第3話 転生したら腕でした

 う……ん……。


 徐々に頭が覚醒していくのが分かりました。そしてゆっくりと瞼を開いていくと、視界に見慣れない白い天井が映りました。蛍光灯の明かりが眩しく感じられます。

 どこかの病室でしょうか。


 トラックに轢かれて死んだら異世界転生というのがお約束ですが、どうやら、ボクは助かったようですね。日本語の日めくりカレンダーが壁にかかっていますし、日付のズレもありません。ここは現代日本で間違いないようです。

 皆にも心配をかけてしまいました。無事な姿を早く見せなければ。


 そう思って上体を起こそうとしますが――。

 よっ! はっ! ていっ!

 変ですね。どうしても体が持ち上がりません。思いの他、事故のダメージが大きかったんでしょうか。

 ふう、と汗を拭うようにして額に触れようとすると、どうにか腕は動いてくれました。


 しかし、ボクはその手を見て固まってしまいました。

 人が生きてきた中で、最も長い時間目にしている自分の体の部位はどこか。

 顔だと思った人もいるかもしれません。でも違います。

 それは手です。

 一目見て、自分の物ではないとわかりました。というか、似ても似つきません。

 これはどう見ても男の手ではなく、細く綺麗な女性の手です。


 意味不明。

 ボクは混乱しました。手を握ったり開いたりしてみますが、目の前にある、ボクのものではない手は、ボクの意思に忠実に動いています。

 ちょっと待ってください。一旦冷静になりましょう。

 気持ちを落ち着けるため、深呼吸をします。

 意識ははっきりしました。ですが、どこかいつもと違う感じがします。最初は事故による怪我のせいかと思いましたが、なんと言えばいいのか、視聴覚に一枚フィルターを被せたような感じとでも言いますか……。言葉では表現しにくいですね。


 ボクは今、横たわっているようです。

 どうして断定的な言い方をしないのかというと、ボクには横たわっているという感覚がないんです。背中がベッドなり床なりに引っついているという感触が伝わってきません。それは背中だけではありません。腕以外の一切に神経が通っていないような心許なさ。金縛りのような重苦しい感覚とも違います。むしろ重力を感じていないのではないかとさえ思う浮遊感があります。

 かろうじて動く腕で太股の辺りををペシペシと叩いてみますが、何も感じません。

 手には確かな感触がありますし、音もちゃんと聞こえます。自分の顔がある所をつねったり引っ張ったりしてみると、弾力のある肉感が手には感じられても、顔には感じません。本当にちゃんとそこに顔があるのかと不安になってしまいます。

 うん、訳がわかりません。


「ふ、ふぐ……ふむぐぅ」


 うわっと!

 ビックリしました。

 顔があると思われる部位を引っ張っていると、そこから突然声がしたんです。

 何事かと思い、ボクは声の発信源を調べるべく、今まで以上に手探りします。


「ちょ、な、ぶっ! 鼻に! 誰よ!?」


 ………………え?

 今の声には聞き覚えがあります。

 ボクは声の主を確かめるために、思い当たる名前を呼んでみることにしました。


『……勇菜ゆうなちゃん?』

「え? 今の声、祝人? ……そうだ! 祝人のりとどこ!? 無事なの!?」

『う、うわわっ!』


 その言葉とともに、いきなり視界が90度傾きました。

 つまり、寝ている状態から起き上がった状態になったということです。

 しかし、今のはボクの意思で体を起こしたのではありません。勝手に起き上がったんです。


「祝人どこよ!? 隠れているの!?」

『え? え?』


 ボクの意思とは関係なく、グルグルと視界が動き回ります。


「祝人ってば! いい加減にしないと怒るわよ!」


 既に怒っているじゃないですか、という言葉は伏せておきました。火に油を注ぐだけだし、そんな悠長なことを言っている余裕はボクにもありません。


「っていうか、ここどこなのよ!?」


 さらに視界が回転し、いきなり目の前に部屋の扉が迫りました。


「キャッ!」


 ガツンッ!!

