第19話 衝突

 タケーはその場での返信を避けた、というよりも出来なかった。

ムトゥス側が求めているのは軍事同盟である、当面の望みは聖女の庇護になく、施しはすれど聖女は同盟についての意見を述べなかったのだ。聖女の判断なしに己が決定を下して良いものか、彼は苦悩せざるを得ない。周囲は聖女を盲信していたし、タケーも知識人として頼られていた。つまり、相談できる相手がいない。

 ムトゥスの面々は村の傍に野営し、答えを待つ構えだった。ムタトムは若きタケーに侮りを覚えたものの、強引に迫るのは同盟という関係上得手でないと彼に委ねつつ、聖女の姿を見極めるつもりだった。

 早速聖女が、風呂場を提供してくれたことと住まいをあてがってくれたことは好評であった。特に風呂がありがたい、故郷でも入浴は希少な行事で、移動中は言うまでもなかったからだ。

 一方で、食事が出なかったことに不満の声があがっていた。携帯食料は持ってきているし、いざとなれば狩りの準備もしているので食糧難とまではいかないものの、運搬量には限界があり無尽蔵ではない。むしろ、風呂よりもそちらを期待していた。

 ムタトムは不平派を宥めて暴発を防ぎつつ、彼らの心根を軽蔑していた。自身を含めて聖人君子を求めはしないが、あまりにも浅ましすぎる行動には嫌悪感が湧いた。

 同時に、聖女たちの対応の拙さも鋭敏に嗅ぎ取っていた。伝聞を精査すると、聖女は食事をとらなければ死すもの、最早自力で食い扶持を稼げないものには食事を出し、善良なるものしか信徒に加えないことがわかっている。そしてそれは少数である、世の大部分は良くも悪くも中庸な者どもが占め、そういうものほど無償の奉仕を要求し感謝を怠る。それらを懐柔統率できぬ者は孤立を余儀なくされる、腹立たしくも永劫変遷を拒むだろう真理である。

彼女らは、そこを突き進みかけている。が、それをねじ伏せられるかもしれない力を秘めてもいた。故に、ムタトムは自身が参加することでの軌道修正、その後の地位の確立に賭けて同盟を持ちかけた。

ハルルーベは信用ならなかった。仮に聖女らを排除し得、国家として認められてもハルルーベの新たな領土に成り下がるのは目に見えている。まして蔑まれてきた歴史と周囲の目が瞬時に変わるとも思えない、一国として人間として扱われるには不断の努力を持っても、数世代の月日がかかるだろう。

ムタトムも、過酷な生をただ耐えてきただけで受け入れてはいない。だからこそ賭けに出たのだった。

「へー、面白いな」

「もう帰ろうよお」

 他方で、その番犬にも興味はあった。サィフの神仕隊を独力で退けた少年の噂は耳に入っている。

「服とかはともかく武器はあまり変わらないのですよね」

「形が完成してるんだろうな」

「丸っこい剣とか使いにくいしね」

 そして、王の血肉である。武具から人や獣に変化するところは目撃したものの、その威力はまだ伝聞によってしか確かめられていない。

冒険家として観察に来たボロッケンダーズ少年はそれなりに心得があるようだが、連れの少女は随分と力で劣っていると歩み方から伺えた。戦力として期待できるものだろうかとムタトムは思案した。

「こそこそ嗅ぎまわってんじゃあないよ」

 と、二人の前に一人の少女が立ちはだかった。凛々しい眉に素朴な顔立ちは、少年のようにも見える。

 名はウフト、戦士たちの中では最も幼かった。それでも認められているのは、彼女の実力が十二分だからである。既に成人ほどの体躯に、肉も脂も程よくついていて力も持久力も秀でている。

