第5話 大トカゲと人間の女
村のクソガキどもがまた川のこっち側まで来てやがる。こっち側はイボシシや
この森に住み着いてから何年経っただろう。その間ずっと暇でやることがない。糞入りの落とし穴を一生懸命掘ってしまうほどだ。あまりに暇なので最近は食事にこだわっている。今日は小さいほうの魚がたくさん捕れた。〝アユ〟という名前らしい。〝マス〟より小さいが俺はこっちのほうが好きだ。このアユに限って言えばやはりシンプルに塩焼きがうまい。
せっかくの魚なので、
塩を取りに一旦洞窟に戻る。独りで食べる場合どこで食べるかが重要だ。今日は天気がいいから見晴らしのいいところまで行こうか。
アユで酒が飲めるなんて最高だ、と、るんるん気分で洞窟の出口へ向かったところで、誰かが来ることに気づいた。足音は複数、人間だ。
まずい、めちゃくちゃ油断してた。何人いる? 3人、いや4人か。やばいぞ。ここ何年も平和に暮らしていたから完全に気が緩んでいた。落とし穴に入れる糞を集めてる暇があったら、トラップのひとつでも作っておけばよかった。
だがまだわからん。話の出来る人間かもしれん。相手の出方を伺うか。
足音はすぐそこ、奴らが角を曲がったら俺が視界に入るはず……。
「きっ、貴様がトカゲか! 俺たちは――」
なんだかいきなりめちゃくちゃ怒って剣を抜いてきたので、とりあえず尻尾でぶっ飛ばす。どうやら話し合いをする気などなさそうだ。
人間の男が2人に女が2人、装備品から見て、今殴ったやつがリーダーか。たしかこの地域のリーダーは仲間を呼ぶ魔法を使うはず。先に殺さねば。
駆け寄ろうとした時、目の前に炎が広がる。
熱っ! 熱いよクソが!
結構な規模の火炎魔法。あらかじめ詠唱の準備をしていたにしろ、この短時間でこの威力はなかなかだ。だが燃えるものもないこんな洞窟ではさすがに長くは続かないはず。炎が消えたら一気にカタをつける。逃げようにもあの男はそう早くは動けまい。
いやちょっとまて。俺が横に置いたアユが燃えてるじゃないか! こんな強火で焼いたら台無しだよ! くそったれが。男の次は、炎を出した貧相なメスを殺す。
炎が引いた。だがなぜか煙幕が張られている。もうなんなんだよ! めんどくせえことしやがって!
「おごっっふ……」
腹に強い衝撃。なんだ!? 大槌? いや斧? 棍棒? そんなの持った奴なんていたか? それにしても痛い。体の芯に響く。ご飯を食べてたら確実に出てた。
煙が引いていく。俺の目の前に現れたのは女。ほとんど裸で、拳を構え、俺を見据えている。ということは今の打撃はまさかパンチか?
なんだろう、違和感が多すぎて整理がつかない。最初に目につくのはやはりその恰好だ。女は服を脱ぎ裸に近く、胸のあたりと性器のあたりのみに布があてられている。我々と違い、人間の性器は常に露出しているはず。それなのにあんな小さい布で隠しているだけとは。あんな白い三角の布だけでは何も守れないだろう。しかし、なぜか目が行ってしまうな。人間の性器になど興味はないのだが。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。敵は俺を殺しに来ている。
一番大きな違和感は、そう、こいつ逃げる気配がないんだ。人間の男とは前の町で関りがあったから多少知っているが、ドラゴンと素手でやりあえる奴なんているはずがないのに、こいつは戦おうと構えている。それにこいつは男ですらない。女だ。ほどほどに残された脂肪に、きっちり鍛えられた肉体をしているが、灰色がかった瞳が印象的なとても美しい顔立ちはまさに女だ。そして下半身の三角の布にはオス特有のふくらみがないことからも、女であることは明らかだ。よく見るとこの三角の布には細かい模様のようなものが…………違う。ここばかりよく見ている場合ではない。集中せねば。相手は俺を殺す気なのだ。今よそ見をするのは命取りだ。
女が踏み込んできた。俺の足を蹴り「ベシン」と鈍い音が響く。膝の上あたりに当たった。
そしていったん離れたと思ったらまた踏み込んで「ベシン」。
何をしている? こんなもの痛くもなんともないが。と、思っているとまた「ベシン」。
なるほど。文字通り足止めということか。ある程度時間を稼いだら自分も逃げる気だな。ならば攻めねばなるまい。
尻尾を軽く動かすと、女が大げさに距離を取る。尻尾はかなり警戒しているらしい。ならば『火のやつ』でもくらわせてやるか。ドラゴンに魔法が使えるなんて知らないだろう。左手に力を溜める。
「『火のや――ぶごっ!」
魔法の詠唱中に、思い切り突っ込んできた女に顔面を殴られ、最後まで言えなかった。そして側頭部に一発、いや二発殴られ、そのまま顔をつかまれ目に指を入れようとしてくる。慌てて腕を振り回すと、女は後ろへステップしてかわし、逃げ際にまた俺の足を「ベシン」。うぜえ。
クソ、こんな至近距離で戦っていては詠唱の時間が取れない。
しかし、こいつ殴り合い慣れしてやがるな。俺の射程圏内への出入りのスピードも、パンチやキックもめちゃくちゃ速い。正直全然見えない。どんな女だよ。剣と魔法のこのご時世に殴り合いなんて。
こうなったら1発殴られるのを覚悟でとっ捕まえて、押しつぶしてやる。
所詮人間など大きさも重さもたかが知れてる。つぶしてしまえばパンチの速さもくそもない。
尻尾を構え大きく振る。女がかわすと、今度は大きくこちらへ踏み込み、俺の顔面を殴る。痛いが顔ならまだ耐えられる。殴られるのに合わせ、両腕で女に抱きつく。
「捕まえた。もう許さねえ」
と、思ったら足を引っかけられ倒された。
転んだ俺の右腕に、女が自分の足を絡ませると、曲がらない方に! 痛い痛い! だめ、そっちは曲がらない! 折れる折れる! 折れる? 折れる!!
