第四章

第四章

「行ってきたぜ。」

杉三が、買い物からもどってくると、水穂の世話係を任されていたブッチャーが、困った顔をしてやってきた。

「杉ちゃん、困ったことになった。」

「困った事って何だ?」

杉三が、そう聞き返すと、

「また来てんだよ。」

ブッチャーは頭をかじる。

「誰が?」

「あの人、あの、浜島っていう、綺麗な人だ。杉ちゃん覚えてないか?あんまり枕元で騒がれると、水穂さんも、ゆっくり眠ってられないんじゃないかな?」

ブッチャーは、大きなため息を着いた。

「何しに来たんだよ。」

杉三はそういった。

「知らない。杉ちゃんが買い物に行っている間に、ふらりと現れてさあ、ちょっと右城君と話がしたいからはいらせてくれって。何だか相当思い悩んでいる様な顔だったぞ。」

「はあ、悩んでいること何て何だよ?相当悩んでいるって、何を悩んでいるんだろ。」

「そうなんだけどさあ、水穂さんの体に良くないから、早く出てくださいという訳にも行かず、、、。とりあえず寝ているけど、起こせば起きる筈だからって言ったら、すぐにはいらせてくれって言って、はいっていったよ。」

「そうだよなあ、それではたしかに水穂さんの体に良くないよな。かといって、追い出そうという口実も出来ないよねえ。うーん、こういう場合、どうしたらいいのか、、、。」

杉三とブッチャーは腕組をして考えるのであった。

一方、そのころ。四畳半では。

「右城君、右城君、ねえ、起きて。ちょっとだけでいいから、聞いてもらえないかしら。」

咲は布団で眠っている水穂の肩をトントンとたたいた。最初、ブッチャーに、寝ていますけど、起こせば起きると言われて、其れなら、少し待てば自動的に起きるかなあと思って待っていたのだが、いくら待っても起きないので、しまいには、声をかけてしまったのである。

「右城君、ねえ、右城君てば。起きて。ねえ、おきて!」

ちょっと音量をあげて声をかけるが、それでも目を覚まさない。

「睡眠薬でも飲んだのかしら。声をかけても起きないなんて。どうしたんだろう、、、。」

こういう時に、道徳的に言ったら相手の立場を考えるとか、そういうこともしなければならないのだが、咲は、悩んでいることで頭が一杯になっているせいで、其れは思いつかなかった。

「右城君、お願い、ねえ起きて。ちょっと聞いてほしいことがあるのよ。頼むから、起きて、おきて!」

しまいには、水穂の体をゆすって、起こしてしまう咲であった。それをやって、やっと、ううんという声をあげて、水穂は目を覚ました。

「あ、よかった。やっと起きてくれた。ちょっと聞いほしいことがあるの。もう、あたしじゃどうしようもなくて、それで何かアドバイスでもないかなと思って、来させて貰ったの。」

咲は、ここぞとばかりに、すぐに話し始める。

「浜島さん、、、。」

弱弱しい口調で水穂は返答した。返答をしてくれたので大丈夫何だなと確信した咲は、堰を切ったように一気に話し始める。

「ねえ右城君。うちのね、新しいお箏教室に来てくれているお弟子さんでね、イギリスから来ている人がいるのよ。その人はね、息子さんが一人いるんだけど、その子が、学校でいじめにあったらしてくて、学校にいけなくなってしまったんですって。支援センターとか、そういう所にもお願いしているらしいんだけど、それも効果なしなんですって。それで、あたしも、その子と少し話したんだけどね。もう、あたしのことは敵とみなしているのか、全く口は聞いてくれないし、あたしに矢鱈と苦いお茶ばっかりだして。多分大人の女の人が怖いんだろうなって、いう事だと思うのね。だから、それを治してもらいたいんでしょうけど。彼の方も抵抗があるみたいで、こないだなんか、あたしが訪問した時、わざと紅茶にお塩を入れられて、もう、憤慨したわ。」

「そうですか。」

水穂は、細い細い声で答えた。

「でも、その子、武史君っていうんだけどね。そうなっちゃいけないでしょ。心が傷ついたら、すぐに何とかしてやらないと、大人になったら、大きな問題を引き起こすってのは、右城君も知っていると思うのよ。だから、その子のお父さんが、あたしに、自宅へ来てくれと、申し訳なさそうにいうんだけどね。たしかに、その子が大人の人を怖がらないようにっていういう意味だと思うから、あたしも、協力しているんだけど、紅茶にお塩を入れられた時は、あたしも本気になって怒っちゃったわ。」

さらに咲のおしゃべりは続く。

「まあねえ、たしかに大人が感情的になったらいけないってのはわかるわよ。だけどねえ、散々苦いお茶ばっかり出されるし、挨拶しても、口は聞いてもらえないし、そのうえには、ああして塩のはいった紅茶を出されるとは、、、。あーあ、あたしも、その程度しか子どもに見てもらえないのかなと、がっかりしちゃったわ。もしかしたら、あたしは、武史君を助けたくて訪問させてもらっているのに、武史君にとっては、あたしの事なんて、大事なお父様を盗ってしまう、まあ、不倫相手みたいに思っているのかしら。そういう意味で武史君に会いに行っている訳ではないんだけどなあ。あーあ、どうしてあたしの気持は届かないのかしらね。」

