第10話 何の捻りもない名の一戦

 ロールらが食事を終える頃に姿を現しだした天使たちは、ボロにとっては最前の敵にはなり得なかった。

 疲労と空腹の極致にあった彼は、まず失神と戦わねばならなかったからである。癒しの音色は終着に睡眠を置いているために万全の効果が期待できず、彼は手持ちのみでこの戦いを切り抜かねばならなかった。

「冒涜者め……」

 しかし、天使らも十全ではない。野犬との戦いは傷をもたらさなかったものの、疲労と強行軍は実力を十二分に発揮する術を妨げるに十分なものを蓄積させていた。

 それでも元の実力に雲泥の差があり、聖女はともかくボロとロールは殺められるだけで終わるはずだった。カマルも、得体のしれない聖女は、増援との連携と研究によって仕留めようと後回しにし、まずは二人を確実に抹殺し面目を保とうと打算していた。

 王の血肉の存在を考慮しなかったという非難は酷である。御伽噺を前提にした行動など、狂事とされても反論はできない。聖女と言う存在を指摘するのも、彼らがハルルーベを絶対としている以上、奇跡の全ても詐術としか認識されないのだ。

 ともかくにしろ、創成期を別にすれば王の血肉がふるわれた初の戦いが、タスロフにそびえるこの名もなき山にて勃発した。

 状況も相まって、ボロと聖女の本格的な宗教改革の第一歩と目されるものである。

「ほらっ! 倒れろ‼ 死ねっ‼」

「カマル様!」

「ひ、怯むな!」

 が、それは血沸き肉躍るものではなかった。

 ボロは座り込んでひたすら金鐘を鳴らし、天使らはそれにまったく対処ができなかった。聖女とロールはボロの傍で佇んでおり、後にその全容を伝え聞かせた。

 金鐘の力は想像以上だった、音の聞こえる範囲であれば、その音色が天使たちの意識を容易く刈り取っていった。外傷もなく一瞬で倒れた同胞の姿は、恐慌をきたすに十分である。

 カマルも無能ではなかった。王の血肉とわからずとも、ボロが奇妙な術を扱っているのは理解できた。それが音によるものだとと、すぐさまに判別したことは彼の洞察力の高さを示したが、対応できるか否かは別の問題である。

 飛び道具を以ても、音により空中で粉砕されてしまう。耳をふさがせても完全防音とはならずに倒れてしまう。鼓膜を潰せとは流石に命令もできなかったし、それでも防げなければ無駄な自傷で終わってしまう。

「ぬああっ!」

 ついにカマルを除いた全員が倒れ、彼自身も特攻を仕掛けるしかできなかった。この期に己だけで逃走するのは、教義にも仲間にも背を向けることであり、彼には採りようもない選択であった。

「滅する……‼」

 数多くの冒涜者を屠ってきた彼の得物、天使の翼を模した二対の剣が力なく空を切り、手からも離れて彼と同じく地に堕ちる。

「冒涜者……‼ 恥知らずの……‼」

「それしかねーのかクソ白野郎……」

「貴様らが生きる価値など……ない‼」

「あろうがなかろうが生きる……‼ 殺しに来るなら容赦しねえ……‼」

 カマルが倒れるまでに時間を要したのには、ボロの疲弊が要因であった。既に重量をほぼ感じない金鐘を振り続けるのも困難になっており、彼が倒れると同時に金鐘を取り落としてしまった。

「いいかあ聖女様……生き残りがいても……俺は助けなくていいからなあ……」

 そして、ボロはそのまま失神した。人に変じた金鐘とロールが呆れてそれを見降ろしていた。

「戻りましょうか?」

「そうだねえ」

 聖女は偉丈夫にボロを抱きかかえさせると、一瞬でその場から消失し、一行共々タスロフのねぐらに帰還していた。

 この戦いで天使らに死者は出なかった。ボロが警告のつもりで敢えてとも、疲弊による過誤とも言われたが、彼は真意を明かさなかった。どちらにしろ、我らが天使の輝かしくも悍ましい歴に土をつけたことだけは事実であった。

 また、聖女が天使らを放置したことも、後々に偽善や選民との批判を浴びる一因ともなり、彼らの初期の活動に阻害を生じさせることにもなった。

多くの戦いがそうであるように、当人らはただ生存をかけて前後もなく足掻いただけのそれが、後世においては発端となる歴史的な一戦と位置付けられることとなったのである。


 ボロのねぐらに帰還した聖女たちは、戦いの真を図るよりも前に、それぞれの役目と欲求を成すべく動き出した。

聖女は、ボロを寝床にやってタケーらに顔を見せにいった。ロールはボロを倣って睡眠を取ろうとしたが、思い直して彼のために簡単な食事を作ろうとした。金鐘は長き眠りから覚めたことで、現代を含め世界の足取りを探ろうとまずはこのあばら家を探索し始めた。

 天使らは、日が昇りきると同時に現れた増援部隊によって介抱され、改めて認めざるを得ない屈辱に打ち震え復讐を誓っていた。

「いいか、今は傷を癒すのだ……痛みを押しつぶす重荷でなく、立ち上がるための糧として……」

 特にカマルは、この敗北が生涯をかけて晴らさねばならない恥辱であると胸に刻んだ。最も、この時は本当に生涯を通じてボロと聖女と渡り合うことになろうとは想像していなかったが。

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