第5話 なんかボクの青春ラブコメは間違っている

 お通夜には参加しないことにしたので、空いた時間でボクと勇菜ゆうなちゃんに起こっている状態の確認をすることにしました。

 まず、勇菜ちゃんの左右の肩からそれぞれ指先までを、ボクは占領してしまったようです。

 病院での出来事から考えてみて、勇菜ちゃんの意識があろうがなかろうが、腕だけはボクの意思で動かせるようですね。


 五感に関して、もう少しまとめておきましょう。

 触覚は、腕で触った物のみ感じることができます。逆にボクが触ったとしても、勇菜ちゃんにはそれが伝わりません。


 視覚については、原則として、勇菜ちゃんが顔を向けている方向しか見えませんが、その状態から眼球を動かす程度には視点を変えられるようです。野球で例えると、バッターボックスに立った勇菜ちゃんが一塁を見ていても、ボクは三塁を警戒できるといった具合でしょうか。完全にリンクしているわけではないようです。


 次に、聴覚と嗅覚ですが、これも勇菜ちゃんとリンクしているわけではありません。勇菜ちゃんが気を失って、物音が耳に入っていなくても、ボクにはちゃんと聞こえていました。嗅覚にも同様のことが言えます。ですから、これらに関しては、電車の座席シートに隣り合って座っている状態と変わりません。


 最後に味覚ですが、これは確かめる術がありませんね。ボクには食べ物を入れる口も胃もなくなってしまいましたから。勇菜ちゃんが何か食べても、それがボクに伝わることもありませんでした。

 幸いと言っていいのかは疑問ですが、食欲がなくなっている気がします。朝から何も食べていないというのに、空腹感がまったくありません。


「食の楽しみって、人生において、かなりのウェイトを占めるのに、もったいないわね」

『勇菜ちゃん、ボクよりもたくさん食べますもんね』

「あんたの食が細すぎなのよ。私はいたって普通よ。絶対普通」


 女性に対して失礼でしたね。そういうことにしておきましょう。

 夜になり、ボクの家ではお通夜が行われています。喪主は父さんが務めるでしょう。徹夜作業の後、続けて明日の葬儀も仕切らないといけません。母さんもそれに付き合うでしょうし、二人には本当に迷惑をかけてしまいました。


 特にすることもなく暇を持て余していると、ガチャリと階下から玄関が開く音がしました。そして二階にあるこの部屋に向けて歩いてくる気配がし、トントンと扉をノックされました。やってきたのは、勇菜ちゃんのお母さんです。


「これ、お通夜で出している料理なんだけど、今日はウチで作れないから。少しでも食べておいた方がいいわ」


 おばさんが、小皿に取り分けた料理を持ってきてくれました。割り箸もついています。それをボクが受け取りました。


「うん、食べる。ありがとう」


 まさか犬食いをするはずもありませんし、当然、箸はボクが持つんですよね。

 割り箸を割り、お皿に乗せられた料理を掴みました。基本的に、自分が食べる動作と変わりません。取り上げた料理を自分の口に入れるつもりで近づけていきます。


「あむ」


 上手く勇菜ちゃんが食べてくれたようですが、自分の口に当たる感触がないため、わずかに唇で引っかかったのがわかりました。回数を重ねるごとに、勇菜ちゃんの口の周りをソースなどで汚していることでしょう。早く慣れないと、行儀悪いと思われてしまいますね。


