第6話 天使は穢れを厭う
折角こしらえた拠点を元に戻すのは徒労であったが、目標地点の既定と希望が湧きたてる熱意はボロにしばし疲労を忘却させた。前人未到の道なき道、虫や獣の類に悩まされながらも陽の沈みには3割ほども登っていた。
夜間の登山は危険が大きい、まして今回は慣れた道でない。ボロは時間節約よりも安全を取り、やや開けた場所で寝床の準備にかかった。
「ボロも入りなよお」
「絶対いやだ」
「できましたよ」
ここでも聖女はすぐに小屋を用意できたし、食事も出せた。腹立たしいことに、ロールの言によると小屋は雨風はもちろん気温まで丁度良く、変色も異臭もしない柔らかな寝具が揃っているという。
ボロはというと、雨除けをしてお馴染み獣の皮にくるまり地べたに眠るしかない。慣れてはいるが、辛さが薄まってくれるわけではない。
「意地張らないで食べなよお」
「どうぞ」
「絶対に食わない! あー、カエルはうまい! 瑞々しい!」
聖女たちが野菜と肉出汁のスープに入った麺を啜る傍で、ボロは無数に湧いてくるカエルを捕まえて焼いて食べていた。彼には極々当たり前の食事内容で、量もふんだんにあったが、傍で馳走をほうばられていては惨めさが勝ってしまう。
「大体お前は何なんだ、ぽんぽん何でも出して魔女じゃないか魔女」
「私は私です、救いと安らぎと、明日への望みを皆様にお分けし立ち上がるお手伝いをしたいだけです」
「俺は全部持っとる!」
「いえいえ」
カエルの足を骨ごとかみ砕きながらボロは唸る。自分にだけこの聖女は執拗に絡んでくるのだ。
「立派な人じゃないボロ」
「押し付けられる立派があるかっ」
「あら?」
聖女が顔をあげ森の一角を見つめた。
「なんだよっ」
「こちらに向かってくる方が」
「近くの村の人お?」
ロールの推測が誤りであることは、来訪者の姿ですぐに判明した。
聖女に似た、純白の法衣を纏った10人ほどの一団である。背丈を見るにそれほどボロと歳は離れていそうになく、登山のためか、衣服には泥や露、草木で汚れ破れている箇所もあった。
それ自体は自然なことで、まるで汚れのない聖女の方が奇怪なのだ。が、彼らも全員が白い面を被り、翼を模した鎧とも彫刻ともつかない物を背負うという奇怪を持っていた。
ロールは素早く聖女の後ろに隠れ、ボロはなるべく彼らから目を離さないようにしつつ、道具袋を引き寄せた。殊荒事に関しては彼らの嗅覚は鈍らない、現れた時間と場所、そして顔を隠していることから来訪者は平和的集団でないと確信できた。
「こんばんは」
聖女は相変わらずである。ボロは舌打ちの一つもしたくなったが、あまりに無意味なのでやめた。
「冒涜者よ」
低く、温度を感じさせない声とともに、代表らしき一人が足を踏み出した。
「妖術と恥知らずな舌で神を貶めた罪は重い、かくあってはその命にて潔白を取り戻すがいい」
面の一団はそれぞれが武器を構えた。単なる剣からボロが見たこともない形状のものまで並び、いずれも安価な量産品とは縁遠く、十分すぎるほどの整備を受けていると察せられた。
「ハルルーベ……?」
ボロのつぶやきに何人かが反応し、咎められるように傍のものに小突かれた。
ボロの推察は正しい、世事に疎い彼でもゼブンとマイの言動から、聖女が同宗教組織と対立関係にあることは呑み込める。ましてこの状況を鑑みれば、彼ら以外に聖女を亡き者にせんとする勢力は思いつかなった。
我が子たる天使、ハルルーベの抱える秘密部隊の一つである。ハルルーベの最高権力者たる、神代にのみ従属し、神の使いの名を冠した荒事を主事とする暗部であり、敵対者は無論、組織内部の改革者、反対者にもその刃を突き刺してきた。
近年では反ハルルーベの先鋒であったレサツアンサの国主、寄付金用途の透明化を推進していたマシタ教区長の死には、天使たちの関与が公然と囁かれていた。
由来である天使に倣って、聖典に記された白面と翼を模した装具を纏う。目立つ格好は、第3者に威容を記憶させるためでもあり、事前に姿を晒し万全の対策をとった相手でも確実に仕留め、且つ補足されないという伝説の構築のためでもあった。
そして今、聖女を名乗り世を惑わせ神を貶めた少女を、その伝説の一部にせんと集っているのだった。
「あ~、俺は狙ってないよな?」
ボロに冷たい視線が突き刺さる。
「恥知らずの地の者というだけで大罪である。まして冒涜者と連帯し神にも王にも穢れを振りまいた、慈悲として自死の間はくれてやる。そのような潔さを汚物が持ち合わせてはいないだろうが」
代表者の言葉には怒りと侮蔑が混じっていた。
ロールはその冷たさに、知らず自身を抱いていた。
「悪口はいけませんよ」
「確かにな、言うのはいいが言われるのは腹が立つぜ聖女様」
ボロは自身も抹殺の対象に入っていることを認め、生き残るため頭を回した。タスロフにあっても差別される立場の彼は、似たような状況に遭遇するのは初めてではない。
「容赦しねーぞ、おい」
出生の地という、己がどうしようもないことで向けられた敵意害意には、ボロは生存本能以上の意気で抗い応えてきた。学術も語彙も持たない彼は言葉でその不当に立ち向かえはしないが、命はかけられる。
「はい、あなたの怒りと行いはもっともです」
「聖女様、自分とロールを護るんならいいけどな、俺には手を出すなよ。俺は自分の力だけで生き残るんだ」
「バカっ、こんな時に意地張ってどうするの!」
「こんな時以外に意地を張らなくてどうする!」
戦いに際しての虚勢であると同時に、ボロの真意だった。
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