聖女様よ、頼むから消えてくれ

あいうえお

第1話 安酒の名と聖女様

 歴史を学ぶ上で、ハルルーベの宗教改革とそれに伴う大小悲喜劇様々の闘争を避けては通れない。

古今を通じて、最大規模の信奉者と政治経済文化への影響力、そして軍事力を擁する宗教組織ハルルーベ。彼らが表立ってにしろ秘密裏にしろ、関与していなかった事象の方が少なかった。

 そして、当然のように腐敗と暴虐にその身を染めていった。寄付いう名の徴収や略奪、異教と不正への告発者への弾圧、怒るべきではあるが驚くべきはない、当たり前の光景が繰り返されていた。

 無論、堕落ばかりでは存続は叶わない。正義意思であれ、あるいは欲望であれ、腐敗は正されまた腐敗しの周期が繰り返されて組織はあり続けた。それは例えるなら表面に現れた肌荒れの治癒であり、根本的な病巣を取り除くそれではなかった。

 あまりに巨大になりすぎた病巣は、すでに除けば命を危ぶめるほどになっていたのだ。いや、かつては病巣だったものが正常なものとされる、より醜悪な現象すら起こっていた。

この宗教改革が殊更に取り上げられるのは、その病巣を取り除いた、つまり実質的な組織解体が行われたいう点が一つにある。

文字通り、ハルルーベの本拠であった聖地、各国に点在する聖堂、神仕隊という名の軍、天使と称する秘密部隊、ともかくすべてが破壊された。

 それには多くの人々が携わったが、主導的な立場、というよりもほぼすべてを成した人物が二人いた。

 恥知らずの地・タスロフの自称冒険家少年ボロッケンダーズ。

 『聖女』を名乗る、正体不明の純白の法衣に身を包んだ銀髪の美少女。

 二人ともが、歳はおろか生まれも定かでない上に、公の場での発言や、文章もほとんど残していなかった。名を馳せるにつれて自称の親類は山の様に出てきたが、いずれも信ぴょう性のある言を持ちえなかった。

 故に毀誉褒貶も激しく、正義に燃えた改革者として扱う者がいれば、私怨と我欲に動いただけ、何ら考えもなかったと評する者もいる。

 そもそも、ボロッケンダーズとは安酒の名であり人名ではない、聖女に至っては名すらなくただ聖女としか呼ばれていなかった。

のちの世では、非実在説や一人を二人に分けた説、実は教皇の私生児説など考察が盛んにされ、年に一度は新説を売りにした本や劇が生まれた。

 いずれが正しいかは定かでないが、確実なことが一つある。

「聖女様ああああああ‼ 今日こそぶっ殺してやるぜえええ!」

「まあまあ、そんな怖い言葉を使ってはいけませんよ」

「うるせい! お説教はたくさんだあああ! 死ねえええええ‼」

 ボロッケンダーズの目的が、聖女の抹殺であったこと。

 聖女の目的が、ボロッケンダーズの更生であったこと。

「ぐあーっ」

「ゆっくりゆっくり息をするんですよ、お水を飲んで、落ち着くんです」

「ちくしょおお……いっそ殺してくれええ……」

 お互いにそれが終生叶わなかったことである。


 タスロフが蔑称で呼ばれるのは、原初の王と呼ばれる男との一件によってである。

 群雄割拠の世を渡り歩き、優れた武力と知力で初の統一国家をなした王は、今の世の礎となる仕組みを制定した。ハルルーベもその一つであり、再度分裂状態となった現世においても畏敬の念で語られている。

都度によって改修されど、彼の政治軍事経済宗教民事の制度が今も尚骨格を残したままであることが、如何に完成されたものであるかの証だ。

 冒険家組合は中でも無視できない存在だ。獣害対処や開拓地、新たな動植物の発見といった事業を、あぶれものや食い詰め物の防波堤として設立した。当初は大小の問題を噴出させたそれも、赤子が言葉を話せるようになる間にはなくてはならない組織となっていた。

