第4話 黒い虫と森の主

 思えばゴーダと2人きりで、こんな長い時間喋るなんて初めてだ。夜の暗さと、にぎやかな虫の鳴き声に、私の口も軽くなる。

「私も小さい頃モンスターに襲われかけたことがあるんだ」

 ゴーダは表情を変えずに私の顔を見る。

「10歳くらいの頃だったかな。小川で魚を捕ってた時に、どこから湧いて出たのか2メートルくらいのオークがきた。突き飛ばされて、食べられるかと思ったよ。まあ、すぐにおじいちゃんが助けに来てくれたんだけどね。それ以来やっぱりちょっとモンスターは怖いよ」


 大体は本当のことだ。当時の私はチーブの村の子供と同じように、素っ裸で魚を捕っていた。オークはまれに人間を性的に襲う個体がいることで知られている。私の裸に欲情したのか、私を押し倒すと、覆いかぶさった。オークはひどく興奮しており、ひどく臭かった。最初、私を食べようとしているのだと思ったが、オークは食らいついてくるわけでなく何やら下半身をもぞもぞとし始めた。その時は何をしようとしているのか分からなかったが、きっと腰蓑を脱ごうとしていたのだと、ずいぶん後で分かった。


 私はブリッジでオークの体を浮かせ、マウントポジションから抜け出した。そしてオークの踵を持ち、前腕でオークのすねを押して転倒させた。本来ならそのまま足首なり膝関節なりを極めていれば勝負はあったはずだが、私は半ばパニックになっていたため、オークに馬乗りになり、拳を顔面に落とし続けた。自分の小指が折れるほど激しく殴り続け、私の顔はどす黒い返り血で染まった。

 しばらくするとクソジジイが血相を変えて突っ込んできた。さすがに孫娘がやられていると思って焦ったらしい。オークから私を引っぺがすと、雑にオークを引きずって森へ入っていった。後で聞いたら「森に帰した」とだけ言っていた。


 当時、体も大きくなり大体の獣を倒せるようになってきていた私は、ショックを受けた。もし、あれが私を単純に食べようとしていたのであれば、覆いかぶさられた時点で終わっていた。さすがにウェイトとパワーで圧倒的な差がある相手にポジションまで奪われては、文字通り手も足も出ない。逃げることができたのは、オークの両手が下半身に使われていたからだ。

 私はこの出来事を通じて2つのことを悟った。

 1つは力なきものはやられる、ということ。私が妙齢になってもクソジジイの非人道的な訓練に付き合い続けたのは、この件で力の必要性を痛感したらだ。

 そしてもう1つは、かわいさはパワー、ということ。オークが私を単純に食べるのではなく、性的に食べようとしたのは、私がかわいかったからに他ならない。私が今生きているのは私がかわいいおかげなのである。


「それにしてもオークが山のほうにいるなんて珍しいね」

「そうなの。おかしいよね」

 改めて言われると、本当におかしい。ひょっとしたらクソジジイがスパーリングパートナーに連れてきたとかじゃないだろうな。ジジイが急に現れたのも不自然だ。それも逃げたオークを探していたと考えるとつじつまが合う。


「そろそろ本当に見張り代わるよ。今日は色々話ができてよかった」

「ありがとう。私も良かった。ゴーダの話が聞けて本当によかったよ。じゃあひと眠りさせてもらうね。おやすみ」

「おやすみ」

 もっと喋っていたい。体力的に言えばあと90時間くらいは余裕で喋れる。が、今は仮にも仕事中。指導者の言うことは聞かなければ。でも今日は、ゴーダの話が聞けて、私の話もできて、なんだか秘密を共有できたような気分になった。思わず「ムフフ」という声が漏れた。


 


 私たちはしばらくここを拠点にモンスター狩りにいそしんだ。

 それと同時に、森を端から調べていくことにした。森は木々がうっそうと生い茂って暗く、トカゲがいつ現れるとも知れず神経を使うため、思うようにはかどらなかった。時間がかかっている分レベルは上がり、私ももうちょっとで結界が出そうな感じがするまでになった。まだ出ないが。


