第4話 おでん

桜の木から葉っぱが姿を消して代わりに足元には落ち葉の絨毯が出来て、それももう薄くなってきていた。学校が終わって家路を歩いていると、北風が顔に刺さって首に巻かれているマフラーがほどかれた。真冬ではないが秋の終わりが感じられる日。こんな日にぴったりな夕食は・・・。私は帰りにいつも利用しているスーパーに寄って練り物の詰め合わせと長ネギ、大根と木綿豆腐。コンニャクに太めのウインナーも。出来上がりを想像しながらウキウキと籠に詰めていく。少し重い袋を家の前まで運んだせいか、息が上がっていた。手を洗って鏡を見ると頬と鼻先が少し赤くなっていた。今日は本当に寒かった。部屋のヒーターのスイッチを入れて暫くその前で温まっていると、部屋に入る光が弱まって来た。カーテンを引いて部屋の電気を控え目に付ける。キッチンのコンロに一番大きい鍋を置いて水と昆布を入れる。その間に具材を食べやすい大きさに切って下準備をする。鍋に火を入れて沸騰直前に昆布を取り出して酒とみりんと醤油を少々入れて味を調えて具材を入れて沸騰したら火を弱めて放置。気休めのタイマーをセットしてこの間リビングに出した炬燵の電源を入れた。キッチンから微かに匂いが漏れて来たので一度鍋の蓋を開けると、微かに震える具材が踊っているようで何だか可愛く思えた。汁を少し取って口に当てると練り物から出た出汁と昆布からの出汁がいい塩梅に効いていた。大根に箸を射すとまだ硬かったので、火をつけたままそのまま十分ほど放置した。その間に味噌だれを作る事にした。キッチンの下の棚に仕舞ってある赤みそを出しておでんの鍋から少し出汁を取り出して味噌と混ぜ合わせて其処に少しのみりんと酒を入れて煮立たせる。とろみを出すために少しの片栗粉を入れて完成。一仕事終えて炬燵に足を入れようとした所で玄関のドアが開いた。

「うおお、さみいい・・・おっ。帰ってたのか。良い匂いもしてるな」

体を震わせながら入って来たおじさんの首元には何も巻かれておらず薄いコートを羽織っているだけだった。

「お帰りなさい。もう寒いから分厚いコートを着て下さいね。其れとマフラーも」

「あぁ、俺マフラー持ってねぇんだよ。身動きがとりずらくなるものは持たない主義だったからな。なんかマフラーってひらひらしてるだろ。掴まれたら身動き取れなくなりそうだし」

「そっか・・・」

おじさんの事をもっと考えていたら、分かりそうな事だったのに。私は自分の浅はかさに落ち込み俯いていると頭に手が置かれた。

「なに落ち込んでるんだよ。別にお前が落ち込む事は無いだろう。大丈夫だよ。この程度でお前の事を無神経だとか思わねぇから」

それはそうかもしれないが、私は全く別件で落ち込んでいるのだ。私は部屋の隅にあるトートバックに視線を移したが直ぐに逸らした。おじさんは優しい笑顔で私を見つめてくれていた。この人は、こういう時本当に優しい顔をするようになった。

「そっか。よかった・・・あっ!」

すっかり鍋の事を忘れていた私は慌ててキッチンに行って火を止めて鍋の蓋を開けると丁度いい感じに火が通っていた。一安心していると後ろから覗き込んだおじさんが私の耳元で言った。

「おぉ!今日はおでんか!今日にぴったりだな。もう出来たのか?」

「うん。多分。でも大根はもう少し後の方が良いかもね」

「取敢えず、食べるか」

「うん」

冷蔵庫に入れておいた冷ご飯を温めて茶碗によそって深型の皿におでんを入れていく。温まった炬燵に並べて足を入れた。冷たくなった足先にじんわりと熱が伝わって行くこの感覚はこの季節ならではだ。同時に手を合わせて声を揃えて言った。

「いただきます!」

おでんを何から食べるのかは、人それぞれ。私は先ずハンペンに箸を付けた。二つに割って味噌だれに絡めて。口に運ぶ。ハンペンの柔らかい風味に濃い目の味噌だれがぴったりだ。火を入れて膨らんだハンペンはこれ以上ないと思えるくらいふわふわになるのだ。おじさんを見ると、ハンペンでは無くゴボウまきを美味しそうに頬張っていた。私もゴボウまきを口に運んだ。ゴボウとその味わいを損なわない程度に出汁を吸い込んだ周りの揚げのハーモニーが素晴らしい。誰がこんな物を考えたのだろうか。ウインナーはぷっくりと膨らんでいて今にも弾けそうだ。歯にあてがうとパリッと音を立ててはじけた。がんもをご飯の上で噛み千切ると中から汁が溢れてご飯に掛かる。がんもの甘さがご飯とよく合う。鰯のつみれはフワフワで鰯の良い香りが口いっぱいに広がる。おじさんの方をチラリとみるともう皿が空に成っていた。

