第7話 安酒と天使

 そんなボロの信念は関知せず、天使たちは一斉に向かってきた。大目標は聖女であるので代表者を含めた9人が彼女へ刃を向け、ボロには輪のような刃がついた未知の武器を振るいながら一人が襲い来た。

「うわっ!」

 輪刀の天使の一振りをボロは辛うじて躱した。争いが絶えない生育なだけに、相手の力量を図ることに彼は長けている。その一撃で、ボロは逆立ちしても勝ち目がないと悟った。

「聖女様! ロール! 下って逃げるぞ‼」

 叫んで、ボロは道具袋から手製の煙幕球を全て取り出し焚火に投げ込んだ。節約できるほど状況は安楽でない。

 甲斐あって、一瞬足元さえ見えないほどの濃厚な煙幕が発生する。この煙幕にはトゲカラシが練り込んであり、天使の数人をせき込ませることに成功した。

 ボロは一目散に、山の上を目指して走った。危機に陥った時に、大声で何か指示をした場合その真逆の行動を実際にはとる、ロールと以前から取り決めていた細工だ。

 目指すは頂上の金鐘である。聖女の助けなしに天使たちから逃れるには、そうするしかボロには思いつかなかった。逃げるにしても、対抗手段がなくてはいずれ殺される。

 戦うよりは、登山で対決したほうがまだ勝機はありそうだった。


 息切れと体中の痛み、限界まで体を酷使して山を駆け上り、ついに倒れ込むようにしてボロは休憩を取ることを決心した。

「大丈夫ですか?」

「少しくらい……辛そうにしろよ……」

 ほとんど間をおかず、全く疲労の見えない聖女とロールが現れたが、ボロは僅かに毒を吐くだけが精いっぱいだった。ロールが真意を悟ってくれた安堵と共に、改めて彼女の恐ろしさを実感する。

「お水です」

「いらねえ……」

「意地張ってるんじゃないよお」

 ロールはボロをたしなめながら、不安げに周囲を警戒していた。天使たちの影は恐ろしい。

「金鐘を取りにいくのですか?」

「ああ……」

「ねえ、聖女様に取ってきてもらおうよお、すぐじゃない」

 ロールはボロを説得しつつも、それが叶わないだろうとは薄々わかっていた。どうにもこの少年は、浮世離れした銀髪の美少女に必要以上の反発を抱かずにはいられないようだった。

 金鐘の再取には、彼女自身異論はない。聖女がいるとはいえ、

守護が完璧だと断定できないし、折角の宝を放置するのも惜しい。

 何より、ロールも天使たちに怒りがあった。

 差別に晒され続け、その原因や相手の事情が理解できるようになったとて、怒り悲しみは薄らぐばかりか強まるのみなのだ。

 まして、己が行動によってでない原因の場合は猶更である。ボロもロールも、ゼブンの仕事で外に出て、嫌と言う程苛まれることは多かった。言葉で、力で、視線で、態度で、そのたび出来る限りの反撃を行ったが、それで相手がどれだけ苦しもうと心苦は晴れることはない。

 根源は個になく、時間をかけた悪意が凝り固まったものであり、根絶にはそれこそその悪意を持つものを全て滅さなければならないとわかってしまっていた。

 二人の行動範囲がタスロフに限定されていても、それがわかってしまう。となれば、そのタスロフすら蔑視している世界に絶望し醜悪に辟易するのみだ。

「いやだ……俺が取って……あのふざけた……て、天使とかいうのをやってやる」

 だからこそ、天使たちへの想いはボロと同じものがあった。可可能であれば一撃を加えてやりたい、先ほど天使たちはロールに言及しなかったが、同視しているのは確実だった。

「大丈夫なのお?」

「絶対に戦わない……登るだけに集中すりゃあ……」

 とはいえ、ボロも確固たる自信があるわけではなかった。逃走用の煙幕は全て使ってしまっている、再度遭遇すれば苦しいのはこちらなのだ。

「さて……いくぞ」

「はい」

 ボロはのろのろと歩き出し、聖女とロールが続いた。全ては、天使たちよりも先に頂上に辿り着けるかにかかっている。


 一方の天使たちは、ボロの叫びの術中に嵌っていた。彼がその言葉通りに下って行ったのか、はたまたそう見せかけて登って行っているのかで意見が分かれたのだ。

 神代の権力と財により、あらゆる訓練を積んでいる彼らは当然追跡術や心理術にも精通している。しかし、それをもってしても不慣れな山道、そして聖女という要素が彼らを迷わせた。

