第23話 夢宮朧纏

 忌むべきは、彼女も男も特別な存在でないことだった。常態化し、誰も異を唱えないこの堕落にこそあるのだ。

 ウフトは胸糞悪さを必死に堪えていた、彼女にはまだ理不尽を受け入れて平静に過ごすだけの心はなかった。ボロたちこそ異常なのだ。

「ハルルーベがなあ」

「悲しいよね」

「そんなものなのですよね」

 金鐘らの嘆きはウフトのものとは少し質が違った。今目の前にあるのは、かつてはハルルーベ無しで成立していものだ。それを悪しきと断じて、正義の人ハルルーベは弱きを救い試行錯誤の末、互助のための組織、宗教の前身を立ち上げたのだ。

 その気高き信念を王の血肉たちは知っている。故に、長き時に倦み摩耗し、腐敗した同物を目の当たりにするのは不愉快であった。永遠に揺らがぬ愛と慈しみで始まっても、終わりは堕落と不実だった。

 偉丈夫は、目を閉じて表情を浮かべなかった。

「で? 大丈夫なのか?」

「寝ちゃったっていうしかないです」

「そ、それで通じるのかい?」

「日を改めてってことになるでしょうね。堂員長様は森でしないと嫌なんです。そうしないとお父さんもお母さんも困っちゃいます」

「そんな……」

「痛いのが怖いですね、どれくらい痛いんですか?」

「すごくう」

 ウフトは絶句し、知らず知らずに殺意の目で男を見ていた。これほどの嫌悪を抱くのは初めてである、村を襲い女子供を犯した夜盗の討伐でも吐き気を覚えたが、正義を執行する高揚はあったし、泣き叫び醜く命乞いする彼らを処刑することで折り合いは付けられた。

 が、これはこの男の命を奪って終わる話でないと理解できてしまった。男もニカも、何か巨大な機構に乗っているだけで、それを破壊せねば終わらない。その機構はあまりにも強大で、その前では自分の力など羽虫に等しい。

 誰もが直面する、世界と自身の立ち位置の確認。それが今ウフトに訪れていた。選択肢は2つ、抗うか受け入れるか。多くには後者しか意志は用意されない。

「どうにかしてやろうか?」

 ボロには、遥か以前にそれが訪れた。そして、終生彼は抗い続ける道を選んでいた。

「安請け合いしないでよお」

「そうでもねえよ、夢宮朧纏は幻を見せるんだろ?」

「あ~、騙すのか」

「確かにあの子なら」

 ボロの提案は、新たな王の血肉の力を試すためでもあるが、ニカは救われるべきだと思った故でもあった。

「素晴らしいことですね」

「聖女様、普通こういうのをどうにかするもんじゃねえのか? よく出てくる裸の親父が何とかっていう神様なんだろ?」

「自ずから変わらないと、真の意味での救済は成し得ませんよ」

 聖女もであるが、偉丈夫たるハルルーベの魂はボロの指摘通りに優先すべき現ハルルーベへ直接的な行動を取らなかった。

 自浄作用が機能せずにいる末期状態の組織であれば、外部の力で改革されることは望ましくさえ思われる。まして、創始者であり神ともされる当人なのだから。

 にも関わらず、彼女らはあくまでボロとその周辺をたゆたい続け降りかかる火の粉を払うのみだった。実際、後年その軌跡を纏めるとあまりにも一貫性を欠いており、ただそれらしい力を持っているだけで、ハルルーベの魂に選ばれ護られた聖女という名は適切でないとの指摘も多く出ていた。

「できるなら嬉しいですけど」

「できるかもしれねえぞ」

 同条件で見下ろせば、ボロの方がより自発的で、行動には共感できずとも納得はできた。

「というわけで、金鐘」

「わかりましたよね」

 金鐘が少女から鐘に変じるのに驚くウフトとニカを見て、ロールは懐かしい気分になった。

 ボロは金鐘を鳴らし、一同はイブリースを見つめた。

 ほどなく、風に飛ばされた洗濯物のような布が宙を舞い、ボロの下へと徐々に迫ってきた。

「あ~、あれだな」

 双頭が皆の気持ちを代弁する。流石に4度目でこうも容易だと感動も薄い。

「よっしゃあ! 来い来い、そっとだぞ……」

 ボロもだが、自分がそれだとあまりにも惨めなので、意図して興奮を現わした。

 ボロの手に収まった夢宮朧纏は、ゼブンの言ったとおりのマントであった。簡素なつくりに見えるが、内地の赤色と外地の黒色は何度も染め重ねたことが伺え、首元の装飾は華美でなくとも相当に凝った造りである。

「朧纏、起きてるかい?」

「あ~? 鬼哭?」

 朧纏は伸びをするように反り、一行を見るために捩れた。

「金鐘も双剣も、どったの?」

 砕けた口調であった。

「新しい主が見つかったのですよね」

「そう? もう少し寝ちゃってたいんだけどな~」

 朧纏はそのままに変じた。漆黒の四肢に密着した皮着を纏った、赤髪の化粧を施した美女である。成人の豊満な肉体を持ち、後ろ髪は地面にまで伸びて左右に広がりマントを思わせた。

「改めまして~……どの子?」

「俺だ、ボロッケンダーズだ」

「へえ~、こんな小さい子が? あの人の子孫?」

「そういう訳じゃないよ」

「あら残念、運命的な再会をしたかったのに」

 ウフトは注意深く朧纏を観察した。やはり王の血肉は隔絶した存在だ、髪は地面に接触しているのに葉も土もつかない。

「えっと?」

「王の血肉、君の方が詳しいんじゃないのお?」

 戸惑うニカに、ロールが説明をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る