「むぐ、つ、突っほみふぎよ」

『ご、ごめんなさい』


 喉の奥まで箸を入れてしまったようです。


「ひょっと、早いわよ! まだ飲みほんへないっへ!」


 これは、思ったよりも難しいですね。

 二人羽織で後ろから前の人に食べさせる宴会芸がありますが、あれとそっくりです。


「そればっかりじゃなくて、別のも食べさせてよ」


 そういえば、勇菜ちゃんはまんべんなく料理に手をつけていくタイプでしたね。


「う……喉……詰まった……」


 大変です。飲み物を。おばさんがコップに冷たいお茶を淹れておいてくれたので、それを口に近づけます。自分が飲むイメージで、丁寧に。


「ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴぶふうっ!」


 あれ? 失敗してしまいました。


「ゲホッ、ゲホッ……。飲ませすぎよ! いつ止めるのかと思ったわ!」

「……勇菜」


 隣で食事の様子を見守るおばさんが、終始可哀想な子に向けるような眼を勇菜ちゃんに向けていました。



        ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「キツいわ……」


 勇菜ちゃんが食事を終えた後、おばさんは、空になった皿をさげて再びボクの家へと向かいました。

 勇菜ちゃんは、今の食事に多大なエネルギーを消費したようで、ぐったりしています。

 エネルギー補給のための食事なのに、食事のためにエネルギーを消費するなんて本末転倒ですね、とボクなりの冗談で場を和ませようとしたんですが、どうも逆効果だったようです。さらに不機嫌にさせてしまいました。


『ごめんなさい。練習していくうちに慣れると思うんですけれど』

「もういいわよ。初めてなら、あんなもんじゃない?」

『そう言ってもらえると助かります』


 おそらくは、明日も周りの人が気を使って、勇菜ちゃんは学校を欠席することになると思います。葬儀もありますしね。その間に、この二人羽織をマスターしないと。学校のお弁当で、今回のような醜態を晒すことは避けなければいけません。

 勇菜ちゃんが、背筋を伸ばして体をほぐしています。本当なら、腕も使って伸びをしていることでしょう。


「今日はもう、お風呂入って寝るわ」

『お風呂……ですか?』

「言っとくけど、一回でも目を開けたら殺すわよ。もう死んでいるって言うかもしれないけど、生き返らせてでも殺すから」


 声に冗談の類は一切交じっていません。勇菜ちゃん、本気ですね。


『絶対に目を開けません。それは信じてください。ですが……』


 この様子だと、またしても勇菜ちゃんは気づいていないんじゃないでしょうか。


「ですが、何よ?」

『ボクが洗うんですか?』

「………………」


 予感的中ですね。

 しばらく部屋の中に静寂が流れます。この沈黙は、正直耐え難いものがあります。


「じょ、冗談じゃないわよっ!!」


 勇菜ちゃんが、立ち上がって激昂しています。


「ああああああ、そうだったわ。手が使えないんじゃ、体が洗えないじゃない。髪くらいならいいけど、体はさすがにダメよ……。どうすればいいの!? 言っておくけど、お風呂に入らないっていうのはナシよ!」

『でしたら、タオルで洗うのはやめて、ブラシを使うというのはどうですか? それが電動のものだと、なお良しかと思いますが』

「う、うーん……」


 ボクからは見えませんが、物凄く嫌そうな顔をしているのが目に浮かびます。乙女の危機ですから当然でしょう。心中お察しします。


「でも、ブラシなんて、ウチにそんなの無いわよ」

『明日にでも買いに行きましょうか。今日は仕方ないですから、お風呂は諦めるか、シャワーくらいで済ますか』

「この汗をかく時期に、お風呂に入らないなんてありえないわ」

『入るんですね……。では、シャワーで』

「いい!? 絶ッッ対に目を開けるんじゃないわよ!!」

『神に誓って見ません』


 ボクはこれでも紳士のつもりです。本当に見るつもりはありません。見たくないのかと言われれば、見たいに決まっていますが、勇菜ちゃんが嫌がるようなことは断じてしません。


『あ、勇菜ちゃん、ついでにもう一つ』

「今度は何!?」


 怖いですね。とても語調が荒いです。


『お手洗いはどうしましょう?』

「……トイレ?」

『はい。ボクは目を瞑れても、耳を塞ぐことができませんし、それに勇菜ちゃんの家もボクの家も、ウォシュレットタイプではありませんから、その、拭く時などは……』

「………………」

『………………』

「………………」

『勇菜ちゃん?』

「い、いいいやああああああああああああああああ!!」


 先程よりも数段大きな絶叫がこだましました。これ以上ないというくらい超至近距離からの悲鳴に、耳を塞げないボクは、どこにあるかもわからない鼓膜が破れるかと思いました。


 ところで、こういうのもラブコメっていうんでしょうか。

 ……なんか違いますね。

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