 特に聖女の存在は強烈であった、ボロは逃走に集中してその余裕がなかったが、彼女と偉丈夫は天使たちのあらゆる攻撃を寄せ付けなかった。すぐにボロの後を追ったので戦闘には至らなかったが、例え攻撃を続けていても牙が届きえないだろうことは天使たちにもありありと実感できた。

 更なる脅威は彼女がもたらす気迫である。これまでも天使たちは、反ハルルーベを掲げる新興宗教や自称聖人の排除を行ったことが度々ある。全てが詐欺師か、あるいは狂人で、言葉も奇跡も偽りだった。小蠅の如く湧くそれらは、最早唾棄すべき価値も見いだせなかった。

しかし、聖女は違った。本物とは説明のしようもなく本物であるの言葉通りに、一目瞭然の迫力があった。否定しようとも、悪あがきか揚げ足取りにしかならない。

 全く想定していなかったこと、ハルルーベ以外の価値観の除外を常としていた天使たちの動揺は無視できないものがあった。


「以上だ」

 結局、代表者は登山と下山に部隊を半分に分けた。下山部隊は、本部へ報告し対処と増援を求める任務も帯びており、麓に到着した時点でさらに細分化されることとなる。

「我らは登る」

「はい、カマル様……」

 カマルと呼ばれた代表者は、か細い少女の声で応じた天使の肩に柔らかく手を置いた。

「心配はいらぬ」

 僅かではあるが、その声には優情が含まれていた。天使たちは

それだけで、不安や迷いが幾分か和らぐのを感じた。

「我らはハルルーベの聖なる天使、迷いや痛みは試練。乗り越え

るべき壁に過ぎない。終われば安らぎと名誉が待っている」

 カマルの言葉や態度には、嘘偽りが皆無である。それが真実味

を疑いようもなく聞き手に送り出していた。

彼はこれまでもこれからも、ハルルーベへの盲信、天使たる自

分たちの栄誉、冒涜者への憎悪を微塵も揺るがせることがなかった。

「冒涜者も恥知らずの地の者たちも、これまでの汚濁の歴に加わ

るのみだ」

「はい!」

 彼を狂信的としても、同様の意識は天使の皆にあった。それは、

彼らの多くが被差別地域の出身であることが大きな故となって

いたからである。

 我が子たる天使は、その発足時から構成員を被差別者や無縁者、

あるいはそれに準ずる者で固めていた。任務の性質上、存在しな

い者は都合が良かったのと、忠を育ませるためである。

 洗脳も含め、それまでの生が悲惨であるほど、そこから救われ

た時の歓喜と、その行使者への服従は大きくなる。発足時の神代

はハルルーベの歴史においては凡庸で功も罪も目立たないもの

であったが、こと天使の形成という点においては傑物であったと

言えるだろう。

 カマルはタスロフ内ではないものの、被差別地域に親もなく生まれ、極貧と暴力、周囲からの蔑視と迫害の中で、生きるためにあらゆる努力を惜しまず幼いながら一目置かれる存在となっていた。

 そこを天使の情報網が拾い上げ、彼は訓練の後正式な一員となり、明晰な頭脳と実力で若くして一部隊の長となった。

彼は以前から寄木を求めていたのだろう、確かに生活はそれまでとは比べ物にならないほどの改善を見たが、その忠勤ぶりは異常であった。

己しか頼る者がない少年に、宗教と言う柱は偉大な絶対者として確立されたのだ。

 訓練にも任務にも尋常でない熱が籠められたが、何よりも彼はハルルーベに反する者と被差別者への憎悪を強くした。再生のためには、絶対者の絶対性の確立と過去の否定が不可欠だったのだろう。

 一方で、同じ被差別者出身でも天使の仲間には誠実であった。

彼の中でそれは矛盾しない、彼が手にかけるのはハルルーベに反する者であり、仲間はそれに堕落せず正義を貫く同胞なのだ。

 故に、仲間のために己を捧げ、己のために仲間を使うことに迷わない。聖典に記された天使の名を授けられ、全てをハルルーベがために注ぐ。

「いくぞ」

 安酒の名か、天使の名か。二人の少年は些細な差異で、追うものと追われるものに立場を違えていた。

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