞いた」
「モクテキは、シャトートノ、コウビ! アンテイシタ、コウビ!」
なにこの子、めちゃくちゃ交尾って言ってくるじゃん。
「ゴブちゃん分かったからとりあえず下がってて。トカちゃんは攻撃には手を抜かない。危ないよ」
「ワタシが、ヤル。シャトーを、マモリタイ」
ゴブちゃんは私の前に立つと詠唱を始めた。あの短期間で防御術も結界も覚えたのだから魔法はかなりできる。何をする気だ。
ゴブちゃんはいきなりトカゲの方へ走り出した。
「死ネ! 『
まさか攻撃魔術まで覚えていたとは。チンジャオやトカちゃんがよく使う爆発の魔術だ。ただ……弱い。これではトカゲの体はえぐれない。
しかもトカゲに近づきすぎ――
鈍い衝撃音と共にゴブちゃんが吹っ飛ばされる。トカゲの尻尾がモロに当たったのだ。骨折で済んだら幸運、内臓が損傷していれば命に係わるレベルだ。
くそっ。やはり、前に出すべきではなかった。私は急いで駆けつけ『
「いや、今のはそいつが悪いよな?」
「シャトー…………トカゲは……ヒキョウ……」
「分かったから、じっとしてて」
腕の骨が折れている。手でガードしたのだろう。あとは吹っ飛ばされた時に地面に打ち付けたせいで、頭から血を流している。手は後だ。頭を優先して治癒する。それでもゴブリンの体は人間と大差ないはずで、危険な状態だ。
ゴブちゃんは涙を流し、私の手を握る。
「シャトー、オネガイ……トカゲと……、コウビシナイデ」
「大丈夫、大丈夫だよ。交尾しないよ」
「ヨカッタ…………」
ゴブちゃんは安らかな顔でゆっくりと目を閉じる。
「ゴブちゃん!? ゴブちゃん! ゴブちゃーん!!」
「いやいや、これは絶対そいつが悪いよ? な?」
どうしてこうなっちゃうんだろう。私は普通に冒険がしたいだけなのに……。なぜこうやって悲しみの拳を振るわなければならないのか。
今トカゲを殴ったところで、状況は何も変わらない。ゴブちゃんが瀕死なことに変わりはないし、普通に考えたら、もう動力の樹はここに置くしかない。でもなんだろう……ボコりたい、ただボコりたい。ただでさえ面倒くさい仕事なのに、樹を盗み、仲間を裏切り、仲間を傷つけるなんて面倒くさいことしてくれやがって……、むしゃくしゃする。憂さ晴らしをしないと気が済まない。
「私は友達を傷つけた人を許さないよ。それがたとえ友達でもね。あなたを倒す。そして樹を取り返す。そして私が一人でタブリバーまで担いでいく。難しいけど不可能じゃない」
私ははっきりと構える。魔術の詠唱をさせないためだ。詠唱のそぶりを見せたら一気に突っ込むぞ、と。
「……どうやら本気のようだな。だが、俺はできれば戦いたくない。愛する者を傷つけたくないよ」
「そ、そんな言い方しても、ダ、ダメだから」
調子が狂う。
トカちゃんの話が本当なら、今回の騒動も、人間とモンスターが共存できる町を作るために起こしたという。それもこれも私たちが一緒に暮らしていくためだという。そんなことをしてもらえる女性が果たして世の中にどれほどいるだろうか。トカちゃんは自分が危険な目に遭ってまで樹を奪ってきたのだ。
…………いや、そんな考えは戦いにおいては邪魔になるだけだ。拳に不純物が混ざってはならない。それにあの野郎、バカデカい剣を思いっきりこっちに向けてやがる。何が「愛する者を傷つけたくない」だよ。あんなの食らったら普通に死ぬぞ。
踏み込むそぶりを見せると、トカゲが剣を振る。なんて剣速。やはり体術でも魔術でもなく剣術がメインの攻撃方法なのだ。全く隙がない。前回戦った洞窟と違い、フィールドも広く、剣も持っている。剣士と戦った時のように、『
私は法衣のスリットを開ける。一番リーチのある足技を出しやすくするためだ。
トカゲはちらちらと私の足を見る。私の蹴りを警戒しているようだが、残念ながら剣の間合いで私が自由に振れる技はない。こうなったら……
「『
続いて、法衣のポケットより煙幕を取り出し地面に叩きつける。
黒煙が舞う。夜の暗さと相まって使用した私も視界が閉ざされる。だが私には『サークル』によってトカゲの位置、足の配置がわかる。それが分かれば体の向きと構えが分かる。煙幕が風で流れる前に勝負を決めなくては。
「くそ! シャトー! こっちに来るんじゃないぞ! 俺の剣を食らったら体がへし折れるぞ!」
――などと言って、剣を振り回しているが、剣で煙を払っているのだ。打算的な奴め!