 綺麗な川と豊かな森があるため、食事には困らなかった。さびれているとはいえ村があり日用品程度なら手に入るため生活はまずまず快適だ。いつの間にか村のむかつくハゲも私たちのテントのほうに顔を出すようになり、ゴーダと談笑をするようになっていた。ビワは「ちらちらこっちのほうを見てキモい」と言っていたが、若い女の少ないあの村ではビワや私のようなわかいい女性に目が行くのも無理はない。


 今日の夕食は川魚の鍋だ。ここのところゴーダの好みに合わせて、脂っぽいものが多かったので、ここらでさっぱりしたものがいい。

 ところが、鍋の蓋を開けると、入れた覚えのない物が入っていた。

「誰なの……、このキノコを入れたのは」

「俺だよ俺。今日森に入った時に、シイタケ見つけたから採っといたんだ」

 ライスが自慢げに言った。

「どこから?」

「は?」

「地面からか?」

「そうだよ決まってるだろ」

「シイタケは地面に生えないよバカ。似てるけどこれは猛毒だよ。食べたら普通に死ぬから。早く手洗ってきな」

 うっかりバカって言っちゃったが、夕食が台無しだよバカが。

 ゴーダとビワもしれっと手を洗いに行ったところを見ると彼らも共犯か。まあ食べる前でよかった。


 しかし、困った。日も落ちてきたため、今から代わりの食材を探すのは大変だ。スライムで我慢してもらうか……、いやでもゴーダには体力をつけてもらわなくては困る。そうだあれにしよう。この森ならたくさん捕れるはずだ。


 村に買い物に行っていたゴーダたちが戻り、皆で火を囲み座った。

「じゃあ食べよう。いただき……」

「ちょっと待てよシャトー、こ、こ、これは何だよ」

 ライスが驚いたように皿に盛られた料理を指さす。

「何って、黒黒コックロだよ。黒黒のから揚げ」

「キャッ! ゴッ、ゴゴゴ……ゴ?」

 ビワまで驚いている。ゴーダも神妙な顔で私の顔を見る。

「シャトー教えてくれ。これはゴキブリではないのか?」

「違う違う。黒黒だよ。ゴキブリは町にいるやつでしょ? これは森にしかいないから。精もつくし、何よりすごくおいしいよ。ゴキブリとは似たような種類だろうけど味は全然違うから」

「おいおい味が違うって、つまりシャトーは両方食べて違いを――」

 ライスをにらんで黙らせる。毒キノコをぶち込んで鍋をだめにしたのはどこのどいつだ。

「待てよ、みんな落ち着こう」

 落ち着いてないのはお前らだけなんだが。

「指導者として、俺が先に食べるよ。そう、俺が、食べる。そう大丈夫、大丈夫さ。これまでもシャトーは俺たちパーティのために……だから大丈夫、大丈夫さ」

 ゴーダはぶつぶつ言いながら、黒黒を箸でつかむと、私の顔をチラ見した後口に入れた。バリバリという音が響く。

「うまっ。えっ? うまっ。なにこれ、うまい。みんなも食べてみなよ。鶏肉よりうまい」

「ねっ、おいしいでしょ」

 私はビワを見ながら、1匹食べて見せる。

 ビワは悔しそうに、黒黒をつかむと、意を決したように目をつぶって口に放り込む。バリバリと噛むと「おかしい」と言いたげに首を傾げ、もう1匹に手を伸ばす。

 まさかみんな黒黒を食べたことがないなんて。あぶないあぶない。私がやっちゃったみたいになるところだった。でも結局みんな食べてくれた。やっぱりいい仲間だ。




 次の朝、探索は今日で一旦終了、明日私たちの町に戻るとゴーダが告げた。

 理由は教えてくれなかった。もしビワとライスが、慣れない冒険生活に嫌気が差して帰りたがっているのが原因だとしたら、2人で帰ればいいんじゃないだろうか。私とゴーダだけでトカゲ探しを進めればいいんだ。しばらく2人きりで野営なんて、考えただけで内転筋がきゅっとなる。まあ、ゴーダの決めたことだ。きっとちゃんとした理由があるのだろう。


 今日の探索はみんな心なしか足取りが軽く、町に帰ったら何をするかという話に花が咲いた。私もお金がたまったはずだ。かわいい法衣でも仕立てたいが、まだオリジナル法衣を身に着けるのは早いか。