 と鈍い音がしたかと思うと、今度は視界が下がりました。ちょうどしゃがみこんだくらいの高さですね。ボクは完全に扉にぶつかったと思ったのに、まったく痛みはありません。代わりに、痛そうな声を出したのは勇菜ちゃん。どういうことなんでしょう。


「な、なんで? 手が、動かなかったわ……」

『どうしました? 勇菜ちゃん、大丈夫ですか?』

「なんなのよ……。ドアノブを掴もうとしたのに掴めなくて、おでこを扉にぶつけたわ」


 ボクは無意識に、自分のおでこの辺りをさする仕草をしました。それでも手に何かが触れる感触はありますが、おでこ自体には何も感じません。


「ヒャッ!」


 勇菜ちゃんの小さな悲鳴と一緒に、手に触れたものがビクッと震えた気がしました。


「な、な……」


 勇菜ちゃんが、何かに怖がっているような声を漏らしています。


『どうしたんですか!? 勇菜ちゃん、どこにいるんですか!?』

「手……手が…………手が、勝手に動いてる」

『手が?』


 …………。

 いや、まさか……ね。

 ボクはここで、ようやく一つの可能性に気づきました。

 ですが、それはあまりにも荒唐無稽な考えなので、にわかに信じられません。

 信じられませんが、確かめないわけにもいきません。


『勇菜ちゃん、勇菜ちゃん、聞こえますか?』

「え? うん、聞こえているわよ。姿は見えないけど」

『確かめたいことがあります。鏡の前に立ってもらえますか?』


 都合よく部屋の中には洗面台があり、鏡も取り付けられていました。


「立つだけでいいの?」

『はい。あと……驚かせてしまうかもしれません。前もって謝っておきます』

「な、何よそれ……。脅かさないでないでよね」


 勇菜ちゃんが、恐る恐る鏡の前に近づいてくれました。そして、ボクの視界も同じく鏡へと自動的に近づいて行きます。


「た、立ったわよ?」


 …………やっぱり。

 ボクの視線の先には鏡があります。

 しかし、映っているのはボクではありませんでした。


『こんなことって……』

「な、何よ? 一人で納得していないでよね」


 鏡にボクの姿は映っていません。

 信じられないことですが、映っているのは一人の女の子だけ。

 そう、勇菜ちゃん、ただ一人。


『うーん……これは、どうしましょう。実際に見せた方が早いんでしょうけれど、やっぱりそれとなく濁しつつ、ショックを和らげるように、少しずつ説明した方が……』

「もうっ! 煮え切らないわね! 何がどうなっているのか、さっさと教えなさいよ!」


 ついていけないこの状況に、勇菜ちゃんは我慢の限界のようです。なら実際に見ていただくしかありませんね。すみません、勇菜ちゃん、驚かせてしまいます。


『勇菜ちゃん、鏡を見ていてください』

「わ、わかったわ」


 ボクはすっと右手を上げました。すると鏡の前の勇菜ちゃんも、鏡なので左手ですが、そっくりそのまま同じ動作をしました。


「ええっ!?」

『今手を上げたのはボクの意思です。何故かはわかりませんが、勇菜ちゃんの腕は、ボクが動かしているんです』

「し、信じられない……」


 勇菜ちゃんは、まだ半信半疑のようです。


『それじゃあ、勇菜ちゃん、何か腕でできる命令をしてみてください』

「ん。じゃ、じゃあ……目の前に洗面台があるから、手を洗ってみて」


 ボクは命令どおり、水道の蛇口を捻って水を出し、手を洗ってみせました。

 手にかかる水が冷たくて気持ちいいです。


「……何も……感じないわ」

『感覚の共有という線はないみたいですね』


 鏡に映る勇菜ちゃんの表情は唖然としていますが、落ち着けば、次第に怒りが込み上げてくることでしょう。両腕を奪ってしまったなんて、どう償っていいのかわかりません。せめて、これが一時的なものであることを願うばかりです。


