第2話 近道はおとぎ話の中に 

「くそがああ‼」

 ボロッケンダーズが聖女の顔面に放った蹴りを、瞬間に現れた偉丈夫が難なくとらえて放り投げた。

 巧みに受け身をとった少年の動きは流石だったが、その顔には焦燥を超えた悲哀すら浮かんでいた。

「不当な暴力はいけませんよ」

「うるせいっ! お前なんか嫌いだあ‼」

 年相応な捨て台詞を吐いてボロッケンダーズは逃げ出した。

聖女は美しく微笑んだまま、偉丈夫の肩に乗せられて少年を追いかけた。

 聖女の従者はどんどん増え、彼のねぐらの傍に集落を作っていた。衣食はもちろんのこと、病や傷も治してもらえ、偉丈夫の力で簡単な小屋も建ててそこで寝泊まりをしていた。

荒れた土地であるのに、彼らの耕作は非常に容易に行われていた。従者は口々に聖女の奇跡と褒めそやした。

それを聞きつけ、邪な考えの者も当然集まってくる。しかし、彼らは本意を遂げることができなかった。聖女は誰であれ食事と衣は与えたが、異心あって従者とならんとする者は拒み、不思議な加護ももたらされなかった。

 何よりも、聖女の前での邪が羞恥を呼び起こした。呼吸の様に行ってきたそれが、ひどく心をかき乱すのだ。多くはそれに激しい後悔を抱いて従者へと転じ、残りはすごすごと逃げ出した。

 彼女の前で醜態をさらすのを、誰もが本能的に恐れるのだった。まさしく聖女の姿であった。

 怠惰は許されない、従者たちは畑を耕し、技能のあるものはそれを実施し教えた。人は人を呼び、手本のような集団の循環が成り立っていた。

 聖女はというと、ボロッケンダーズに更生することを滔々と勧めていた。当然、少年が聞くわけはない。罵倒し、暴力をちらつかせて追い払おうとした。

 しかし、聖女にはどんな罵倒も通じない上にあの偉丈夫がいた。暴力は全て止められ、少年が逃げても馬代わりになって少女を乗せて追いかけてきた。

 しかも、説教するだけでは終わらなかった。彼の生業である、泥棒や恐喝を実行しようとすると偉丈夫を使って妨害した。そのたびに、ご丁寧に食事を出し例の衣服を出した、充足すれば悪事もしないだろうという意味である。

 ボロッケンダーズには屈辱である、彼は好んでこの荒んだ暮らしをしているのだ。虐げられ必要とされなかった生へのいわば反逆であり、愚かであっても、食い詰めての悪逆ではなく確固たる信念を持ってのことなのだ。

 聖女の清らかさも、従者たちの幸福も気に入らなかった。妨害しようとは思わないのだから放っておいて欲しいのに、聖女は現れ続けた。

「殺す、絶対に殺す!」

 ボロッケンダーズは排除のためのあらゆる手を尽くした末、ついには聖女の殺害を決行した。それほどまでに彼女の存在は彼を苛んでいたのだ。行動が行動であるだけに、これに関しての擁護は無きに等しいものの彼の生育を考慮に入れなくては公平ではない。

 考えうるすべてを彼は実行した。刺殺、撲殺、毒殺、焼殺、溺死、そのすべてを聖女は跳ねのけ、ますます名声を高くした。

 しかし、ボロッケンダーズは諦めなかった。このことが後の宗教改革に繋がっていくのだが、聖女殺害がその動機というのは都合が悪く、後世の創作ではその理由づけに苦心することとなった。