「洞窟だ。今までのより大きいな」

 ゴーダが指さす方向に、入口にツタがかかっている洞窟があった。この森は洞窟が多いが、確かに今まで見てきたものよりずいぶん大きい。

 入口に差し掛かかった時、この洞窟には何かがいる感じがした。わずかながらスパイスや、火を扱うときに出る臭いがする。トカゲなのか盗賊なのか、またはその他のモンスターかはわからないが、とにかく知的な動物でないと生じない臭いだ。

「ちょっと待って。みんなに『コート防御塗装』をかけるから。何かいそうな気がする」

「今? 戦う時のほうがいいんじゃない?」

 と言うライスに、早速『コート』をかける。

「うぇっぷ!」

 敵と対峙してからかけられる隙があるとも限らない。今の私の力では物理防御と魔法防御、どちらか1枚しかかけられない。とりあえず得意な物理を全員にかける。

 この洞窟には通常山で感じることがない臭いがする、という説明をすると、ゴーダも真剣な表情になる。

「よしみんな、慎重に進もう」


 洞窟に入ると、中はひんやりとしていた。先は行き止まりのように見えるが、なにぶん暗くてはっきりしない。

「行き止まりじゃないな。左に折れてる」

 私たちが左に進もうとすると、それは突然現れた。

 2メートルは優に超えるトカゲだ。

「きっ、貴様がトカゲか! 俺たちは――」

 剣を突き立てたゴーダの脇腹に、トカゲの大きな尻尾が当たり、ゴーダは吹っ飛ばされ、岩壁に打ち付けられる。完全に虚を突かれた形だ。

 トカゲは残る私たち3人に一瞬目をやると、なおもゴーダに追撃を加えようと突進してくる。一旦時間を稼がねば。

「ビワ! 火!」

「えっ!? 火、火、『ファイアウォール火の壁!』」

 力強い炎が洞窟一面に広がる。これならさすがにトカゲは来られない。私はゴーダに駆け寄り『ヒール治癒』を行う。意識はかろうじてあるが、あばら骨が折れている。ここでの完治は無理だ。

「シャトー! もってあと10秒だよ!」

「分かった。治癒でゴーダをなんとか歩けるようにするから、ライスと2人でゴーダを連れて逃げて。私が足止めする」

「そんな! 私たちだけ逃げるなんて!」

「お願い分かって。全員が助かるにはこの方法しかない。考えてる時間もない。ほんとお願い。私は大丈夫だから」

 ビワは私の目をしっかりと見つめ、うなずく。その目に憐れみの色はない。私を信じてくれている。

「絶対だよ! 絶対帰ってきてよシャトー!」

「もちろん! じゃあ煙幕を張るから逃げてね」

 私は懐から煙幕の袋を取り出し、地面にぶつける。煙幕があがり、ビワの火炎魔術が解ける。

「絶対だよ!」

 ビワの声が後ろから聞こえる。無事にゴーダを連れて歩き出せたようだ。

 トカゲは明らかにゴーダを狙っていた。傷ついたゴーダを守りながらは戦えない。洞窟から全員で逃げたとしても、外は敵の庭である森だ。抜ける前に見つかって殺されるだろう。

 ここで、私がやるしかない。

 私が今まで戦った中で間違いなく最強の敵だ。体が震える。恐怖と、あとなんだかよくわからない感情の高ぶりによる震えだ。


 煙が引いていく。景気づけに――

 ちらりと見えたトカゲに思い切り踏み込み、左ボディ!

 腹にめり込んだが、でっぷりしているため全く手ごたえを感じない。ボディは効かないか。

 煙が引きトカゲの姿があらわになる。体長は2.5メートルほど、短い脚に丸い腹、トカゲというより二足歩行の太ったワニのようだ。腕は太いが、爪は鋭くはない。口もそれほど大きくないが、それでもモンスターだから噛みつきには注意せねば。そしてなにより脅威なのは大きな尻尾。成人男子を軽々と吹っ飛ばす攻撃が、無軌道で飛んでくる。

 私は法衣を脱ぎ捨てる。もう覚悟は決まった。

「さあ、やろう。来いよトカゲ」

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