 それまでは治安を脅かす存在でしかなかったならず者にも光が射した。冒険家という社会的地位と、才覚と運さえあれば道が開けるとあっては、それまでの悪事も何とか我慢できる。厳しい選別と査定に備えて、粗暴なふるまいは鳴りを潜めていった。

彼らの働き以上に、その効果が絶大だったのだ。王の創造ではなく、原型組織に手を加えたものだったが、彼自身予想だにしない成功に驚いたという。

 かくして、組合は一都市に一つから、時を刻むごとに拡大し、一集落に一つまで広まっていた。辺境では正規の治安維持組織よりも信を置かれる場合もあり、繁栄に欠かせない存在となった。

特に、獣の撃退は定期的に発生し根絶が難しい問題であるため、彼らの代表的な仕事である。既に民間からの協賛金と所属者からの献金で十分に運営可能な巨大組織となっていた。

 その組合が、タスロフには存在しない。正確に言えば、あらゆる国家から認められた正規の組合組織がない。

 伝説によれば、凶暴な獣の害からタスロフの民が王に救援を求めたところ、討伐を成すと掌をかえし石もて追い出したのだという。真偽定かではないものの、王が統一後タスロフに過剰な冷遇を施したのは確かで、同類の出来事があったのだと推測されている。

 タスロフ側からの弁明は早くに行われていたが、王は終生応じなかった。とすれば、それが周囲に伝染するのは自然の摂理である。タスロフとその地の人々は蔑みの目で見られ、孤立を余儀なくされた。

 統一国家の枠組みにはあれど、その力が及ばないという歪な状況は国家を疲弊させていった。全てをタスロフ内で賄い、他からの協力が期待できない状況が続く内に、無法国家そのものへと変貌していた。

周囲も『安心して迫害できる悪』を手放そうとはせず、タスロフは暗黒の時代を過ごしていった。次第に流刑地として罪人の送られる地となり、あるいは逃亡者が住み着くようになる。

 事実が神話になるほどの長い歳月も、それを是正してはくれなかった。原初と同じ国家乱立状態の現代をもっても、タスロフは相も変わらず恥知らずの地であった。

 そこに生まれ暮らす者、そして流れてきたものは悲惨である。無論タスロフでも貧富身分の差はあるが、上れば上るほど周辺国家との差で惨めにさせられた。他国に逃げるにしろ、結局は一からの再出発を余儀なくされる上に、生まれが暴かれればあらゆる差別を受けた。

 王すら唾棄する、醜悪な輪が形成されているのだ。悪意は蓄積し、おぞましき大蛇となって今も尚タスロフを縛っていたのである。

 そんな状況もあって、ボロッケンダーズ少年の人生も恵まれたものではない。貧農の7男坊に生まれ、家族でなく労働力として扱われる過去と未来しか約束されなかった。

 さらに、彼の住む村はタスロフの中でも一段劣悪な場所だった。土地は痩せ、そのくせ獣や虫は多い。それというのも、そこに住む彼らが王との一件の元凶の者らの子孫とみなされているからだった。

 何ら証拠もない、詰まるところ、やり場のない怒りをより弱い者にぶつけるための方便である。どうにもならない鬱憤を晴らすように、周囲は彼らを苛んだ。

 ボロッケンダーズ少年はそれを良しとしなかった。ある日、彼はいつものように彼を虐待しようとした少年らを返り討ちにし、家から幾ばくかの金を盗んでそのまま出奔した。

 彼には反骨心と頭の回転、何より生き汚さがあった。コソ泥と物乞い、時には強盗のおこぼれに預かりながら成長し、いつからか誰かに聞かされた私冒険家を名乗るようになった。

 私冒険家とは、組合に入っていないが、冒険家を名乗りたい者が自称する名である。大抵は組合に入れないどうしようもない者が名乗っているため信頼は低く、殺人や強盗の臨時雇いの温床になっており、組合からは目の敵にされていた。

