第16話 思った以上にゲス野郎でした

 期末試験が終わり、授業ももうありません。今日学校へ行くのは、これから一ヶ月と少しの夏休みに入る前の大掃除を行うためです。明日の全校集会とHRで通知表をいただくと、お待ちかね、夏休みがスタートします。


「おはよう、今日も暑いわね」

「…………おはよう」


 一喜かずきの突き刺さるような視線が、勇菜ゆうなちゃんの腕……ボクに注がれています。


「勇菜……制服だな」

「今から学校に行くのよ? 私服なわけないでしょ」

「兄貴が、着替えさせたんだよな?」

「そりゃそうよ。手を使わずに着替えられるはずないじゃない」


 一喜の視線に鋭さが増した気がします。何やら冷や汗が出てきましたよ。


「勇菜は恥ずかしくねーのか? 兄貴に、男にそんなことさせて」

「最初は恥ずかしかったけど、祝人のりとに限って言うなら、もう慣れちゃったわ。別に下着くらい見られたとしても気にならないわね。祝人、これからは、着替えまでなら目を瞑らなくてもいいわよ」

『いいんですか?』

「ダメダメダメダメダメダメダメダメダメ絶対ダメだああああ!!」


 一瞬、荒木飛●彦の世界を錯覚するほどの剣幕で、一喜がダメ出しをしてきました。


「なんで一喜にそんなこと言われなきゃいけないのよ。関係ないじゃない」

『勇菜ちゃん、わかっているくせに……』

「あーはいはい、わかったわよ。見るつもりはないから安心しろ、だってさ」


 一喜が、ドッと安堵の息を吐きました。振り回されていますね。


 おや?

 校門前まで来たところで、何やら進行方向に逆らって歩いてくる人影が見えます。

 彼は……ああ、勇菜ちゃんに告白したけどフラれ、その後、勘違いたっぷりのラブレターを寄越し、試験で学年一位を取ると宣言しながら二位に終わった東条蓮司くんですね。


琴吹ことぶきさん!」


 ボクたちの数メートル先で立ち止まり、勇菜ちゃんの名前を呼びつけました。


「誰だ? 勇菜の知り合い?」

「西条くんよ」

『東条くんです』

「違った。東条くんよ」

「山本だ!!」


 なんと、彼は期末試験二位ではなく、三位の山本晴彦くんだったんですか。

 それは失礼しました。ですが、山本くんも少し懲りない人ですね。


「こんな往来で、なんですか?」

「琴吹さん、試験のあれは、いったいどういうことなんだ? あれは実力なのか?」

「ええ、まぎれもない(祝人の)実力です」

「今までは手を抜いていたってことか?」

「そういうことです」


 今回ほど、勇菜ちゃんが手を抜いた試験もないと思うんですけど。

 山本くんは、奥歯を噛み砕きそうなほど悔しそうな顔をしています。そして、呪詛を吐くように「世良さえいなければ」と繰り返しています。いや、三位でしたよね?

 しかし、その表情が、強引に笑みの形へと作り変えられました。無理やりすぎるので、眉間や口元が、ヒクヒクと不気味に痙攣しています。


「教師に告げ口したりしないからさ。正直に言いなよ」

「何をでしょうか?」

「カンニング……したんだろう?」

『うわぁ』


 心中だけで毒突いたつもりが、思わず声に漏れました。

 確かに、死んだ人間が試験を受けたせいで、本来二位だったはずの順位が一つ下がってしまったことには申し訳なさを感じなくもないですけれど、仮にも告白するくらいに想いを寄せた女の子を相手に、よくそんな暴言を浴びせられるものですね。


「カンニングで満点を取れるって、それはそれで凄くない?」

『まあ、言われてみれば、そうですよね』


 他の生徒の答案を丸写ししても、満点は取れません。

 あらゆる問題傾向を予測し、厳選し、カンニングペーパーを制服に忍ばせるなど、時間をかけた入念な下準備が必要になります。ぶっちゃけ、そんなことに心血を注ぐくらいなら普通に勉強した方が早いです。


「ああ、なるほど。そういうことか」

「聞きたくないけど、何がそういうことなのかしら?」

「教師に色目を使って、事前に試験問題を手に入れていたんだろう?」


 暴言ここに極まれり、ですね。


「驚いたわね。こんなにもアクセル踏みっぱなしで評価が下がっていく人、初めて見たわ」

『同感です』

「失礼なことを言わないでくれる? 私は自分を安売りしたりしないわ」

「どうだかな。君の隣にいる奴、それは世良の弟だろう? そいつと試験前に、あんな約束をしていたじゃないか。試験で勝てたら、処女を賭けてもいいとかなんとか」

「キモ……。どこで聞き耳立てていたの」

『ストーカーの素質がありますね。鳥肌が立ちました』

「世良のことを、一生想って生きていくとか言っていたくせに、もう違う男を選んでいるじゃないか。こんなに節操のない女だとは思わなかったよ。付き合わなくて正解だったな!」


