第17話 ザコでも装備が良ければ、それなりに中ボスくらいにはなる
大掃除です。
一学期の間、お世話になった校舎に恩返しをする意味でも、しっかり励みましょう。
普段の掃除とは違って、机をすべて廊下に出したり、教室にワックスをかけたり。さらには清掃範囲が校舎外にまで広がります。そのため、生徒は動きやすい体操服に着替えています。
二年生の担当範囲は、自分たちの教室の他、学校の外周を割り当てられています。屋外は日差しが辛いので、できれば教室掃除がよかったですが、残念ながら、ボクたちの班は外周担当になってしまいました。
『
「お断りよ。私は1
勇菜ちゃんは、はっきりノーと言える日本人です。この姿勢は見習いたいですね。
なんて、今は感心する場面じゃありません。
ただでさえ、勇菜ちゃんは棒立ちしているだけで、ボクばかりが働いているというのに。
『そんなこと言っていたら、いつまで経っても終わりませんよ』
「女子が肌を焦がしてまでやる価値が、この大掃除にあるのかしら? いいえ、ないわ」
意見を言う前に結論を出されてしまいました。
代わりに頑張ってあげたいのは山々ですが、ボクが張り切ると、必然的に勇菜ちゃんが日に焼けてしまいます。申し訳ないですが、今も勇菜ちゃんに、頼りになるところを見せようと、密かにアピールしている男子たちに頑張っていただきましょう。
「――ねえ勇菜、今ちょっといい?」
木陰で小休止をとっていると、いつもお昼を一緒しているメンバーの一人である、松永さんが近づいてきました。彼女は他の班ですが、どうしたんでしょうか。きょろきょろと周囲に気を配っている様子から、あまり明るい話ではないと予想できます。
「どうしたの?」
「んと……。今朝、
「面白くもない話よ」
「……聞かせて」
彼の名誉に配慮する義理もないので、勇菜ちゃんは、告白から始まり、ラブレターを経て、成績発表の後につけられた難癖に至るまでのあらましを松永さんに話しました。
「最悪。聞いているだけでムカついてきたわ」
「今朝のこと、もしかして広まっているの?」
「広まっているってほどじゃないと思う。さっき、他のクラスの人が話しているのをたまたま聞いて」
「ギャラリーもいたしね。ある程度は仕方ないんじゃないかしら」
当事者の勇菜ちゃんは、やれやれと肩を竦めています。
青春の1ページとして、甘酸っぱい思い出になりようもないですし、彼のことは、記憶から消し去ってしまうに限ります。
これ以上、話が発展することはないかと思いきや、話を持ちかけてきた松永さんが何故か、勇菜ちゃんのリアクションをうかがうように落ち着きをなくしています。
「勇菜、大丈夫なの?」
「大丈夫って、何が?」
「何がって、あの山本晴彦でしょ?」
「他にも山本晴彦がいるの?」
「いや、一人だけど」
妙ですね。
勇菜ちゃんと松永さん。二人の状況認識に、大きな隔たりを感じます。
「勇菜は山本のこと、どう思っているの?」
「それは異性として、的な意味?」
「違う違う。普通に、一般的な印象の話」
「印象ね。人のことを悪く言うのって、得意じゃないんだけど」
勇菜ちゃん、堂々と噓をついても許されるのは、鼻の長いキャラか、四月一日だけだとご存じです?