ゆくゆくは中核を成すだろうと期待されている逸材だ。

「なんだよお前」

「あんたこそ、なんのつもりよ。奇襲する隙でも伺ってんのかい」

「ウフト」

 ムタトムは速やかにウフトを宥めに向かった。

「でも、長老」

「気にはなっても、今の言い方は乱暴すぎる」

 さりげなくムタトムは、ボロたちの反応も観察していた。

 反発は見えずきょとんとしているのを認めると、安心よりも子供という頼りなさが先に出ていた。

「とはいえ、ここは一応の家だ。君たちも一言あってもよかったんじゃないか?」

「あ~、確かにそうだ」

「ボロが悪いんですよね」

「え~」

「いや、そうだよ」

 やはり、ボロよりも王の血肉に注目すべきとムタトムは思った。

前者無くしても後者は機能するだろうが逆はない。

「悪かったよ、気になっただけなんだ」

「いや、いい」

 ムタトムは、出立前に言い渡した諍いを禁じる掟が役立ったと安堵した。彼にも、この地とそこの住民に対しての侮りはあったが、自制することはできていたからだ。

 実を言えば、同盟に際しての最難関がそこである。より低い地位の者との対等条件は、自らを貶めることに繋がるのではとの声があった。それを無視できるだけの恩恵があるとムタトムは判断したのだが、即座に納得できるものでもない。

「大体あんたはなんなのさ」

「冒険家だ」

 ウフトを始めとして失笑が漏れた。彼らの知る私冒険家が名ばかりの浮き草であったのもあるが、この少年の口から出ると子供の遊びであるとしか受け取れない。

 ボロは流石に顔をしかめた。侮辱に気付かぬほど幼くも、愚鈍でもない。

「やめろ、お前たちもだ」

「文句あんのかよ豚!」

「ああ⁉」

 反論にしても、ボロの罵倒は度を越している。まして容姿に関する侮辱は宣戦布告であった。

 しかし、彼に言わせればそれでも温いと断じるだろう。安酒の名と冒険家の肩書は、彼の全てだった。

「謝りなさいよお! ボロ!」

「嫌だ!」

 ロールですら焦ってボロを諫めるが、彼は聞く耳を持たない。戦士らも騒ぎを聞きつけて不穏な空気が満ち始めた。

「二人とも―」

 ムタトムの制止をくぐってウフトがボロを殴りつけた。

「やりやがったな!」

 ボロはウフトに飛び掛かり、彼女も負けじとそんな彼を何度も殴りつけた。元の技術と体力に差があり、ボロに勝機はないように思えた。

「くそ野郎!」

「離れな!」

 が、彼には地を這う暮らしで得た粘りと強かさが備わっていた。顔も腹も狙わず、ウフトの胸に指を食い込ませ、引きちぎらんばかりに力を込めたのだ。

「離れろ!」

「引きちぎってやる!」

 殴られ慣れているだけあって、ボロは怯まなかった。顔を埋めて、胸に爪を突き立ててあらん限りに引き続ける。

「やめるんだ!」

「ボロお!」

「金鐘たちは手を出すなよ!」

 ムタトムとロールが二人を引きはがしにかかった。

 ロールは金鐘らに助けを求める目を送ったが、彼女たちは動かなかった。ボロの叫びに従った、というよりも納得したのだ。少年はこの出来事を自分だけで終わらせたがっている。

「は、離しなって!」

 ウフトが殴りつけるをやめて、やや弱みを見せながらボロを引きはがしにかかった。拳が痛み始め、胸に食い込む指が熱を持ってきている。

「ちぎってやる‼」

「ボロお‼」

 ロールは殆ど悲鳴をあげていた。

「わ、わかった! あたしが悪かった! あたしが悪かった!」

 ついにウフトが折れると、ボロはあっさりと離れた。外から見てわかるほど頭はこぶだらけで足はふらつき、爪が何枚かはがれかかって充血している。それでもなお、燃えるような瞳は揺らいでなかった。

「うろついてたのは謝る、けどその姉ちゃんには謝らないからな」

 そういうと、ふらふらとボロは歩き出した。ロールが慌てて続いて支え、金鐘たちも追従する。

「みてもらえ、ウフト」

「は、はい……」

「無用な争いだった、そうだな?」

「はい……すいませんでした」

 ウフトは一礼し、胸を抑えたまま戦士の一人に連れられていった。

戦士たちはざわめき、不安を口にした。ボロのそれは狂気の類であり、聖女を始めたかの地の者たちも同様を持ち得ているのではないかと。偏見が過分に混じったものではあるが、それだけに払しょくしがたくもある。

 が、ムタトムは別の感慨も抱いていた。それは、押し殺して久しい激情である。謂われない差別と苦境を彼は忘れてきた、否、忘れていたつもりであった。タスロフに生まれた以上、避けて通れぬ汚辱、それに対する反逆の意思。図らずしも彼は、偏見で見下ろしていた少年を鏡に、己が浅ましさを見せつけられたのだった。

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