第五章

第五章

次の日。今度は杉三をひきつれて、咲は田沼家に行ってみることにした。

「こんにちは。」

まず咲が玄関先でそういうと、応対したのはジャックさんだ。もう通いなれているせいか、にこやかにどうぞ、と二人を招き入れた。

「影山さん、でしたっけ?」

ジャックさんが名前を聞くと、

「おう、影山杉三というが、あんまりそういう呼ばれかたはすきじゃないので、杉ちゃんと呼んでくれ、杉ちゃんと。」

と、いういつもの形式的な挨拶をする杉三。

「はあ、そうですか、、、。」

ジャックさんは、ちょっと、びっくりしてしまった様である。

「で、武史君は何処に?」

咲が聞くと、

「庭で遊んでいると思うんですけどね。あんまりテレビゲームみたいなことはすきじゃないので。」

と、いう答えがでたので二人は庭へ案内してもらった。

確かに、武史君は庭でなにか描いていた。そういう所はお父さんそっくりなのだろうか、ちゃんと紙と鉛筆をもって、一生懸命描いている。

「武史君、咲おばさんよ。今日ね、おばちゃんの友達を連れてきたの。影山杉三さん。面白いおじさんだから、ちょっと、一緒に遊んでみない?」

咲がちょっと声をかけてみても、武史君は、振り向こうともしない。

「武史君、絵を描くのもおもしろいけど、おばちゃんと遊ぼうよ。」

「ちょっと待って、こういう時はな、武史君の楽しみを取っ払ってしまわないようにやるんだよ。」

咲の言葉を遮って、杉ちゃんがいう。

「ずいぶん絵が上手だな。まあ、そうだよなあ。父ちゃんが絵描きをしているんだもんな。一体何を描いているのかな。ちょっとみせてくれや。」

杉三が、わざとおどけたふりをして、武史君に近づくが、武史君は何の反応もしないのだった。

「おい、何を描いているのか位教えてくれよ。ちょっとみせてくれないか。」

杉三はもう一回武史君の絵を見た。

「へえ、岡本太郎みたいじゃん。上手だねえ。うん、素敵だよ。すごいすごい。なんとも独創的だな。」

たしかに武史君の絵は、庭に生えている大きな木を写生したモノであったが、たしかに、岡本太郎の作品に近いものがある。どういう事かというと、大きな木をそのまま描いたのではなく、ゆがんだ構図になっており、一見すると、気持ち悪い絵にみえてしまうのである。

だからこそ、学校の先生に酷く怒られたりしたのかもしれない。

「いいのさいいのさ、藝術は爆発なんだもの。こういう絵があってもいいよね。将来は美術学校に入ってさ、岡本太郎みたいな大画家になったりして。」

そうなると、お父さんの描いている絵とは、偉い違いだなと咲は思うのであった。ジャックさんがあれだけ綺麗な山水画とか花鳥画とか描いているのに、武史君の絵は岡本太郎。なんとも違いすぎる。

そこを学校の先生に指摘されたりしているのかもしれなかった。

「なあ、お前さんは、いつもそういう絵を描いてるの?べつにおじさんはそれを批判している訳じゃないよ。そこはまちがえないでくれ。岡本太郎だって、ちゃんとした画家として一声を風靡したんだからな。そこを踏まえて教えてくれよ。いつもそういう絵を描いてたのしいか?」

急に武史君が立ち上がった。立ち上がると杉三の肘位の所に彼の顔がきた。杉三が何をするんだと顔を向けたとたん、武史君は、その肘をガブッと噛み着いたのである。

さすがに之にはジャックさんもおどろき、こら、武史!と言いながら、すぐに彼を杉三から引き離したが、そのかみつき方は強烈で、杉三の肘に歯形どころか、しっかり血痕まで残した。

「すみません。杉三さん。今包帯持ってきますから、ちょっとまっててください。」

ジャックさんはそういうが、いや、いいと杉三は言った。

「多分、こういうことは、しないほうがいいと思う。余計にあの少年は傷つくことになるぜ。」

「しかしですね、悪いことは悪いんだとちゃんと伝えた方がいいのではありませんか?」

「まあ、そうだけど。」

と杉三は言った。

「あんまりそういうことはしないほうがいいんじゃないかな。たしかにかみついたのは悪いことだろうが、理由はちゃんと聞いてあげなくちゃ。多分、複雑すぎて、本人も話せないんだと思うぜ。」

「理由はちゃんとあるんでしょうが、言葉がちゃんと言えないということもあるんだと思うわ。そういう所は、学校へ行って、ちゃんと習ってくるモノなのよ。学校はそのためにお勉強するの。だから何も怖がる必要もないと思うのだけど。」