「そうね、一言で言うなら、生きている価値もないウジ虫野郎ね」
『ゲス野郎から、さらに評価が下がっている気がするのは気のせいでしょうか』
「ううん、今のなし。ウジ虫だなんて、さすがに失礼だったわ」
『そうですね。さすがに』
「ウジ虫だって、懸命に生きているんだもの。一緒にしたら可哀想だわ」
『ウジ虫に気を使ったんですね』
「例えるなら、排水管に詰まったヘドロみたいな印象に近いかしら。ヌメヌメしていて、ひたすら気持ち悪い。地球上に存在してほしくないわ。あいつの足場で噴火が起こって、火山岩ごと大気圏外へ飛んでいってくれればいいのに」
それは究極の生命体でも戻って来られませんね。考えるのをやめてしまいます。
「ごめんなさい。こんな、オブラートに包んだようなことしか言えなくて」
包んでそれなら、明け透けにぶちまけた時、どんな酷評が出てくるのか気になります。
これはこれですごい悪態が出たというのに、松永さんに驚いた様子はありません。
それどころか、「やっぱり」と納得しています。
「そんなに悪名高い奴だったの?」
「悪名って言うと、なんとなくカッコ良く聞こえちゃうかな。そういうのじゃなくて、アスファルトにこびりついたガムみたいっていうか、便器の黄ばみ汚れみたいっていうか、とにかくしつこくて嫌な奴なのよ」
二人とも、上手く比喩を使いますね。
少々品がないですけれど、山本くんに対する嫌悪感が、ひしひしと伝わってきます。
「あいつのこと、よく知っている風ね」
「小中と同じ学校だったの」
「どんなエピソードがあるのか聞いてもいい?」
「エピソードというより、あいつの場合は、ウザさがパッシブスキルだから。挙げたらキリがないけど、常に自分が上にいないと我慢できないような性格だったわね。自分が努力する以上に、相手の足を引っ張ることで優位に立とうとするの。今もだけど」
「そんな感じだわ」
実際、勇菜ちゃんにカンニングの汚名を着せようとしてきましたしね。
『でも、ボクは彼に試験でずっと勝っていたはずですけど、何かされたことはありませんよ?』
「
「
いやはや、恐れ入ります。
ですが松永さんの言うように、彼が〝とにかくしつこくて嫌な奴〟なのだとすれば、今回の件を、終わったことと楽観するのは気が早いかもしれません。何事もないのが一番ですが。
「小学生の頃は、子供同士の喧嘩にすぐ父親が出てきたわ。山本に非があっても、ウチの子は悪くない! で押し通すの」
「典型的なモンペじゃない。それだけでも関わりたくないわ」
「おかげで誰も彼も、先生まで畏縮しちゃって、あいつがいるだけで空気が悪かったもん」
「公害みたいな奴ね。でもその点だけは、あいつがというより、親が悪いんじゃ?」
「そうかもだけど、それをいいように利用して、偉そうにしていたのは間違いないし」
「その親にして、この子ありってわけね」
「あいつと同じクラスになったら運の尽きね。息が詰まって仕方がないわ」
当時を思い返しながら、松永さんが「オエッ」と、えずくようにして言いました。
多分、彼と同じクラスになった経験があるんでしょう。
「中学生になったら、多少は分別がつくかと思えば、とんでもない。傲岸不遜な性格はそのままに、お金まで持ち出すようになったからね」
「お金?」
「小学校と違って、あいつの横暴に対して反抗する子も出てきたから、そういう子を抑えつけるために、不良にお金を渡して脅させていたとかって噂があったのよね。三つ上に兄がいて、そもそもそいつが不良だったから、そのツテだとかなんとか。まあ、あくまでも噂で、証拠があるわけじゃないんだけど」
火の無い所に煙は立たないと言いますが、叩けばいくらでも埃が出てきそうですね。そのうち全身に引火して、火だるまにならなければいいですが。
「中学生らしからぬお金の使い方ね。山本家の教育方針を疑うわ」
「もちろん、額に汗水かいてアルバイトしたんじゃなくて、親のお金よ。月に二十万だか三十万だかってお小遣いをもらっていたみたい」
それはもう〝お小遣い〟ではありません。公務員の初任給より多いじゃないですか。
「高校生になった今なら、五十万くらいいくかもね。親のお金のくせに、そりゃーもう自慢げだったわ。月に三千円のお小遣いだったアタシのことも、たいそう小馬鹿にしてくれたし」
何やら、個人的にも恨みがありそうです。
でも、中学生のお小遣いが三千円というのは、妥当な額だと思いますよ。
「あいつ、お金持ちだったの」