「『火のやつ!』」
空いていた左手で何とか魔法を唱えると、ちょろっとだけ炎が出て、女は飛びのく。どうにか腕を折られるのは免れたが、一番外の指を折られた。離れ際に指を力任せに引っ張っていきやがったんだ。ジンジンと痛みが襲ってくる。
こいつ取っ組み合いにも慣れてやがる。なんなんだ。剣と魔法のこのご時世に取っ組み合いなんて。どんな女だよまじで。
「トカゲのくせにしゃべれるのかお前」
今更かよ。殴るより先にそれ試せよ。
「別に珍しくもないだろう。それよりなんで俺を襲う?」
「お前が先に私の仲間をやっただろう」
「それはあいつがいきなり剣を抜いたからで。剣を抜かれたらそりゃあ――」
「屁理屈を言うな」
いやいやいやいや、どう考えてもまっとうな理屈だと思うが。
いつの間に持っていたのか、女は砂を投げてきた。俺はやむを得ず手で顔を覆うと、腹に再びあの大槌のような衝撃が突き刺さる。
「おごっっっ……ふ」
女はニヤッと笑った。
そして息つく暇もなく、顔面にパンチ。顔面を手でふさぐと、腹。次は顔面。そして顔面と見せかけて腹。また腹。足を「ベシン」。顔面、腹、腹、腹。
汚え。やっぱり人間は汚えよ。いつのまに砂なんか……クソっ、殴られすぎて腹が重い。体全体がだるい。石でも食わされたみたいだ。
攻撃を食らっている間に、やみくもに振った尻尾が当たったが、見た感じ大したダメージはないようだ。いくらガードされていたとしてもこの体格差でダメージが通らないなどあり得ない。戦う前に魔法か何かで『塗って』やがったんだ。準備してこの洞窟に入ってきたというわけか。
これはまずい。非常にまずい。この女、人間とは思えないパワーがあるし、素手の戦いにめっぽう慣れてやがる。こちらの攻撃は尻尾以外完全に読まれていて当たらない。せめてここが洞窟じゃなく森だったら、魔法の詠唱に必要な距離が取れるのに。せめて手の爪を切ったばかりじゃなければ、俺のパンチも多少は脅威だったはずだ。俺が綺麗好きだったばっかりに。
あとは、せめて剣があったら…………。いや……取りに行くか。俺の部屋までそんなに距離はない。このままではじり貧だ。女も踏み込みの速さは相当だが、単純な走力ならドラゴンの相手ではない。いける!
「うおー!」
と、叫びながら、尻尾を大げさに振り回す。女が後ずさったところで、洞窟の奥へ駆け出そうとしたその時、足が固まった。
……ダメだ。走れない。さんざん蹴られた足が効いてしまっているんだ。
一瞬隙を見せた俺を、女が見逃すはずがない。俺の頭を目がけた強烈な飛び蹴り。これをなんとか尻尾で叩き落とすと、女はすぐさま体を半回転させながら次の蹴りに入る。両腕で頭を抱えるようにガードするが、2撃目は頭ではなく腹に深々と突き刺さった。
お腹がえぐり取られたような、腐り落ちたような感覚。もう倒れたい。だって、もう俺の精神はともかく、俺の内臓がギブアップをしている。こんな致命的な痛みを抱えたままこの頭のおかしい女とやりあえる気がしない。が、地面に倒れたらこの頭のおかしい女に殺される。どうにか意地で踏みとどまる。
もう俺に残された方法は1つ。共倒れ覚悟でやるしかない、『爆発するやつ』を。
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