しろくまの居場所 終

 小野田さん、小清水とともに音楽室に戻ると、僕は沢城を探した。音楽室では昼食をとったり、個人練習をしたりと、吹奏楽部員が思い思いに過ごしている。小野田さんは見慣れない吹奏楽部の休憩時間の様子におどおどとしていた。

「沢城、ちょっといいかな。」

「ふぇ?」

 音楽室でおにぎりをほおばっていた沢城は、突然の声掛けに間抜けな声で答えた。

「ちょっと聞きたいんだけど、いまのトロンボーンパートにマイ楽器持ってる人っていたっけ?」

「いや、いないと思うよ。みんな学校の楽器使ってる。」

「じゃあ、いま楽器庫にあるトロンボーンは、全部備品管理台帳に載ってるはずだよね。」

「たぶん。・・・あ、いや、たしか一本だけ、台帳に記載がないけどモノだけある変な楽器があった気がする。それがどうかした?」

 沢城はおにぎりを左手に持ったまま、首をかしげた。

「やっぱりそうか。ありがとう。」

 怪訝そうな顔をする沢城に礼を言って、僕たちは楽器庫へ向かった。


 楽器庫の中は少し埃っぽくて、真夏の昼だというのに薄暗く、どこかひんやりとしている。部屋に入ると両側の壁には三段のスチールラックが並び、それぞれの段には大小さまざまな楽器のケースが所狭しと並んでいる。

 僕たちはトロンボーンの置いてあるところまで行き、その棚の前に立った。

「小野田さんが絵に描いていたのはこのあたりだよね?」

 僕の問いかけに、小野田さんはこくりとうなずく。

 合奏の前にケースの出し入れがあったのか、小野田さんの絵よりも乱雑な形で何本ものトロンボーンケースが置かれているが、問題のトロンボーンケースは絵の通りに左から二番目に置いてあった。鈍く黒色に光るハードケースが並ぶ中で、一つだけこげ茶色の革製ケースはひどく年季の入った渋い逸品に見える。

 僕はその革製ケースを棚から引っ張り出して床に置いた。学校の備品として購入された楽器はすべて日本の楽器メーカーのものだが、このケースには金管楽器の製造で有名なアメリカのメーカーの刻印がある。ケースの持ち手の部分には、少し色のくすんだボールチェーンが巻き付けられているが、チェーンにはマスコットもなにもついていない。

 僕は革製ケースを抜き出して空いた棚のスペースに手を突っ込んでみた。すると、奥の方でなにかふにゃりとした柔らかい感触のものが手に触れた。それをつかんで腕を引っ張り出すと、僕の手の中には小さな灰色の熊のぬいぐるみがあった。

「あった。これが、楽器庫のしろくまだよ、小野田さん。」

「えっ?」

 小野田さんは驚いた表情で僕の手の中の熊を見つめた。

「でも先輩、この熊、白じゃなくてグレーですよ?」

 小清水も熊をしげしげと眺めて言った。

「きっと元は白い熊だったんだよ。ほら、ここのひもが切れてるだろう?」

 僕は熊の頭の上に縫い付けられている一本の細いひもを指さした。

「たぶん、このボールチェーンでケースの取っ手にくっついていたのが、ぬいぐるみのひもが切れて、棚の奥に落っこちたんだ。まあ、掃除はしているとはいっても埃だらけの倉庫だから、しろくまも汚れて灰色になっちゃたんじゃないかな。」

 すっかり汚れが定着してしまってとてもしろくまには見えないけれど、あまり埃をかぶっていなかったと思われるお腹の部分が白と灰色のまだらになっているのを見て僕は言った。

「これが、楽器庫のしろくま・・・。」

 小野田さんは僕の手から熊のぬいぐるみを取った。

「たぶん、このトロンボーンは君のお姉さんのものだ。開けてごらん。」

「は、はい。」

 小野田さんはしゃがんで、トロンボーンケースを開けようとした。

「鍵がかかっています。」

 トロンボーンケースの留め金部分には、ダイヤルロック式の鍵がかかっていた。

「もしかしたら。」

 小野田さんはそう言って、四桁のダイヤルを一つずつ合わせていき、留め金に手をかける。

 カチリ、と音がして、留め金が外れる。

「あたしの誕生日の日付で開きました。」

 開いたケースの中には、古ぼけたケースの見た目に反してよく手入れされた、金色に輝くテナーバストロンボーンが入っていた。

「これ、姉の・・・お姉ちゃんの楽器だ。」

 小野田さんはトロンボーンのスライド部分をケースから出してつぶやいた。

 ケースの中をよく見ると、青い封筒が入っている。封筒には「智子へ」と書かれていた。

 小野田さんは封筒を手に取り、その中から白い便箋を一枚取り出した。



智子へ


光海高校への入学おめでとう。

入学の記念に、智子にはこの楽器を譲ります。

あなたが音楽を続けるかどうかはわからないけれど、私は、私の大好きなこの高校の吹奏楽部であなたにも過ごしてほしいなと思っています。

私にはもう必要ないものなので、この楽器はあなたが大事に使ってください。

あなたにつらい思いをさせるような人は、この高校の吹奏楽部には絶対にいません。

きっとあなたも大好きな吹奏楽を再び始めてくれると信じて、この楽器は音楽室に置いていきます。

あなたの高校生活が幸せなものでありますように。

 がんばれ、智子!



「お姉ちゃん・・・。」

 手紙を読んだ小野田さんの目から、ぽとりと涙があふれて落ちた。

「あたし、中学校では吹奏楽部だったんです。お姉ちゃんにあこがれてあたしもトロンボーンを始めました。」

 小野田さんはぽつりぽつりとつぶやくように話し始めた。

「でも、コンクールメンバーの選抜をめぐるいざこざでいじめみたいな目に遭っちゃって。音楽は大好きで、吹奏楽を続けたかったけれど、中学では途中で退部しました。高校でも迷ったんですけど、結局美術部に入ったんです。」

 顔を上げた小野田さんの頬を涙が伝っているけれど、その唇はにこりと優しく笑っている。

「いじめられていたとき、お姉ちゃんは私のことをたくさん励ましてくれました。本当は音楽を続けたいあたしの気持ちも受け止めてくれて・・・。」

 小野田さんの話し声は、泣き声に変わっていった。


「この楽器、吹いてごらんよ。」

 小野田さんの涙が止まったところで、僕はそう声をかけてみた。

 小野田さんはこくりとうなずき、トロンボーンを組み立てて構えた。

 鋭く息を吸い、優しくマウスピースの中に息を吹き入れる。

 彼女の奏でるトロンボーンの音色は、どこか物悲しかったけれど、どこまでも遠くまで響く、天にまで届くような力強さも持っていた。

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光海高校吹奏楽部活動記録 のぶ @panyoas

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