第16話 門出の暗雲

 タスロフへの帰還は穏やかなものだった。森までは襲撃もなく有角熊の素材を掘り起こし、分配して持ち運んだ。

 国内に入ってからも幾度か挑まれたものの、出発の時の働きとサィフでの一件もあってあわよくばの者が多く、本格的な戦闘にはならなかった。

 ボロにとって不愉快だったのは、相変わらず聖女への従者が絶えないことと、顔見知りが媚びを売ってくることである。前者はともかく、後者は同じ状況なら自身でもやるとわかっていても気分が良くなかった。

「よく見る光景ですよね」

「気にするだけ損だぞボロ、一発殴ってやればいいんだ」

「……いいよ」

 王の血肉たちは流石に経験豊富であり、ボロに助言を欠かさなかった。

「けど悲しいよね、ハルルーベがこんなことに名前を使われてるのは」

「どんな人だったのお?」

「善人さ、だから周りがしっかり支えたんだけど……」

「長い年月が経った、仕方ないさ」

 彼らから見たハルルーベは、ボロたちとはまた違って見えるらしかった。太古の記録のほとんどは彼らによって補強されたものの、やはり創始者の驕りか現代への批判が強かった。

 王への裏切りの一件も証言され、伝説が事実であったことも確定した。が、王がタスロフの裏切りに報復したというものに留まって細部は明かされず、今もって内情は闇の中である。同時に、王個人としては立腹する内容ではあったが、世界的にはさほどに

重大な事件でもなかったことも明示していた。

 王の血肉たちによる古代記録のほとんどが、ボロたちとは直接の接触のない者たちによって記された。タスロフ内に機構が完成されていなかったこと、当事者が関心を示さなかった事情があるが、それ故に客観性を欠くとの指摘もある。


 ボロはようやくねぐらに到着して愕然とした、集落はもはや立派な村と言ってよい規模に拡大し、小奇麗で活気のある場所へと変貌していたのだった。

「聖女様!」

「ただいま戻りました、タケーさん」

 タケーらが聖女の前に跪いた。中には落涙して彼女を拝むものもおり、ボロは非常に腹立たしかった。

「お怪我は?」

「いいえ、タケーさんたちは?」

「何事もなく、聖女様のおかげで益々の発展を」

 ボロは踵を返して小屋に戻ろうとし、ロールも続こうとしたが聞き覚えのある声に遮られた。

「ボロ! やっぱり王の血肉はあったろう⁉」

「お帰り」

 ゼブンとマイの親子である。流石のボロも無視できない。

「お、おう」

「豚と……蛇? もしかして―」

「ん~、鬼哭だぞ」

「双剣だよ」

「おお! さ、触って……変わってみてくれない―ませんか⁉」

 興奮するゼブンに引きつつも、二体はそれに応じた。

 ロールは早速有角熊の素材をマイに見せて交渉を始めていた。

「ここに来てたのか?」

「ううん、店移したの」

「なにっ」

「だって奇麗だし飯はタダだし人も多いし言うことないもの」

「ふざけんなっ! 戻れ!」

 ボロの癇癪を無視して、マイは素材を吟味した。毛皮や薬を求める依頼も多く、斡旋するのも彼女の仕事の一つである。

「見よ! 聖女様にはあの伝説の武具、王の血肉が控えている! 我らが清く正しく生きる限り、聖女様はお助けくださるのだ!」

 タケーの演説に従者たちが歓喜する。もし、彼らが組織として成り立った出発点を定めるなら、この時点であることを多くに指摘される時期であった。


 憤懣であっても、日々を送らないわけにはいない。その点ではボロは折り合いをつけることができる性分だった。旅による疲労から回復するために、ねぐらに潜るとそのまま寝入った。

 丸一日後、ロールによってボロは起こされ久しぶりに湯を沸かし体を拭うことにした。それまでは大差ない汚れ具合だったのが、聖女のおかげで風呂に入るようになってからボロの体臭が気になりだしたのだ。

「お風呂ぐらいいいじゃない」

「やなこった」

 ロールは風呂が好きだった。それまでの暮らしで縁遠かった反動である。逼迫した状況では、水は飲料に薪は食事に廻すのが当然なのだ。

「さてと……買い物いくけどどうする?」

「あ、いくよお」

 金鐘たちのおかげで様々な問題が解決しても、消耗品は必要である。むしろ、浮いた分でそちらの品質を高める機会でもあった。

 が、そこでひと悶着が起きた。ボロは態々別の村へ出向くつもりだったのを、ロールに猛反対されたのだ。彼女の反応は当然である、近いうえに聖女のおかげで店の品質も保証されているのに、村を利用しない手はない。それでもボロは心情的に忌避するのを、説教してまで説き伏せ連れ出した。

「はいはい、やすいよ!」

「どうぞどうぞ!」

「ほらあ、きれいだし安全でしょお」

「でもな、聖女様のとこだしな」

 活気あふれる店の並びには勢いがあった、近いうちに市場となってより拡大していくだろう。ボロも、暗澹たる村であった頃よりは好ましく思えるのだが、聖女がどうしても引っかかった。

 食事の心配がなく皆が満足し、余裕で刺々しい態度が和らいでいる。家も建て直し、増築して規模を広げ互いに協力し合っている。風呂のおかげで衛生面も改善されて、一昔前の面影が払しょくされつつあった。

 聖女に依存しているからこそ、とボロは思うのだが、選別の匠か卑屈だったり無気力になっている者も見えない。つくづく聖女が恐ろしくなる。真に理想郷を作ってしまうのだろうか。

「ん~、通貨は銅銀なんだな」

「ここは特別みたいだよ? よその国は違うのかも」

 王の血肉らも同行して、珍し気に店の並びを観察していた。数百年の歳月が変えたもの、変えなかったものを見るのは楽しい。

 彼女らを崇める者もいた。タケーの演説は正しくないが、訂正するほどの関心を彼らに与えずに周囲に浸透した結果である。

「どいたどいた! タケー様に!」

 と、一人の男があわただしく人ごみをかき分けていった。

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