第三章

第三章

富士駅にバスが到着すると、二人はすぐにバスを降りた。ジャックさんは、自宅はすぐ近くだと言った。

「こっちです。」

と、ジャックさんに言われて咲は、裏通りの道を歩いた。

「変なことを聞くようですけど、浜島さんはもう一回家庭を持つ気はあるんでしょうか?」

そんなことを言われて咲は返答に困ってしまう。でも、其れもしかたないかと思った。外国人である以上、こういう所も考慮しなきゃ。そういう、率直な質問をする所こそ、外国人の特性であるのかもしれない。

「いえ。あたしは、今のところありません。」

そう正直に答える。率直に聞くのなら、あたしもその通りに答えなければならないな。と咲は、そう思ったから、そうちゃんと答えを出した。

「そうですか、、、。」

ジャックさんは、ちょっと悲しそうに、というか残念そうな顔をした。え?もしかしてあたしを?と咲は思ったが、外国の人である以上、そういう所も、考慮しなければならないと思った。

「一体なぜ、そういうことを聞くんですか?もしかしたら、なにか悩んでいらっしゃるのでしょうか?」

と、ちょっと掘り下げた質問をしてみると、彼はちょっと悩んでいる顔をして、

「ええ、まあそうなんです。」

と答えた。

「もしかして其れは、家庭の事ですか?」

と、咲が聞くと、

「はい。」

と、迷いもなく答える。咲は、気になっていろいろ聞いてみることにする。

「ご家族は、と言っても、日本で暮らしているご家族ですけど、あの時田沼と名乗っていらしたから、日本の奥さんを貰ってらっしゃるんですよね?そして、さっきも聞きましたがお子さんが一人いて。」

「ええ、まあそうなんですけどね。妻は五年前になくなりましたよ。だから、一緒にいたのは、息子が一歳になる前の時だけなんですよ。僕たちは、本当は、イギリスで生活することにしていたんですけど、子どもが出来るとそうは行かないんですかねえ。妻が突然、日本で生活させてやりたいと言い出して。僕は、それを聞いた時、耳を疑いましたが、まあ、妻のいう事を信じてこっちに来たんですけどね。結局、一年生活しただけでなくなってしまいました。理由は、よくわかりません。ただ、こっちに来てから、よく息子が周りに比べて、反応が遅いとか、そういう事ばかり言っていましたので、病んでしまったのかもしれませんね。僕にしてみれば、イギリスでは他人と比べるなんてあまりしないので、何が何だかわかりませんでしたけどね。」

咲がそう聞くと、ジャックさんは長々と答えた。多分そういう事なんだろう。海外にそのままとどまっていれば、しあわせになれたと思われるのに、勝手な都合で日本にかえってきたせいで、かえって不幸になった例は、非常に多いのである。

「そうですか。何だか、日本に戻る必要もないんじゃないかって思っちゃった。」

思わず咲は言った。

「まあそうですが、後悔してばかりいては困ります。それではなくて、ここにいるのだからどう動くかを考えなくちゃ。と思って今いろいろやっているんですが、いずれにしても効果なしで、ぼくたちは困っているという訳です。」

と、ジャックさんは答えた、咲は、複雑な気持で、それに返答を考えたが、どうしても思いつかないのである。

「あの、うち、こっちなんですけど。」

と、ジャックさんは、咲が曲がろうとした道の反対方向を顎で示した。そこは丁度T字路になっていてジャックさんの家はその突き当りを右に行くという事であった。

「あ、ああごめんなさい。」

咲は、不安な気持を隠しながら、すぐにジャックさんの後をついていく。

「もうここまで来てしまえばすぐ近くです。もうまもなくみえてくると思います。」

それでは、と彼の後をついていくと、平屋建ての小さな家の前に来た。ちゃんと表札には、田沼としっかり書いてある。

「之です。まあ、せまくて汚い家だけど、なにかだしますから、はいってください。」

そんなことしなくてもいいのにな、と咲は思ったが、そうしなければならないと、ジャックさんは思っているようなので、それでは、とはいらせてもらうことにした。

「こんにちは。」

するとたたたっと走ってくる音がして、小さな少年が現れた。始めは父がもどってきて嬉しそうな顔をしていたけれど、咲を見て恥ずかしそうな顔をして、すぐにまた方向転換しようとした。

