異教徒の踊り 8

 「青葉先輩?何を言ってるんですか?」

青葉先輩の鋭い視線を受けて、吉澤が慌てたように言う。僕と遠藤、品川も顔を見合わせる。

「なに、簡単なことさ。『不幸の譜面』なんてものは存在しない。鈴木と山本の事件も、遠藤の事件も、そこにいる吉澤が仕組んだってことだよ。」

青葉先輩はなんでもないことのように平然と答えた。

「な、なんでそんなことが言えるんですか?」

「まず、鈴木と山本の事件だが、あれは吉澤が二人の飲み物に下剤かなにかをこっそり入れてたんだ。」

「ちょっと待ってください。だって、二人の飲み物からはなにも検出されなかったって。」

そう言った僕を、青葉先輩は馬鹿にしたような目で見た。

「検査された飲み物は、二人が飲んだものとは違ったのさ。二人の具合が悪くなったあとのごたごたに紛れて、飲み物をすり替えたんだろう。」

「仮にそうだとして、どうして明美がそんなことをしたなんてひどいことを言うんですか!」

吉澤と下の名前で呼び合うくらい仲の良い品川が、顔を真っ赤にして青葉先輩に食って掛かった。

「いや、鈴木と山本が練習室Bで練習していることを知っていたのはサックスパートの部員だけ。コンクールメンバーではないサックスパートの部員のうち、アリバイがないのは個人練習をしていた吉澤だけだ。」

「たったそれだけのことで吉澤さんが犯人だなんて、乱暴すぎやしませんか?」

「サックスパートがどこで練習しているかなんて、音が聞こえてくるから、ほかのパートの人でもわかるでしょう。」

遠藤と僕の反論に、青葉先輩は首をかしげる。

「なんだ?君たちはあの練習室Bは完全に防音仕様で外に音が漏れることはないということを忘れたのか?」

 ああ、そうか。しかも、練習室Bは飲食物の持ち込み禁止だから、部屋の外に飲み物を置く。飲み物に薬を混入することも容易だったはずだ。

「いや、鈴木と山本が飲んでいた飲み物の種類を吉澤が覚えていたという時点で、どこか違和感を感じたんだ。いくら事件があったとはいえ、その時に二人が飲んでいた飲み物なんて覚えているものだろうか。」

青葉先輩はそう言うとニヤリと不敵な笑みを浮かべて、うつむいている吉澤のほうに向きなおった。

「それに、二人が飲んでいたという『すっきりパイン』だがね。これはあるコンビニチェーンで、期間限定、毎年五月三十一日までしか販売されないうえに、店頭に並ぶとすぐに売り切れてしまう人気商品なんだ。事件が起こったのは六月に入って最初の土曜日と言ったね。二人が飲み物を買ったのは事件当日だということだが、その日に彼女たちが『すっきりパイン』を購入することはできなかったはずなんだよ。もう店頭には並んでいない商品なんだから。」

コンビニマニアの青葉先輩は、常識的なことを説明するような口調で言った。そんなの、青葉先輩にしかわからないと思うけど。

「そして、遠藤を襲ったひったくりの犯人、これも吉澤だね。」

「いいかげんにしてください!それこそ何の根拠があってそんなことを。」

吉澤がきっ、と顔を上げて怒鳴った。

「ふむ。君が犯人ではないと言うなら、どうしてひったくりに盗まれたはずの遠藤の譜面を君が持っているのかね?」

青葉先輩はすました顔で言う。

「何を言っているんですか。おととい先輩に渡した譜面は、私が原譜をコピーしたって言ったじゃないですか。」

「そんなはずはないね。この譜面を見てごらん。」

そう言って、青葉先輩はさっき眺めていた三枚の譜面を、僕たちにも見えるように広げた。

「君たちも楽器をたしなんでいるんだからわかると思うが、譜面へのメモの仕方というのは演奏者それぞれの個性が出るものなんだよ。まず、『不幸の譜面』だが、ご丁寧に調号や臨時記号、繰り返し記号にそれぞれ色まで変えてマーキングしている。」

たしかに、先輩が広げた「異教徒の踊り」の譜面には、鉛筆のこまごまとした書き込みとともに、赤や黄色の蛍光ペンでいたるところにマーキングがされている。

「で、こっちが遠藤のパート譜と吉澤のパート譜だ。」

見ると、遠藤のパート譜は「異教徒の踊り」と同様に色とりどりのマーカーでマーキングがされているのに比べて、吉澤のパート譜は鉛筆と赤ペンだけのシンプルな書き込みだけがされていた。

「吉澤。君は譜面への書き込みに蛍光ペンは使わないはずだ。それなのに、なぜこの『異教徒の踊り』だけはこんなに色とりどりにしてみたのかな?原譜からコピーしたというのなら、これらのマーキングは君が自ら行っていないとおかしい。」

青葉先輩は、腕を組んで吉澤に鋭い視線を投げかける。吉澤はうつむいたまま、拳を握りしめて少し震えていた。


「悔しかったんです。」

吉澤は、聞こえるか聞こえないかというような小さな声で、しかしはっきりとそうつぶやいた。

「アンサンブルコンクールには演奏の実力がある方が出るべきなのに、選ばれたのは私じゃなくて遠藤さんだった。大橋君も、双葉も知っているでしょう?私のほうが演奏の実力は上だって!」

吉澤は僕と品川に訴えかけるように言った。その言葉を否定はできなかったので、僕は黙りこんでしまった。

「それなのに、ただ鈴木先輩や山本先輩におべっか使って、先輩から気に入られていたっていう理由だけで、アルトサックスは遠藤さんになった。だから、遠藤さんも、鈴木先輩も、山本先輩もコンクールなんて出場できないようにしてやれって、そう思ったの。」

暗い顔で吉澤が告白した。遠藤は信じられないという顔で吉澤を見ていたが、思い当たることもあるのだろう。下唇を噛んでずっと黙ったままだった。

「明美・・・。じゃあ、私に怪我をさせようとしたのも明美なの?!」

品川が突然立ち上がり、吉澤の肩をつかんだ。

「ち、違う!それは私じゃない。バリトンサックスは双葉しかいないんだから、双葉がコンクールメンバーになることはなんとも思ってない、いいえ、むしろ嬉しかった。それに、双葉を傷つけるようなこと私にできるわけがない!」

吉澤は目に涙を浮かべて必死に否定したけれど、品川は顔を真っ赤にして吉澤をにらんでいる。

「青葉先輩、信じてください!双葉を怪我させたのは私じゃない!!」

「知ってるよ、そんなこと。」

青葉先輩は、冷たく言い放った。

「先輩?」

先輩の言葉に、僕たちはみんな怪訝そうな顔をした。

「君たちはなにを言っているのかね。私は遠藤と鈴木たちの事件の犯人が分かったと言っただけじゃないか。品川に怪我をさせて、そしておそらくはおととい私にも怪我をさせたのは別の人物だ。そりゃそうだろう。あの排水溝の蓋を吉澤ひとりで持ち上げられるとは思えないからね。」

 先輩はそう言って、立ち上がってひとつ伸びをした。自分の推理によって、サックスパート三年生の人間関係に修復の難しい亀裂が生まれたであろうことなどまったく気にしないようだった。

「そうだな。品川と私を襲ったやつも、今夜には見つけ出してみせるさ。そのために、大橋。君に協力してほしいことがある。」

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