「そろそろ大根も良いんじゃないかな」

「あぁ、二杯目を入れてくる」そう言って立ち上がった叔父さんの居た所を見つめているとその先の壁に掛かっているトートバックに目が行く。するといつの間にか戻って来ていたおじさんに不思議そうな顔をされながら顔を覗かれた。

「どうした。箸が止まってるし、やけに悲しそうな目をしていたぞ」

彼に悟られない為に私は必死さを見られないようになるべく自然に返した。

「何でもない。少し考え事してただけ」

「ふーん。そうか」

「うん、そう・・・」

彼は二杯目のおでんが入った皿を静かに机に置いて私が見つめていたトートバックの方に近付いたので咄嗟に私は膝で立ち上がった。おじさんがそのトートバックを手に取って私の前まで持ってきた。

「お前のさっきの落ち込み加減と、お前の視線を読めば何となくの事は俺にも分かる。俺が誰か忘れた訳じゃないだろ」

彼の前職を考えれば、人の意識の移り変わりを読み取るのは他愛無い事だ。それでも、自分の気持ちが読まれている事に少し悔しさも覚えた。

「お前が俺の言動や振る舞いに気を遣ってそうやって落ち込むのは俺にとっても良い事では無いんだ。いい加減分かれ。というより、俺の器がそんなに小さいと思われるのも癪だしな」

「でも・・・」

「話してみろ」

頭にゴツゴツした手が置かれて、俯いた顔を上げておじさんのその表情を見た時に私は彼に心配を掛けてしまった事がこの時初めて分かった。

「あの、本当は出来るまで内緒にしておきたかったんだけど、その・・・今編み物をしていて。そのぉ・・・」

おじさんは私のたどたどしい言葉を聞きながらチラリとトートバックの中身を見た。

「本当だ、毛糸が入ってる。網掛けの編み物も。もしかして、俺に?」

恥ずかしさで耳が燃えそうで、頷くのが精一杯だった。彼は静かに笑いながらそのトートバックを元の場所に戻して炬燵に入って、私の顔を覗き込んだ。

「なんだ、さっき俺が言った事もしかして気にしてんのか?相変わらず気を遣い過ぎなんだよ、お前は」

「でも、マフラー、嫌なんでしょ?」

そういうと彼は少し困ったように眉頭を上げながら言った。

「確かにそうだが、今はもう俺は誰かから追われる生活をしている訳じゃねえし、付けていいだろ。それに久しぶりに付けるマフラーがお前の手編みっていうのは、中々悪くない」

口角を上げて無邪気な笑顔を見せたおじさんにときめいたのは内緒にしておこう。

「え・・・じゃあ、作っていいの?」

「作ってくれるか?」

彼は優しい笑顔を浮かべながら肘を机に付いて少し前のめりに成って私に聴いた。

「うん!分かった!あたし、頑張るね!」

「おう、楽しみにしてるぜ」

私は声が上ずっていたけれど、そんな事はどうでもいいと思えるくらい、彼から何かを求められることが嬉しかった。

「ほら、おでん食っちまおうぜ。冷めちまうよ」

「うん!」

私は箸でばくだんを掴んで一口で頬張った。



後日談

ある日俺が家に帰ると、玄関の前であいつが待っていた。

「どうした?こんな所に突っ立って」

何時もよりも少しそわそわしたこいつが少しの緊張を帯びた声で言った。

「おじさん、ちょっと屈んで」

何を考えているのか分からず、少し不安だったが、俺は素直に屈んだ。すると首元に何か柔らかい物が掛けられた。其れがマフラーである事を認識するまでそう時間は掛からなかった。

「出来たのか」

「うん!待たせちゃってごめんね」

縫い目は其処まで綺麗では無い物の、初めて作ったにしては中々いい出来だなと感心した。少しくすんだブルーの毛糸が今俺が着ているコートの色によく合っていた。

「色、嫌だった?」

「いや、此れなら合わせやすいし。良い色だと思うぞ」

「そう?そっか。良かった」

そわそわしっぱなしのこいつは俺が気に入った事が相当嬉しいらしく、何時もは耳で止まっている紅潮が頬にまで来ていた。自分の中に有る今の気持ちが何なのかは、敢えて追及しなかった。俺は感謝の気持ちをどう伝えるべきかを考えて、こいつの肩に手を置いた。驚いて顔を上げているこいつの目を見つめながら、自分の中で見え隠れする物を見なかった事にして口を開けた。

「ありがとう」

染まった顔に花が咲いた。

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