サマータイム・パレード

サマータイム・パレード 1

 真夏の陽気のもと、歩きながら楽器を演奏するなんてどうかしてる。そのご意見はもっともだ。だけど、わが光海高校吹奏楽部は毎年、そのどうかしてることを自主的にやっている奇特な団体だ。

 地元の夏祭りでのパレード演奏。いったいいつから始まった伝統なのか知らないけれど、わが光海高校吹奏楽部は、毎年七月初め、吹奏楽コンクール前のこのくそ暑くてくそ忙しい時期に、パレード演奏をすることを義務付けられている。

 とはいえ、マーチングの衣装を着て本格的にパレードをできる機会は、基本的には一年間で一回きり、この夏祭りだけなので、内心少し楽しみでもある。

 三年生の先輩たちと、こうしてパレードで一緒に歩くことはもうないのか、と去年は感慨にふけったりもした。

 それに、去年まではパレードの練習と言ったって、せいぜいみんなで足並みをそろえて歩く練習を二、三回やるだけだった。いち、に、いち、に、全体止まれ。それだけだ。

 ところが、あの人が外部講師となってからは、連日マーチングの猛特訓が続くようになった。

「君たち、それで隊列のつもりか?私には、蛇がのたくっているようにしか見えないが。」

放課後とはいえ昼間の熱気が残り、西日が照りつけるコンクリートむきだしの屋上に、青葉先輩の罵声が響き渡る。

「ちぇっ、なんだよ、自分は涼しいところから指示するだけでいいだろうけど、こっちは暑くてやってらんねーよ。」

今井が不貞腐れたように小さな声でつぶやく。

「なんだ、今井。文句があるなら聞こうじゃないか。」

屋上に設置されたテントの下から、青葉先輩が腰に手を当てて言った。たしかに日蔭は涼しそうだ。

「な、なんでもありません!」

まさか聞こえているとは思っていなかった今井はぴしりと背筋を伸ばして答えた。

 延々と足踏みの練習から始まり、姿勢が悪かったり、足並みがそろっていないと、容赦なく罵倒され、そろうまで何度でも繰り返し足踏みをさせられる。

「みんなそろって足踏みをするだけだ。君たちは高校生にもなってそんなこともできないと言うつもりか?」

「いいか。演奏の間違いは、ひょっとしたら誰が間違ったのかわからないこともあるだろうが、足並みや振付の間違いは誰が見たって一目でわかる。恥をかきたくなかったら練習しろ。合わせろ。」

「一歩目が合ったからと言って気を抜くな!君たちはそんな無様な行進を二キロも続ける気か。」

 日中の熱気をためこんだコンクリートのうえで、立っているだけでめまいがしそうな中、がんがん響く青葉先輩の声を聞いていると、かえって快感に・・・、いや、待て。いま僕はなにか危ないことを口走ろうとした気がする。

 単調な練習が続いていたが、変化がないわけではない。ここ二週間ほどは、楽器を持たずに足踏みと歩き方の練習ばかりだったところ、今日はようやく、屋上に楽器も持ってくるように指示があった。

「よーし。では十分間休憩だ。その間に楽器も準備しろ。」

青葉先輩の言葉に、僕たちは少しだけ緊張をほどいて休憩に入る。

「みんな、熱中症にならないように水分補給はしっかりね。」

 教育責任者であるトロンボーンの沢城が、一年生たちに声を掛けている。僕の隣ではトランペットの今井がペットボトル入りのスポーツドリンクをうまそうに飲み、パーカッションの小清水は濡らしたタオルで額をぬぐっている。

「先輩、楽しみですね。パレード。」

小清水が今井に話しかけた。

「ん?ああ、まあな。青葉先輩の指導はもう勘弁だけどな。」

「私、去年はシンバルだったんですけど、今年はスネアドラムをやることになったんです!」

小清水はそう言って嬉しそうに、マーチングスネアドラムを組み立てて肩にかけた。 

 マーチングでのスネアドラムと言えば、たしかに花形だ。ただ、小柄な小清水がマーチングスネアを装着すると、どこかバランスが悪くて滑稽な気がした。

「お前、なんかスネアに着られてるみたいだぞ。」

今井がおかしそうに言うと、小清水は頬を膨らませてすねた。


「全員楽器を持って、パレード隊形で整列しろ。」

青葉先輩が休憩終了を宣言し、僕たちは急いでパレード隊形に並んだ。

「いいか。これから、一通りパレードで演奏する楽曲を通してみる。ひとまず動きはマークタイム(足踏み)だけだ。マーチングは油断すると本当に怪我をするからな。気を抜くな。」

青葉先輩が、腕を組んだまま言った。

「ホルト!マークタイム、マーチ!」

 凛と響く青葉先輩の声で号令がかかり、僕たちはその場で足踏みを始める。青葉先輩が首から下げたホイッスルをくわえ、合図を出すと、まずはパーカッションのドラムマーチが始まった。

 十六小節のドラムマーチのあと、僕たちは楽器を構えて行進曲「K点を越えて」の演奏を始める。

 金管楽器の華やかなファンファーレが鳴り響き、ピッコロの高音がそのうえを軽やかに踊る。メロディが木管楽器からトロンボーンに移り変わり、ふたたび木管とトランペットのメロディとともにユーフォニアムとホルンの対旋律がなめらかに鳴り響く。

 譜面は事前に配られており、部員たちは暗譜していた通りに音を奏でる。だが、ときおりクラリネットのあたりから、明らかに間違っている音が聞こえてきた。木管楽器でよく起こる、息の方向や圧力が適切でないためにリードがうまく振動せずに雑音を生じてしまうリードミスではない。そもそも間違えた音を演奏してしまっているのは明らかだった。

 僕はこっそりと前方のクラリネットの人たちの顔を見ると、三年生の東海林定子が顔を真っ赤にして、うつむくように演奏しているのが目に入る。

「マークタイム、ホルト!」

 ひとまず曲をトリオ(マーチの中間部)の手前まで演奏したところで、青葉先輩が停止の号令をかけた。全員の足が止まる。

 青葉先輩はつかつかとクラリネットのところに歩いていくと、東海林の前に腕組みをして立った。

「君はやる気があるのか?譜面は何日前に配ったと思っているんだ。」

さすがに青葉先輩は、音を間違えているのが東海林だと一発で見抜いた。

「す、すみません。」

 東海林はうつむいたまま答える。思えば、東海林は昨日もおとといも塾のために練習を早退していた。彼女はうちの高校からはあまり合格実績のない難関大学への進学を目指して勉強していると聞いている。

「君が受験勉強で忙しいのは知っている。だが、それとこれとは別だ。中途半端になるのだったら、演奏への参加はやめてもらいたい。」

青葉先輩は腕を組んだまま冷ややかに言い放つ。東海林はうつむいたまま涙をこらえるような表情をしていた。

「ふん。東海林だけではない。君たちの演奏はゴミクズだ。暗譜もろくにできていないし、マークタイムだけにもかかわらず足並みがそろっていない。」

青葉先輩はそう言うと、僕たちに背を向けた。

「今日の全体練習は終了だ。明日また出直してこい。」

そう言い捨てて、青葉先輩は屋上を去っていった。

 僕たちはしばらくパレード隊形のまま呆然としていたが、「みんなで練習して明日までに合わせよう。」という沢城の声掛けに、もう一度マークタイムの練習や演奏の練習を自主的に行った。

 ただ、東海林だけはクラリネットを手にしたまま、屋上の隅で自分の譜面を見つめていた。

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