異教徒の踊り 3
演奏が終わったとき、音楽室は静寂に包まれたけれど、青葉先輩のサックスの余韻がいつまでも残っている。周りで聴いていた部員たちは拍手すらできずにただ唖然としていた。
「これでいいか?」
青葉先輩は僕のほうを向いて言った。僕はこくりと小さくうなずくだけだった。
「君たち、ぼーっとしてないでさっさと帰れ。帰らないんだったら練習しろ。」
青葉先輩はさっさとアルトサックスを片付けて音楽室を出ていった。
「先輩、待ってください!」
僕は慌てて自分の荷物を持って青葉先輩のあとを追いかけた。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
先輩は邪魔でしょうがないというような表情で、追いかけてきた僕を見た。
「あの、ありがとうございました。さっきの演奏、感動しました。」
「ふん。それはどうも。」
青葉先輩は僕の方を見ることもなく校門の方へと歩いていく。先輩の自宅は僕の家と同じ方向だという話を聞いていた僕は、そのまま青葉先輩の隣に並んで歩くことにした。
校門を過ぎ、早足で歩く先輩の隣を黙って歩く。
「先輩は、音大を出たんですか?」
沈黙に耐えられず、僕は質問してみた。
「いいや。普通の大学の法学部だ。」
「それなら、どうしてあんなにすごい演奏ができるんですか?」
「練習したから。」
先輩は何を聞いてもそっけない答えを返してくる。僕は黙って歩くことにした。
「君、家は近いのか?」
学校最寄りのコンビニが見えてきたころ、先輩が唐突に聞いた。
「え?あ、はい。そうですけど。」
「それはいい。ついてきたまえ。」
青葉先輩は突然僕の腕をつかむと、コンビニにずかずかと入っていった。
「いらっしゃいませー。」
コンビニにはほかに客はおらず、アルバイトの店員が退屈そうにレジに立っていたり、品出しをしていたりする。
「おい、君!店長に希望しておいたアレは入荷したか?」
青葉先輩は迷いなくレジに向かい、アルバイト店員にものすごい勢いで尋ねた。
「はい?アレとは・・・。」
アルバイト店員はあっけにとられた様子で驚いている。青葉先輩の顔が近いので目のやり場に困っている様子だ。
「ちょっと、先輩。」
僕が慌てて青葉先輩に声をかけたとき、レジ奥の事務所からおじさんが現れた。僕もこのコンビニを利用するときによく見かける、たしかこのお店の店長だ。
「おや、奏ちゃん。」
店長は青葉先輩を下の名前で呼んで、にこやかに話しかけた。
「店長、頼んでおいたものは?」
「ちゃんと入荷してるよ。まったく、個人の希望で店の仕入れスケジュールを乱されちゃ困るんだけどねえ。」
そう言って店長は、パンコーナーで品出しをしている店員のそばに置いてあるコンテナを指さした。
青葉先輩はつかつかとコンテナのほうに歩いていき、勝手に蓋を開けた。
「あ、ちょっと、お客さん。」
品出しをしていた店員が止めようとするのも聞かず、青葉先輩はコンテナの中身を物色しはじめた。最初に開けたコンテナに目当てのものは入っていなかったらしく、二つ目のコンテナも開ける。
「あった!」
青葉先輩がそう叫んでコンテナの中から取り出したのは、甘食のような形をしたパンだった。僕もコンテナを覗き込むと、そのコンテナには同じパンが三十個くらい入っていた。パッケージには「甘食風しっとりケーキ」とある。
「テレビで取り上げられたとかで、品切れが続いていたんだが、ようやく手に入ったよ。」
青葉先輩は、音楽室にいるときのしかめつらからは想像もつかないような満面の笑みでそう言った。なにこのひと、かわいい。
「大橋、早くカゴを持ってこい。」
先輩はそう言って、僕のそばにあった買い物用のプラスチックのカゴを指さした。僕がカゴを手に取って青葉先輩のほうに差し出すと、先輩はコンテナの中から「甘食風しっとりケーキ」を次々と取り出し、カゴに放り込んでいく。
「おいおい、まさか全部持っていく気かい?勘弁してくれよ。」
「当然だ。」
店長の呆れた声に、青葉先輩は短く答えた。
買い占めたパンでカゴがひとついっぱいになると、青葉先輩はもう一つカゴを取り、新製品のお弁当や飲み物をいくつか取ってカゴに入れ、レジにどん、と置いた。
レジにいたアルバイトが目を白黒させながら会計をする様子を眺めながら、僕は嫌な予感がした。
「大橋、これを持ってくれ。」
コンビニに置いてあるものの中で一番大きなビニール袋いっぱいに詰め込まれたパンを指さして、青葉先輩が言った。・・・やはり、僕は荷物持ちで連行されたらしい。
合計で一万円を超える買い物を済ませ、僕と青葉先輩は両手にぱんぱんに膨らんだビニール袋を持って店を出た。もちろん、飲み物が入った重い荷物は僕が持っている。
「悪いな。このまま私の家まで来てもらうぞ。」
青葉先輩はちっとも悪いと思っていない口調で言った。
「こんなにパンとか飲み物を買ってどうするんですか。先輩、一人暮らしじゃありませんでしたっけ?」
「うん?もちろん私が全部食べる。『甘食風しっとりケーキ』はな、テレビで取り上げられただけあってうまいぞ。牛乳と卵の素朴な風味が、コンビニのパンとは思えないような優しい味わいを醸し出すんだ。それに、君の持っている袋に入っている『すっきりパイン』はあのコンビニチェーンだけで、しかも期間限定でしか販売されていないジュースなんだ。見つけた時に買わないとすぐ無くなってしまう。」
さっきまでの沈黙が信じられないくらい、コンビニフードについて語る青葉先輩は饒舌だった。・・・先輩の家はまだ遠いのだろうか。五百ミリリットル入りのペットボトル飲料が大量に入ったビニール袋のひもが左手に食い込んで痛い。
「あそこのコンビニは品ぞろえがいいうえに、店長もいろいろと融通をきかせてくれるからな。重宝している。」
青葉先輩が引き続きコンビニについて語っているとき、後ろから低いエンジン音がして、猛烈な勢いで自動車が近づいてきた。
「危ない!!」
自動車は車道側を歩いていた青葉先輩の持っていた袋をかすり、青葉先輩は車を避けようとして道に倒れた。僕は両手の袋を手放して青葉先輩のもとに駆け寄った。
「大丈夫ですか?怪我は?」
地面に手をついて歩道に座り込んでいる青葉先輩の額から、赤い線が一筋流れた。転んだ拍子に頭に怪我を負ったらしい。先輩を撥ねかけた白い軽トラックは、速度を落とすこともなく走り去っていった。
「大丈夫だ。少しすりむいただけだよ。君は怪我はないか?」
「僕は、大丈夫です。」
そう答えてあたりを見回す。車と接触して跳ね飛ばされたビニール袋から飛び出したパンや弁当が、歩道に無残に転がっている。
ふいに、僕の頭の中で「異教徒の踊り」のメロディが流れたような気がした。
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