 最後の方、山本くんは特に、周囲に聞かせるようにして声を大にしました。

 なんだなんだと、登校中の生徒たちが足を止め、振り返っていきます。


『正解も何も、勝手に告白してきてフラれたのはそっちでしょうに。まるで、付き合えるかどうかの選択権を、彼が持っていたかのような発言ですね』

「周りにそう思わせたいんでしょ。フラれたっていう汚点をなかったことにしたいのよ」

『……ボクはようやく、彼という人間がわかった気がします』

「ゲス野郎でしょ? それで充分じゃない」


 彼が勇菜ちゃんのことを気に入っていた。これだけは本当かもしれません。

 でも、それはただ外見で選んだだけ。連れて歩けば自慢できるから。

 彼には自己顕示欲しかありません。だから自分の立場が悪くなった今、掌を返したように、勇菜ちゃんを徹底的にコキ下ろすことで自尊心を保とうとしているんでしょう。


『そのとおりですね。ゲス野郎です』

「祝人が誰かをそんな風に悪く言うなんて、珍しいわね」

『勇菜ちゃんのことを、あんな風に言われて、胸中穏やかでいられるはずありません』

「ありがたいけど、相手にするだけ時間の無駄よ。無視しておけばいいの」


 口ぶりからして、勇菜ちゃんは、さほど傷ついていないようです。

 その点については、ホッと胸を撫で下ろし――そうになったところで、間一髪思い止まりました。危うく、ボクまでゲス野郎と言われてしまうところです。

 それにしても、勇菜ちゃんは大人ですね。わかりました。勇菜ちゃんに事を荒立てる気がないなら、ボクもそれにならい、怒りの矛を収めることにします。

 と、そう思ったんですが――。


「勝手なこと言いやがって……」


 そうはいかない弟が一人。

 一喜が拳を強く握り締め、今にも殴りかかりそうな雰囲気を出しています。


『いけません! 勇菜ちゃん、一喜をなだめてください!』

「私のために争わないで、とか言った方がいいのかしら?」

『いや、そうではなく――ああっ!』


 悠長に話している間に、一喜が山本くんに向かって歩き出してしまいました。


「あらら、まずいわね。喧嘩になっちゃうじゃない」

『喧嘩になればいいですが』

「一喜って、そんな心配するほど弱っちいの?」


 ああ、もどかしいです。

 こういう時、腕じゃなくて足だったら、走って止めに行けるのに。


「取り消せよ」


 一喜が山本くんの前に立ち、遠慮なくその胸倉を掴みました。

 上級生としてのプライドでしょうか。山本くんは、一喜の威圧など、どこ吹く風で平然としています。


「なんだよ? 文句あるのか? 言っておくが、俺を、顔と頭がいいだけの男だと思うなよ」

「取り消せって言ってんだよ!」

「わからない奴だな。俺はこう見えて、空手と剣道……を……ほぁ?」

「……うっそ」


 ボクは知っていたので驚きませんが、山本くんと勇菜ちゃんから、驚愕の声が漏れました。

 余裕ぶっていた山本くんの足が、地面から浮いています。

 ぷらぷらと。

 一喜が、片腕一本で高校生男子一人分の体重を吊り上げているからです。


『相変わらず、パワフルですね』

「一喜って、あんな、いつから」


 いつからでしょう。小学生の頃には、もう十円玉をひん曲げていましたけど。


『家の車のタイヤが溝に落ちて動けなくなった時、一人で持ち上げてくれたこともあります』

「世良家の車が大型ワゴン車だった気がするのは、私の記憶違いかしら……」


 喧嘩というのは、両者がそれなりに善戦するからこそ成立します。

 一方的な暴力は、いじめと変わりません。

 首がしまっているのか、山本くんが必死に足をバタつかせています。


『勇菜ちゃん、一喜を止めてください』

「そ、そうね。……一喜、そこまでにしなさい」


 諌めるも、相当頭にきているようで、なかなか放そうとしません。

 勇菜ちゃんが、もう一度「一喜!」と、怒鳴りつけるようにして名前を呼びました。


「……チッ」


 舌打ちを残し、一喜は空き缶を放り捨てるみたいに雑な扱いで、山本くんを解放しました。

 ドサッ、と地面に尻もちをついた山本くんが、ゴホゴホと咳き込んでいます。

 そんな山本くんを、一喜は軽蔑するように見下ろしました。


「お前なんかに勇菜はやれねえし、兄貴はもちろん、俺にだって勝てねーよ」


 一喜はもう山本くんや、いつの間にかできていたギャラリーには目もくれず、勇菜ちゃんの手を引っ張って校舎へと向かいました。ボクとしては、弟に手を引かれている状態なので、少し複雑な心境だったりします。


「くそっ、くそっ……。絶対に……許さない……」


 遠く離れた山本くんの呟きは、もうボクたちには届きませんでした。


「勇菜、また何か言われたら、すぐ俺に言えよ」

「う、うん」


 力強く、一喜が言いました。ボクたちは昇降口で別れ、それぞれの教室へ向かいます。

 廊下の途中で、勇菜ちゃんが小声で話しかけてきました。


「一喜があんなに力持ちだったなんて、ずっと幼馴染やっていたのに気づかなかったわ」

『前にも言ったじゃないですか。一喜と喧嘩しても、絶対に勝てないって』

「参考にならないって。それに何か……一喜の奴、いきなり感じが変わった気がしない?」

『遠慮する必要がなくなりましたからね』

「遠慮って、どういう――…………」


 勇菜ちゃんは勘がいいですね。自分で思い至ってくれたようです。

 なんとなくですが、上昇した勇菜ちゃんの体温が、腕にまで伝わってくる気がします。

 ボクからは、勇菜ちゃんの表情が見えないのが残念ですね。今どんな顔をしているのか、とても気になります。

 一喜、頑張ってください。応援していますよ。

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