ぶちのめす……!
体勢をめいいっぱい低くし――大きく足を開く。そして、奴が振っている剣よりもっと低く、地面すれすれにしゃがんで後ろ回し蹴りを放つ! 狙うは軸足! 体重のかかった軸足に私の蹴りがヒットすれば最低でも膝は壊せる……!
丸太を蹴ったような感触、だが、思ったより手ごたえが薄い……! トカゲの体重にしては軽すぎる、軸足じゃなかったのだ。骨折はおろか、ダメージすら怪しい。ちゃんと軸足である後ろ足を狙ったはずなのに……。
……そうか、尻尾か。トカゲはあの極太の尻尾に重心をかけられるのだ。剣を振るときは尻尾も重心移動に利用しているのだ。
トカゲは転がりつつ距離をとる。くそう、反撃が来る。
煙が消える。トカゲは右手に剣、左手には魔術の準備をしている。
マズい。非常にマズいぞ。完全に距離を支配された。
今すぐ逃げるか、今すぐ突っ込むか、2つに1つだ。もちろん考えるまでもない。行ってやる……! ゴブちゃんがかけてくれた防御法術を信じる。ダメージを追おうが意識さえ保ってトカゲの体にたどり着ければ、ボコボコのボキボキにしてやる……!
ん? トカちゃんがよそ見をしている。なんだ!?
村人たちだ。そうか、こんな夜中だろうと、ここまで派手に暴れていたら、さすがに出てくるか。
こうなってしまっては、治癒師である私がドンパチやらかすわけにはいかない。しかし、トカちゃんとしても森へ引っ込むしかないだろう。トカちゃんにしたら、こんな老人やヘロヘロの男どもを皆殺しにするのはたやすくとも、本当に〝人間と共存〟したいのなら、この村で大暴れなどできるはずもない。
トカちゃんはあたりを見回し顔をしかめている。ざまあみろ、と言いたいところだが、チンジャオが樹を取り返せているとは思えず、依然トカちゃんの思惑通り進んでいるのだ。こうなったら私が森へ行くしかない。樹など別にどうでもいいが、もう意地でも取り返して、トカゲもトカゲの仲間も森の中で全員ボコボコにしてやる! そして倒れた奴らの目の前で樹を燃やしてやる! 荷車なしで運ぶなんて面倒なことできるか。
村人たちはぞろぞろとこちらへ来ると、1人の老人が私の方へ歩み寄る。
「冒険者さんよ。頼む。神様に手を出さんでくれ」
何を言ってるこのジジイ。
ほかの老人も来ると、私の前でこうべを垂れる。トカちゃんも不思議そうな表情をしている。なんだ? ということはこれはトカちゃんが仕組んだことじゃなく、予定外の出来事なのか?
「冒険者さん、頼む出て行ってくれ」
「余計なことしないでくれ」
「おねげえだ」
「冒険者は出ていけ」
なんだよこいつら。全く要領を得ない。
村人の中にいつも私たちとの交渉に立つハゲを見つけたのでこちらへ呼ぶ。
「どうなってんのこれ?」
ハゲは面倒臭そうな様子で、髪もないのに後頭部をポリポリと搔いている。
「俺はそうは思ってないんだが……彼らは大トカゲを神と思ってるんだよ。いつも村はずれの
「はあ? 私ら別に追っ払ってないし、なんであんなのが神になるの。姿を除けば普通の俗にまみれた男だよ。知らないの?」
「知らん。俺を含め村人は実物を見るのは今日が初めてだ。村では穢れのない子供だけが姿を見ることができると言われている」
それは確かトカゲが暇すぎて子供と遊んでただけじゃなかったか。
くそう、私だってこの村の子供とは遊んでいて、魚の取り方とか獣の倒し方とか教えているのに。夜だから子供はでてこない。
一部の老人がトカちゃんの前でひざまずき、手を合わせ拝んでいる。トカちゃんはバツが悪そうにしている。やっぱり分かっていなかったのだ。
どうする……。あと私にできることは……ないな。何もない。トカゲを殴れないとなると何もすることがない。そもそもトカゲを殴ったところで、多少スカッとするだけで、状況的にはすでに完敗が確定しているのだ。
大体あのトカゲが作戦を練ってここまでやってきたんだ。私なんかにどうこうできるわけがない。私は作戦とかが苦手なのだから。
そもそも私はなんで外に出てきたんだったか。まあいいや、もう殴れないなら何もしたくない。寝よう。ゴブちゃんも早く宿に連れて行って寝かせてあげたい。チンジャオの骨は明日拾えばいいや。
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