 しかし、それを自称する者は意外に多かった。何であれ、自身を確立してくれる称号には魅力を感じるものらしい。ことタスロフではそれが顕著だった。

 少年は生来の名を、忌まわしいそれまでの人生と共に捨てて、転がっていた安酒の瓶に刻まれた名、すなわちボロッケンダーズへと変えた。

 長生きできるとも、しようとも思わない。いずれ死が迎えに来るまでは精一杯生きようと、気ままに日銭を稼いでいた。

「あらあら、いけませんよ」

 それは唐突に現れた。

 純白の法衣をまとった銀髪の美少女。僅かの穢れもなく、文字通り絵から抜て出て来たような神々しさであった。すでにこの時には、うやうやしく付き従う白衣の従者が10人はいた。周囲の誰もが、この少女を無視することをできなかった。

「なんだあ?」

 一目でボロッケンダーズはこの少女に反感を抱いた、秀麗な顔に浮かぶほほ笑み、法衣の荘厳さ、従うことに疑問を抱かずむしろ誇りすら感じている従者たち。

 つまるところ、底も底であがいてきたボロッケンダーズに反発を抱かせる全ての要素が詰まっていた。

「ひどい暮らしをしてますね」

「ああ?」

「それは心の問題でもあるのです、清く正しくあるのが大事です」

 次の言葉によっては、唾の一つも吐きかけてやろうと身構えていたボロッケンダーズは、あっと声を上げた。

 両手を掲げた少女の背後に、光り輝く偉丈夫が現れたのだ。彼は知る由もないが、それはハルルーベが主神と崇める同名の創造主と同じ姿であった。彫刻をそのまま生身にしたかのような美しく強い肉体と、威厳と慈悲を称えた尊顔を少女と同じ純白の衣服が包み込んでいる。

従者たちのみながら、見ていただけの周囲にもひれ伏す者が出て、感涙してすらいた。何かはわからずとも、そうしてしまう威容をかの者は備えていた。

「まずはおなかを満たしましょう」

 ボロッケンダーズのは再び驚きの声をあげた、彼のみならず、その場にいた全員の前に食事が出現していたのだ。

 湯気を立てている粥、香料たっぷりの蒸し魚、瑞々しい野菜、甘い香りの丸い菓子、どれもがタスロフでは大部分の者が生涯想像すらできない逸品だ。

 大部分の者は目の色を変えてそれに貪り付いていたが、従者とひれ伏していた者は犬の如く少女の言葉を待っていた。

「どうぞ召し上がってください」

 彼らは、自身の出来得る限り上品に食事をした。そして出来得る限り上品に食事を終えると、少女の前に並んで平伏した。

「正しく清い道を歩みたいですか?」

 彼らはより深い平伏で答えた。

「では、私たちと共に」

 従者が平伏した者たちに、純白の衣装を与えて列に加えた。

「あなたは?」

「嫌だ、俺は好きに生きるんだ」

 ボロッケンダーズは、自分の分の料理を突き返して背を向け歩き出した。

「聖女様になんと無礼なっ!」

「いいんです、タケ―さん」

 朴訥とした顔立ちを持つ、褐色肌の従者の青年が非難するのを聖女と呼ばれた少女は制した。

 食事には心惹かれたが、ボロッケンダーズはやはり少女が気にくわなかった。

その根源は野良犬の誇りだった、生まれてこの方何も与えられず奪って生きてきた。自分でも何の誇りとなるかと嘲りたくなるようなものでも、彼には必要だった。

そう、出奔も安酒からとった名前も、私冒険家の称号も、全て自分で手に入れたのだ。

新しく生まれたからこそ、主義は絶対に捨てない。完璧な少女からの完璧な施しは絶対に受けたくないし、屈するつもりもない。

 少年は、そのままねぐらにしている崩れかけ放置された農家に戻り、空腹を聖女に勝利した戦果と慰めて寝た。

「おはようございます」

「うおっ⁉」

 だが、話はそこで終わらなかった。

 翌朝、農家を出たボロッケンダーズを微笑みを称えた聖女が迎えたのだった。聖女を知る者には憧憬であるが、少年には苦難の始まりであった。

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