第12話 新世界へ
出発は翌々日であった、距離で測れば金鐘の山よりも長大なサィフが目的地であるのに、準備物が少量で済んだのが一因である。
金鐘の存在は大きい、ボロは野や川に出かけては、その音色で獣や魚を簡単に捕獲できることを繰り返し確認した。それは殆ど笑いたくなるほどだった、狩りに割く時間も労力も大幅に省略でき、食糧の不安がほぼ消えたのだった。これは彼の食生活も関係していた、場合によっては虫でも食すに躊躇わない。
武力として、回復用途としても金鐘の入手でボロには余裕ができている。同時に、原初の王の伝説の数々もあながち伝説と言うだけでもないと思い始め、興味を抱くようになった。
一行は山の場合と同じく、ボロ、聖女、ロール、そして金鐘で構成されていた。
タケーも、密かに追跡を試みたほど同行を熱っぽく訴えたが、聖女は縦に頭を振らなかった。あくまでも聖女は彼を、集落の長として据えたがった。
このことも、後の彼らの亀裂の要因と指摘されている。聖女は常に正しく人道に則した言動をとり、かつ納得させるだけの力量を備えていたが、悪意や害意の外の感情にはそれほど明敏ではなかったのだ。朴念仁と評するには些細すぎるが、接触が頻繁になれば僅かのほつれも目に付くものなのである。
タスロフ国内の道程には様々な困難があったが、最初に襲撃は賞金稼ぎたちによってであった。
聖女はとにかく目立つうえに、ハルルーベによって賞金首付きの反乱狂女として布告が出されていた。真偽よりも金銭に是非を見出すものは多かった、野盗や私冒険家、手が空いた力自慢の農民たちがこぞって現れその身を欲した。中にはボロと仕事をしたこともある者の姿もあった。
無論、悉く打ち沈められた。聖女の偉丈夫もだが、ボロの金鐘も十二分に働きをみせた。無関係を主張しようと、襲撃者は関係なしにボロにも攻撃を加えてきたのだ。
ハルルーベは、聖女にはタスロフ人が付いているとも教えていた。より頻繁に攻撃に曝させるために有効と判断したのであるが、ボロはその悪辣な企みを肌で感じ取り苛烈な攻撃で応えた。
「ぶっ殺す!」
「怖い言葉はいけませんよ」
直接に叩きつけ、音色で手足を破壊し、悲鳴をあげてのたうつ襲撃者らを踏みつけた。聖女も彼の気が済んだ後に、どうにか歩いて帰れる程度の治療を行い食事も持たせてやったものの、止めも咎めもしなかった。ロールは彼らは追いはぎするのに熱中していた。
襲撃は無論、足を止められ戦闘をせねばならないのでボロは不愉快だったが、より不愉快なのは襲撃者の何人かが治療の後に聖女にひれ伏して、従者に加わりたく願い出ていることだった。
流石に聖女の選定は厳しくはあったが、数人の許されたものは集落への加入を認められていた。それはすなわちボロのねぐら傍がますます騒がしくなるということで、全く面白くない事象である。
「悪い奴なんか助けやがって」
「私たちもだよねえ」
ロールは軽口で応じ、上機嫌で戦利品を選り分けていた。ボロも金品は奪わなかったが、上等な服を着ていた農家の若者の衣服は気に入って我が物としていた。
日が進むごとに、敗残者からの話を聞いたのか襲撃者は数を減らしていった。一方で聖女目当ての輩は増えていき、一層ボロは不機嫌になった。
「おいしいねえ」
「とっても」
「あーあー、魚はうまいなあ!」
次いでの困難は食糧事情である。
量的にはボロが想定した通り何の不満もなかった、大空を舞う鳥も、激流の中の魚も、森の中の獣も金鐘の音色で難なく捕らえることができた。
が、彼には調理技術が欠如していた。焼くか煮るかしか、これまで料理に用いてこなかった。そこに塩か野菜や果実でできた素朴なソースをかけるのみなのも、彼の出身地では当たり前のことなのだ。
聖女の食事は違う、香辛料が惜しげもなく使われて下処理も完璧になされていた。無論彼は口にしないが、同じ魚でも透明な湯気の立つソースに浸され、熟れた果実のように柔らかに切り離せる身と、あちこち焼け焦げのある串焼き魚ではどうしても見劣りしてしまう。
聖女の食事と言う存在を知らなければ、きっと彼は満腹に食せるだけで満足できただろう。が、比較対象ができ、且つその対象が上位とあっては、幸福も色あせてしまう。
「大自然の味だっ、とくに―げっ」
ボロは強がって焼き魚の腹を齧り、生焼けでまだ蠢く虫の含まれる内臓を口内に招いてしまってむせた。
「スープをどうぞ」
「い、いらねえっ」
頑として聖女の施しを受けない新しき主人であるこの少年に対し、金鐘はある種の敬意を芽生えさせ始めていた。
タスロフと接する国々との国境には、当然のように関所が設けられていた。正確に言えば侵入を阻むための壁である、一応の警告義務はあるものの、タスロフ側からの接近者には排除のみが与えられた。被差別地域、賤民という悪意は、非人道を国防と言い換える力があった。
無論、だからといってタスロフから他国に出る方法が皆無であるわけではない。ゼブンの様に多額の賄賂を贈る者は少数で、多くは関所のない場所からの進入という伝統的手段を試みた。
関所が設置されていないのは、他の要因で通行が困難になっているからである。険しい山、深い森、巨大な川、大自然の驚異は救いを求める旅人にはあまりに高く強固な防壁であった。
ボロたちがサィフへ渡るために選んだのは、かの地へ続く深い森である。有角の熊が多数生息しており、密入国と言えど積極的に選択する道ではないが、他者との接触を避けたく有角熊に対処できる彼らには理想的だった。
縄張りを荒らす肉を食らいに出向いた有角熊たちは、哀れ迂闊さの代償を命で払わされることとなった。毛皮は勿論肉や内臓は薬食として重宝され、特に角は高値で取引されている。近場の猟師の最上物で、年に一頭仕留めればあとは遊んで暮らせる程の財を産んだ。
「全部私たちの! 全部私たちの!」
「いくらか皆さんにあげません?」
その宝石が、金鐘と偉丈夫によって文字通り山と積まれた。狂喜するロールと聖女をよそに、ボロは運搬の都合から一先ず保存するために腑分けの解体に勤しんでいた。毛皮はその場で羽織る用と寝床用に縫い、牙と爪を簡単なナイフへと加工する。
「慣れてるんですよね」
「慣れない奴は死んじまうのさ」
新たな力を十二分に活用しつつも、ボロはそれに溺れなかった。生存のために最善を尽くし、信念のために最良を選んだ。
金鐘と偉丈夫の威力は、熊をはじめとし獣たちに自重を選ばせるに不足ない。一行は然程の苦も無く森を抜け、サィフの村をその眼に捉える事に成功した。
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