「…………そっか」


 予想に反して、勇菜ちゃんの声は淡白なものでした。


『怒らないんですか?』

「怒らないわよ」

『でも、両手が使えないんですよ? わざとではありませんが、普通怒るところじゃ?』

「怒るわけないわ……。というか、怒れるわけないわよ。私は祝人の体全部を奪っちゃったも同然なのよ? それに比べれば、腕くらい安いものでしょ」

『勇菜ちゃん、それは……』

「いいんだってば! だって……今祝人がこうなっているってことは、やっぱり祝人……死んじゃったんでしょ? それは、どう取り繕っても私のせいなのよ!」


 勇菜ちゃんは感情を露わにし、声を掠れさせながら、ぼろぼろと涙を流しています。腕が動かせないため拭うこともできず、頬を伝う滴がぽたぽたと床に落ちていきます。

 勇菜ちゃんが泣くところなんて見たことがなかったため、ただ呆然とするしかできません。


「だから、腕のことは気にする必要ないわ」


 こういう時、学年一位なんて、なんの役にも立ちません。かける言葉が思いつかず、自然に任せて出てきたのは、『ありがとうございます』でした。


「どうして祝人がお礼なんて言うのよ。それじゃ、さっきと逆じゃない」

『さっき?』


 話に違和感を覚え、よくよく確かめると、それはあの一面白い景色の中での出来事のことでした。つまり、ボクと勇菜ちゃんが、同じ夢を見ていたということになります。

 実際には、今ボクはこんな状態なわけですから、ボクが勇菜ちゃんの夢にお邪魔していたということでしょうか。世の中には、まだまだ知らない不思議なことがいっぱいですね。


「ここ、病院かしら」

『ベッドにナースコールが置いてありますし、そうでしょうね。まさか勇菜ちゃん、怪我とかしているんですか?』

「痛いところは……ないわね。制服のままだし。ショックで気絶しちゃっただけだと思う」

『よかった。なんにせよ、付き添いの人がどなたかいらっしゃると思いますが』


 そんな会話をしていると、タイミングよく部屋の扉を開けた人がいました。


「あ、お母さん」


 中に入って来たのは、勇菜ちゃんのお母さんでした。


『おばさん、こんにちは』


 反射的にボクも挨拶をしましたが、反応がありません。

 おばさんが無言のまま、勇菜ちゃんを抱き締めました。


「……お母さん?」


 おばさんは一言も発しません。悲しい気持を分かち合うように、それでいて辛い気持ちを抱いているであろう娘を受け入れるように、優しく包み込んでいます。


『おばさん、聞こえますか? 祝人です』


 再度呼びかけてみますが、やはり反応はありません。


「勇菜、とても辛いでしょうけど……我慢しなくていいからね。泣いていいんだからね」

「お母さん……」


 むむ、これはどうやら。


『勇菜ちゃん、ボクの声が聞こえるのは、勇菜ちゃんだけのようですね』

「え、そうなの?」

「……勇菜?」


 突然勇菜ちゃんが噛み合わない返事をしたので、おばさんが変に思っています。


「お母さん! 祝人がね、ここにいるのよ! 私には祝人の声が聞こえるの!」


 勇菜ちゃん、落ち着いてください。このシチュエーションで、そんなことを言うと……。


「い、勇菜……」


 思ったとおり、おばさんは顔を悲痛な色に染め、さっきより強く勇菜ちゃんを抱き締めました。今のは誰が聞いても、勇菜ちゃんがショックでおかしくなったと思うでしょう。


「あれ? お母さん?」

「いいの。いいのよ。今はゆっくり休んで。時間が経てば、きっと心も癒されていくから」

「そ、そうじゃなくて」

『勇菜ちゃん、今はボクが勇菜ちゃんの腕に憑いていることは伏せておいた方がいいと思います。こんなこと、誰に言ったとしても、勇菜ちゃんが正気を失ったとしか思われないでしょうから』

「……そうみたいね」


 ぽそっと、小さく勇菜ちゃんは返事をして頷いてくれました。

 それと、おばさんの言葉で確定的になりました。



 ボクは……やっぱり死んだんですね。



「これから祝人君のお通夜の準備を手伝いに行くから家に戻るけど、勇菜も帰る? 一晩病院に泊まっていってもいいんだけど」

「ううん、私も帰るわ」

「そう……。でも、本当に無理しないでね」


 複雑な心境と状況を抱えたまま、ボクと勇菜ちゃんは家に戻ることになりました。

 そういえば、今日は学校を休んでしまいましたね。何気に小学校から皆勤だっただけに、残念です。

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