「親が社長らしいわ。お坊ちゃんなら私立に行けってのよ」
「腹立たしいわね。ギャンブルに狂って破滅すればいいのに」
「ほんとそれ。ついでに、将来アルコール中毒になって肝臓壊せばいいのに」
会話の中に、さらりと呪いを混ぜてくる。昨今の女子高生は怖いですね。
彼の振る舞いに憤っているというより、羨ましがっているように聞こえますが、女性の愚痴に正論を投げるのは得策ではありません。女性は意見が欲しいのではなく、共感してほしいのだと、何かで聞いたことがあります。
「勇菜は今、いくらもらっているの?」
「ウチの父も、それなりの会社に入っているはずなんだけど、五千円ぽっちね。まあ、スマホ代とかは別で出してもらっているから贅沢は言えないか」
「アタシは高校に入って、一万円にアップした!」
「酷い裏切りだわ」
「山本に比べたら、アタシのお小遣いなんてカワイイものじゃない」
「あとでアイスね」
「コンビニの安いのでお願いします」
「許す」
松永さんはノリがいいですね。そして、とてもいい人です。
山本くんのことで心配してくれているだけでなく、ボクが死んだせいで落ち込んでいるであろう勇菜ちゃんを、こうして気遣ってもくれています。
気の置けない友達は、お金なんかより、ずっとずっと価値のある宝物ではないでしょうか。
「それにしても、義務教育すら終わっていないうちから子供に何十万も渡すなんて、よほど稼いでくるお父さんなのね。頭がおかしいわ。どこの会社なのかしらね。倒産すればいいのに」
よほど妬ましいのか、勇菜ちゃんが話題を変えようとしません。
「山本父? んー、どこだったかな。何回も聞かされたことがあるし、勇菜も聞いたら絶対知っている会社のはずなんだけど、親子そろってウザいってことばかり頭に残っているから、うーん、確か、美味しそうな名前の会社だった気が」
「どういう覚え方よ」
ほんのちょっとだけ、山本くんに同情する部分がなくもありません。
周りからこんな風に、忌避される性格に育ってしまったことに。
そんな風に育ってしまう環境に生まれてしまったことに。
ルックスがいい。頭もいい――と言ったら、必然的に自分を持ち上げてしまいますが、他にも格闘技をやっていたようなことを言っていましたし、おそらく運動もできるんでしょう。
もったいないですね。
性格さえ改善できれば、人気者にだってなれたでしょうに。
「あ、思い出した。【Waffle Japan】だったと思う。かなり大きなIT企業よね?」
「え?」
『え?』
ボクと勇菜ちゃんのリアクションが重なりました。
「あ、もしかして、ちょっと惜しいことしたかもとか思った? 絶対やめた方がいいよ」
「百万円もらっても、あれだけはないから」
「ないよね。あれと付き合うくらいなら、ナメクジと付き合う方がマシ」
あれ呼ばわり。散々な言われようですね、山本くん。
「それじゃ、そろそろ持ち場に戻るね。勇菜があんまり気にしていないみたいでよかった」
「うん、心配してくれてありがとう」
「なんのなんの。また後で。夏休み、どこか遊びに行く計画とか立てようね」
自分の班の担当場所へ戻っていく松永さんを見送ります。
その後ろ姿が見えなくなったところで、勇菜ちゃんが「はぁ……」と重い溜息をつきました。ボクもそうしたいところですが、勇菜ちゃんを余計不安にさせるだけなので遠慮しておきます。
「こういう偶然もあるのね。あー、やだやだ」
『心配することはありませんよ。さすがにそこまでの事態にはならないでしょうし、もし何かあったとしても、彼と違って勇菜ちゃんは人望があります。味方だってたくさんいますから』
「心配なんてしていないわ。ザコがせいぜい、中ボスになったってくらいだし」
勇菜ちゃんの口振りは晴れないですが、それは不安というよりも、ただひたすら面倒臭いといった感じでしょうか。本当に、厄介なことになりませんようにと祈るばかりです。
松永さんの言ったとおり、山本くんのお父さんの会社は、確かに聞いたことのある名前でした。新聞に名前が載らない日はないくらい有名な大企業ですからね。
でも、ボクたちが反応したのは、もっと別の理由からです。
本当に、まさかですよ。
まさか、勇菜ちゃんのお父さんが勤めている会社の名前が出てくるなんて、思いもしませんでした。
愛する二人のために、ボクはこの手を赤く染めよう 木野裕喜 @11081
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