杉三の話に咲が口を挟んだが、

「よせ、やめろ。お前さんまで噛まれるぞ。」

と杉三に言われて、其れはやめた。

「まあ、いいや。しかし、おじさんはどうしたらいいんだろうね。今日はお前さんにカレーを作ってやろうと思って、張り切っていたけど之のおかげで作れなくなっちゃった。せっかく、カレーの材料買ってやったのにさ。」

杉三がでかい声でそう言った。この話ばかりは本当で、杉三は、ここへ来る前に、スーパーでカレーの材料を買い求めていた。車いすのポケットに、材料が忍ばせてあった。。

「すみません、本当にごめんなさい。何なら手伝いましょうか?」

ジャックさんが申し訳なさそうにそういうと、

「そうだな、そうしてくれや。せっかくこっちへ来たのに、包丁が握れないのは、悲しいからな。」

と、杉三はにこやかに言った。

「ほんじゃあ、ちょっと台所に案内してくれないかなあ。」

「わかりました。」

ジャックさんは、杉三を台所に連れて行った。幸いこのお宅には段差は比較的少なく、すぐ部屋の中にはいれるような作りになっていたため、杉三は問題なくはいることが出来た。

「あれ、これは何だ?」

台所に入った杉三が、一本の柱を指さして言った。たしかに台所にある柱の一つだけど、そこだけ、何本か傷がついている。

「あ、其れはですね、丁度武史が立って歩き始めたばかりのころ、なくなった妻が描いたモノでして。」

と、ジャックさんが説明した。

「武史が歩き始めた記念になにか残したいというものですから、丁度わが家にはデジカメも何もなかったので、こういう風にしか、残せなかったのです。」

「へええ、なるほど。たしかに藝術家は貧しいと言いますからな。つまり柱の傷はおととしの、か。」

杉三は笑いながら台所に入った。

「ジャガイモあらって。」

ジャックさんは、車いすのポケットから、材料を取り出して、手ばやく洗い始めた。その間に咲は、杉ちゃん包帯でもしたほうがといったが、杉三はまた、そんなことしなくていいと言った。

杉三が、ジャガイモをあらってとか、ニンジンを切ってとかジャックさんにいろいろ指示を出している間に、咲は再び庭へ出て、武史君の所に行った。武史君は、何事もなかったかのように絵を描いている。

今度は声を掛けず、そのまま遠くから、眺めていただけにとどめておいたが、たしかに武史君の絵は、杉ちゃんが言ったとおり、岡本太郎の絵にそっくりだ。決して美しい絵であるとは言えない。そうなると、そんな絵の描き方はやめて、もっと綺麗な絵を描こうね、と多くの教育者は口をそろえて言うだろう。ほかの芸術家の作品をみても、ブラマンクのような個性的な絵を描く人も中にはいるが、モネやセザンヌのように、美しい絵を描く人のほうが圧倒的に多いし、支持率もそっちの方が高い。

うーん、どうしてあげたらいいのだろうと咲は悩んだ。

学校の先生だったら、すぐにそんな絵を描くのはやめて、すぐに綺麗な絵を描くように持っていくだろうが、それが原因で不登校になってしまったとなれば、無理やり矯正してしまうのも可哀そうな気がする。

かといって、岡本太郎のような絵では、余りにも支持率が低すぎるのは、たしかだ。

「どうしたらいいのかなあ。」

思わずそう呟いてしまう咲であった。

一方そのころ、杉ちゃんの方は、でかい声ではしらーの、きーずーは、おととーしーの、何て歌いながら、カレーを作っていた。隣でジャックさんが、半なきになりながら、野菜を切ったりしていた。ジャックッさんもジャックさんで、日本の教育事情を全く知らないことを、学校の先生に叱られたため、自身も悩んでいたのである。

「そうかそうか。まあ、日本の学校は密室だからな。ほんとにさ、子どもさんが何をやっているかなんて、全く知らせてくれないもの。授業参観では猫かぶって、いいとこみせるが、その裏では、もうどろどろの連続よ。それに他言するなという教師までいるし。もうちょっとオープンになってくれればいいのにねえ。」

「そうなんですよ。急に学校にいかなくなって、理由を聞いたら、其れはしゃべってはいけないと学校

の先生が言ったらしくて、僕も、正直武史が学校で何を言われたのか、よくわからないんですよ。」

ジャックさんは、、大人らしくなく愚痴を漏らした。

「そうだよなあ。まあ、日本の学校なんて本当に役に立たないからな。もう、百害あって一利なし。困ったもんよ。」

杉三はカラカラと笑った。

「でも武史君にとっては、そういう訳で周りのものすべてが、美しくないんだろう。それで、ああいう岡本太郎みたいな絵を描くんじゃないのかな、やっぱり絵ってのはさ、人間の主観がある程度でるもんだからな。」

「そうですね、、、。」

と、ジャックさんも困ってしまう。

「別に岡本太郎さんが悪いと言っている訳ではないんだけどね。」

杉三はそういって、鍋にルーを割入れた。

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