 その日、ボロッケンダーズは相変わらず聖女に追われながらある場所を目指していた。従者の姿はない、これは聖女が集落の発展を重んじるように指示した故である。

 護身に関しては偉丈夫以上のものはない、従者の代表と言えるタケーでもそれは認めざるを得ず、彼女の意志を軽視することは許されなかった。

「今日はどちらへ?」

「組合だよ組合」

 無論正規の冒険家組合のものではなく、名前を真似ているだけである。役割も劣化版といったところで、情報提供や仕事の斡旋は行っているが、量も質も比ぶべくもなかった。

 とはいえ、タスロフにおいてはそれでも貴重である。

「はあい、ボロ」

「おっす」

 それなりに手入れの行き届いた平屋のドアを開けると、壁はおろか天井までびっしり文字が書き込まれた張り紙に囲まれた中に、気だるげな雰囲気の少女が座っていた。

 相当な痩身でありながらひ弱な印象はなく、大きな瞳とそばかすが目を引いた。殊更に美人とは形容しまいが、傍にいると楽しいだろうなと思わせる愛嬌があった。

「初めまして」

「お? ……誰?」

「聖女様だよ」

 様を付けているのは、無論経緯からではなく、余所余所しい呼び名で意地でも近しくしてやるものかというボロッケンダーズの拘りだ。

「噂の子かあ」

 奥からこの組合の主、ゼブンが現れた。天井に禿げ頭のてっぺんがこすれるほどの大男で、分厚い唇と毛の類がほとんどない強面は山賊の頭の印象を与えた。

「ハルルーベの本部の方じゃあ、お嬢さんを良く思ってないみたいだぞ……ま、気をつけな」

「ありがとうございます。ですけれど、私苦境の方の手助けをしたいだけです」

 ゼブンはおどけて肩をすくめて見せた。この組合が支持を集めているのは、彼の人柄によるところが大きい。

 ボロッケンダーズと同じく、タスロフでも差別される側に生まれた彼は、祖国を脱出し新天地を求めた。そして、恥知らずの地に生まれた以上、乗り越えようのない壁の外側にいるしかないと悟った。何があったかは語りたがらないが、多くの脱出者と同じ理不尽な辛苦を舐めさせられたのだろう。

 だが、彼はそこで絶望しなかった。私冒険者と組合を知ると、彼はタスロフに戻って運営を学んで自身の組合を設立した。自身も私冒険家であり、実直で義理堅く出生に目をつぶれる程度には有能であったから、今日まで組合を続けられていた。

 自身がそうだからか、彼は客のえり好みをしない。他で相手にされない者でも道理を守れば対等に接したし、無頼には無頼で答えた。結果的に広範囲の客を呼び込み、それにともなう情報や斡旋も中々の規模と精度を保てたのだ。

 いつごろからか、痩せっぽちの少女マイを娘兼秘書として置くようになり、親子は暮らしていた。

「へえー、あの聖女様? ボロ、心を入れ替えたの?」

「バカ言え、勝手についてくるんだ。ぶっ殺してやるからな」

 ボロというのは彼らからの少年に対する愛称である。

からかうマイにボロは噛みついた。それも聖女に向けるように刺々しくはなく、彼らへの信頼が伺えた。

「それで何がやりたい? この前の盗賊団がまた組みたがってるぞ、他にも殺しなら2件」

「まあ」

 聖女が驚き口に手を当てた。

 組合といっても名前と中身を真似ているだけ、さらにタスロフでも一段貧しく無秩序な地に構えられているだけあって、情報も斡旋する仕事も、他国では非合法で眉を顰められる闇の類のものばかりだった。

「あれ、聖女様には刺激が強かった?」

「ええ、できればその方たちに会って、食事と服と家をさしあげお話を聞きたいですね」

 親子は顔を見合わせたが、呆れただけでもなかった。むしろ、ありきたりな言葉がこの少女を通すと何となく納得できるように聞こえるのに戸惑いを覚えたのだ。

 ボロはそこも不愉快だった、周囲を納得させてしまう聖女の貫禄が、彼には自身を手なずけるための首輪に思えたのだ。むしろ彼女が単なる詐欺師の類だったならここまで嫌悪しなかったかもしれない。

「そんなこったどうでもいい、俺が知りたいのは王のなんとかっていう武器のことさ」

 ゼブンは目を丸くした。

「あれはおとぎ話だぞ?」

「それが一番近道そうなんだ」

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