水穂は何も言わなかった。それを肯定したのかと勘違いして咲がさらに続ける。

「もう、これからどうしたらいいのかって、お父さんもあたしも困ってるのよ。全く、ちょっと学校の先生に怒られた位で、全部の女の人が敵って訳じゃないことに、気が付いてもらえないかしらねえ。たしかにがみがみ怒鳴る先生もいるけれど、全部の女の人がそうするってことはないってことに、何で、子どもって気が付いてくれないのかしら。一人でも、怖い人が出ると、全部の人がそうなんだと思っちゃうのね、子どもの世界は。」

水穂は何も言わない、相槌を打つこともしないのだ。ただ、目を開けて天井ばかり見つめているだけである。

「ねえ右城君、聞いてる?あたしの事。なにかあったら言ってよ。」

そう声をかけたが、それでも天井を見つめたままである。

「天井になにかいいことでも書いてあるの?」

思わずからかい半分で聞いてみた。すると、

「そんなわけないでしょ!単に苦しくてそうしているだけよ!」

甲高い女性の声がして、ぴしゃんとふすまを開けた音がする。まだ、駅員の制服に身を包んだままの由紀子さんがそこにいた。

「由紀子さん。」

思わず口を開いてそういうと、

「あのね。太田さん、じゃなくて今は浜島さんか。もう、ここへは来ないでもらえないかしら。水穂さんはもう、あなたの長ったらしい身の上話を聞けるような状態じゃ無いのよ!」

由紀子は声をあげて怒った。

「何をそうがなり立てなくても、、、。」

咲は怒られた理由が、よくわからなくて、思わずぽかんとしてしまったが、

「水穂さん、大丈夫?吐きそう?苦しい?」

と、由紀子が強引に割り込んで、水穂を抱え起こしたために、何の事だか理解できた。聞こえてきたのは返答の代わりに咳の音だったからである。其れと同時に由紀子が背中をたたいて、

「ごめんねえ、水穂さん。あたしにも、天童先生のようなハンドパワーが使えればいいんだけどねえ。」

何て言っているのも聞こえてきたので、喀出を促しているのだと理解できた。

「時々あるんですか、こういう事。」

咲が由紀子に尋ねると、

「ええ。」

その二文字だけ返ってきた。

その間にも咳き込む音は、おおきく強くなっていく。はいはいはいと、由紀子が背中をなでてやっているのもはっきりみえた。やがて、由紀子が口にあてがっていたタオルが朱く染まると、その音はなくなって、水穂は倒れ込むように布団に横になる。

「よく眠ってね。」

由紀子は、そういってかけ布団をかけてやった。

「たいへんね。」

咲が由紀子に言うと、由紀子はきつい目つきで咲を見た。

「変な同情はしてもらいたくはないわね。」

「本当によくあるの?こういうことが。」

と、咲がまた由紀子に聞いた。

「ええ、薬のせいでしょうね。いつもは深くしずかに眠っているだけなんだけど。時々、自分でも、吐き出し切れないのかしらね。誰かに手伝って貰わないといけない時があって。」

「いわゆる、昏睡状態なのかしら。呼びかけても、なかなか反応もしないし、もう自分では起きられないの?」

もう一度そう聞くと、

「ええ。」

と、又、その二文字が返ってきたのである。それが咲にとって、一番きつい答えだった。

「違うわよ。睡眠剤のせいで、ずっと眠っているだけなのよ。そうしないとね、体が落ち着かないから。そして、時々こうして、咳き込んで。その繰り返しよ。」

「それでは、もうかなり病状は進んじゃったのね。其れなら、もっとちゃんとした、、、。」

そう言いかけると、由紀子はきつい目つきをして、咲をにらみつけた。

「いいえ、其れだけは絶対にやめて!そういう事なら、あたしが最期まで世話をするから!」

「由紀子さん、そういう気もちはあったとしても、ここまでたいへんな人を看病するなんて素人には出来ない話でしょうに。水穂さんにとっても出来るだけ楽にしてやれるように、専門的な病院へ。」

「浜島さんお願い、其れだけはやめて!」

由紀子が声を荒げてそういうと、

「おいおい、水穂さんのためにも、女同士でガチンコバトルをするのはやめてもらえないだろうか。」

と、杉三が顔を出した。

「由紀子さん、あたしが追い出してみせますなんて、俺たちの前でかっこつけて言った癖に、これじゃあ、追い出すどころか、変なガチンコバトルになっちゃって、、、。」

ブッチャーも心配になったのか、由紀子のいる方へやってきた。やっぱり女同士では、こういうことは難しいことになってしまうらしい。

「咲さんが悩んでいることは、杉ちゃんみたいなおもしろい人の方が、かえって心を開いてくれますよ。咲さん、ただ言葉で仲よくしようと言ってもだめですよ。杉ちゃんみたいに、食べ物を使うとか、そういう手立てを考えなくちゃ。もう、次にその子に会いに行く時は、杉ちゃんと言ったらどうですか?」

いつの間にかブッチャーは喧嘩の仲裁ができるひとになっていた。

水穂だけ、一人しずかに寝ていた。

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