「こら、待って。お客さんにあいさつしなさい。」

と、ジャックさんが言うと、少年は逃げるのはやめて玄関先にもどってきて、

「こんにちは。」

と、だけ言った。

「ほら、初めて人にあった時は何て言うんだっけ?」

ジャックさんがあらためてそういうと、

「初めまして。」

という。

「そうじゃないでしょ。初めて人にあった時は、名前を言って、其れから、お辞儀をするんだよ。」

ジャックさんは、そう注意すると、

「初めまして、僕の名前は、田沼武史です。よろしくお願いします。」

と言って、しずかに礼をしたのだった。

「まあ、ちゃん挨拶が出来て偉いわね。おばちゃんもそうしなきゃいけないわ。あたしは、浜島咲。どうぞよろしくね。」

と、咲は、そういって右手を差し出した。しかし武史君は、それに応じない。

「ほら、せっかく、咲おばさんが、挨拶してくれたのに、応えなくちゃダメじゃないか。」

ジャックさんにそういわれて、武史くんはやっと右手を握り返してくれた。咲おばさんと言われてちょっとムッとしてしまう咲であったが、それも黙っておいた。

「武史くん、握手してくれてありがとう。お年はお幾つなの?」

代わりにそんなことを聞く。

「六歳。」

武史君は、ぼそっと答えた。

「そうか。其れじゃあ、もう小学校一年生か。何処の学校に通ってるの?この辺りに住んでいるとなると、第一小学校あたりが近いかしら?」

と、咲がそういっても、武史君は答えなかった。

「あら、其れならまだ、幼稚園生?」

「其れなんですけどね。一応第一小学校に通っていたんですけどね。二か月ほど前から、、、。」

代わりにジャックさんがそう答えるのだ。答えるのに渋るという事は、つまるところ、武史君は学校に行けてないのだろう。やっぱり不登校児であることを告白するのに、多少渋ってしまうのは、日本でもイギリスでも同じことらしい。

「そうかあ。学校行けてないのね。でも、おばさんは、其れは別におかしな事だとは思わないし、今の時代であれば、学校を変わることだって、普通にあることだから、別に気にしないわ。」

咲はそう答えをだした。これは咲も本音で答えている。学校のせいで、精神が不安定になってしまったのなら、学校を変わっても、何の恥でもないと咲は思っている。

其れよりも、学校に通わせることにこだわりすぎて、かえって子どもの精神を壊してしまうほうが問題だ。

「浜島さん、玄関に立ってないで、上がって下さい。ほら、武史、咲おばさんにお茶を出して上げてやって。」

「お邪魔します。」

咲はジャックさんに言われて、とりあえず家の中に入った。案内された部屋にはいると、部屋の中には墨の匂いが充満している。何だろうと思ったら、目の前にあるテーブルの上に、風景などを描いた半紙が大量に置かれていた。詰まるところの水墨画だ。ジャックさんは、これを生業としていたのだ。

「イギリスにいたころは、油絵ばかり描いていたんですけどね。日本に初めてきたとき、雪村の絵に感動してしまって、もう、やってみたくなってしまって。」

なるほど、そういう事か。雪村なんて咲はまるで知らなかったけれど、外国の人のほうが、日本文化をよく知っていることがあるのは、咲も知っていた。

「へえ、すごいものにはまったんですね。この牛の画像とか素敵だわ。」

咲は、一番上にあった、ホルスタインの絵を指さした。

「まあねえ。個展もたまにやったりするんですよ。動物ばっかりじゃなくて、花鳥画とか、山水画も描いてますね。よく依頼されるのは富士山も。」

と、照れやかに、ジャックさんは言った。これでやっと、ジャックさんの笑った顔がみえてくれたような気がして、咲もほっとする。

「咲おばさん、お茶持ってきた。」

ふいに後ろからそう声が聞こえたので、咲は後ろを振り向いた。後ろに、武史君が、湯飲みをもって

立っている。

「あら武君、ありがとう。」

咲はそういってお茶を受けとった。そしてずるっと音をたてて、中身を飲んだのだが、

「嫌だ、苦い!」

思わず、湯飲みを落としそうになるほど、そのお茶は苦かった。

「こら、またいたずらをしたな。」

と、父親のジャックさんが、そう注意する。

「すみません。後でしっかり叱っておきますので。」

ジャックさんはそういうが、咲は叱らないで彼の悩んでいることを聞いてやった方がいいのではないかと思わずにいられなかった。武史くんのその顔が、そうしてほしいと訴えているようにみえたのである。

「困りましたね。支援センターなんかに相談に行ったほうがいいのかなあ。イギリスではそういうモノが身近にあったのですが、日本ではなかなかなくて、そうなると、都内とか、そういう所に行かないとダメなんですよね。そういう時間もなかなか作れないし、、、。」

そういって、外部の人になんでも頼んでしまうよりも、武史くんの顔を、真剣にみてくれる人物が、一人いれば、一発で解決できるのではないかと思ってしまう咲であった。

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