第3話 餃子戦争
今日はあいつと外での待ち合わせだった。俺は今日、昼間あいつの携帯に連絡を入れておいたのだ。今日は行きたい店が有るから最寄りの駅で待ち合わせようと。今迄に何回かこういう事をしてきたが、それはあいつの誕生日やクリスマスなどのイベント事が有る時だけだったので、あいつの取り乱しようはメールの文面からも有りありと分かった。其れを可愛いと思ってしまう自分を必死に律しながら俺は昼間の間仕事に集中するように心掛けた。何故今日あいつを外の店に誘ったのかは、単純に家での飯ばかりではほぼ毎食作っているあいつに負担が掛かる事を危惧したからだ。あいつももう高校二年生だ。そろそろ勉学に集中したいタイミングな筈な事をここ最近俺も悟っていた。だから週に一回の贅沢をするこの金曜日に誘ったのだ。今日は思いっきり食わせてやろう。俺なりのあいつへの励ましに成ればいいのだが・・・。暫くすると右後ろの方から忙しい革靴の音が聞こえて来た。振り返るまでも無くあいつが近付いてきている事が分かった俺は、気付いていない振りをしてそのままの姿勢を保った。俺の所まで五メートルと言った所であいつの足音が静かに成った。そしてギリギリまで近付いたその時あいつが俺の後ろから背伸びをして俺の目を手で覆った。
「だーれだっ!」半分笑いながら其れをやっている所から見てやはりこいつは今日浮かれているようだった。簡単な女だ。此処まで簡単では他の男に遊ばれない様に気を付けていないと、なんて考えているといつまでも反応を示さない俺にしびれを切らしたこいつが手を離して俺の前に回り込んできた。
「もうっ!一言位何か言ってくれてもいいんじゃない?」
「あぁ、すまん。ちょっと考え事をしていて・・・」
「ふーん、何考えてたの?」
「お前の胸はまだまだ小さいなって・・・」
真っ赤な顔をして俺を睨みつけているこの少女で遊んでいる自分を鼻で笑いたくなった。
「ほら、行くぞ。この時間を逃すと満員に成っちまうからな」
足を進める俺に付いて行こうとして少し速足に成るこいつに俺はいつもわざと歩調を合わせないでいる。その理由は未だこいつに教える気はないのだが・・・。
「ねえ、今日は何で外食なの?何かあったっけ?」
「いや、特にねぇよ」
「じゃあ何で・・・」
「別にいいだろ。そもそも特別な事が無ければ外で飯を食っちゃいけねぇのかよって話だろ」
「それは、そうかもしれないけれど・・・。そういえば、私制服のままだけど、入れる所なの?」
「あったりめーだろ!そんな事も考えられない程ポンコツじゃねぇよ俺は」
俺は正直今日のメインにはビールを合わせたい所だったが、こいつの前で酔う訳にもいかない。今日は我慢する。ビールは・・・我慢だ。
「ところで何処に行くの?何を食べるの?」
「お前な、少しは楽しみって事を覚えろ。知らずに行った方が楽しみが増えるだろう」
最寄駅から線路沿いに五分ほど歩いた所にある赤い看板にデカデカと“娘々”と書かれた少し古ぼけた店の前で足を止めた。隣で佇む少女は怪訝そうな顔を俺に向けて聞いて来た。
「此処・・・なの?」
「大丈夫だよ。見た目は古いし中も古いが、それだけに味は本物だ。それに、こう見えて結構人気店なんだぞ?」
俺とこいつが店の扉を開けて入ると、もう席の三分の二は埋まっていた。大半が俺と同い年位のむさいおっさんがひしめき合っている。こいつには確かに未だハードルが高かったかもしれないが、しかし今日の目的のためにはそんな事は構っていられないのだ。案の定隣のこいつは少し委縮していた。
「私、なんか・・・場違いじゃない?」
「大丈夫だ。此処は確かに酒も置いてあるが、中華飯店だ。俺たちは食事をしに来ているんだから何も後ろめたい事なんてないぞ」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけどなぁ」
「何か言ったか?」
「いや、何でもないよ・・・。でもこんな所良く知ってたね。前から知ってたの?」
「最近見つけて昼に食べに来たりしていたんだよ。お前には黙ってたけど・・・」
「えー!ずるい・・・・」
「だからこうして連れて来てやったろうが。ゴチャゴチャ言うと帰るぞ」
「うぅ。意地悪・・・」
「いらっしゃいませえ!おしぼりどうぞぉ!」席に着くと威勢の良い声をした此処の店の奥さんが俺たちにおしぼりを差し出してくれた。温かいお絞りに顔をうずめる。俺がその快感の余韻に浸っていると正面のこいつは俺の方をまじまじと見つめていた。
「なんだよ・・・」
「いや、何でもない」
俺はこいつの口の端が少し上がっている所を見逃さなかった。人の顔を見て何だか楽しげだ。まあ、今日は大目に見てやろう。
「で?ここは何が売りのお店なの?」
「ふふふ。此処はな・・・餃子だ!」
「餃子か・・・いいね」
俺たちは互いに顔を合わせてにやにやと笑い合う。メニューを見てこいつの目は一層輝いた。
「しかも、此処は・・・」
「そうだ。普通の餃子の軽く二倍はある大きさの物が、良心的価格で楽しめる。そして、餃子の種類は一種類。ここの店主が辿り着いた、こだわりの餃子だ」
俺たちは早速餃子を一人二枚ずつ頼んだ。周りの客がむさぼっているのも俺たちが頼んだものと同じ餃子だ。俺はまだ余裕が有るが、どうやらこいつは俺よりも限界が近いらしい。周りの連中のテーブルの上にある餃子を奪い出すんじゃないかと心配になるくらいに見入っていた。
「美味しそう・・・」
慌てずとも来るんだ、と思いながらも俺もついつい周りの連中が上手そうに頬張っている餃子に目が行く。俺たちは暗黙の了解をアイコンタクトで交わした。そうだ。今日俺たちは飯を食べない。そもそも餃子は小麦粉からできた皮で肉と野菜を包んだ”完全食”なのだ。其れに白い飯を会せるなど、あってはならない。俺たちは今日、この空っぽの胃袋に詰めるのは餃子のみにするのだと密かな決意を固めた。間もなくして俺たちの前に湯気を漂わせた餃子たちが鎮座した。香ばしい良い香りが鼻を霞めると、俺たちは同時に深く其れを吸った。冷静に取り皿に醤油と酢を落として割り箸を割る。俺たちは互いに見つめ合って頷いて両手を合わせた。
「頂きます!」
言い終えると同時に素早く箸に一つ目の餃子を掴む。俺は先ずは餃子そのものの味を味わう為にそのまま口に放り込んだ。あぁ。これだ。これなのだ。この薄すぎないもちもちの皮に包まれた餡から溢れ出る肉汁が口いっぱいに広がる。肉だけではこの味にはならない。他の店がキャベツを入れる所をこの店は白菜を入れている。肉は鹿児島の黒豚肉を百パーセント使用。この味わいに辿り着くまでの店主の苦労を思うと涙がちょちょぎれる。しかし俺はそんな感慨にふけっている暇はないのだ。この目の前の餃子達が冷めてしまう前に全て俺の腹の中に納めてしまわなければならないのだから。俺たちは何も言わずに無言で箸と口を動かし続ける。二更目に入った所で目の前の彼女はメニューの方に手を伸ばしていた。彼女も同じく二皿目に手を付けた所らしいが、次の餃子が来るまでのロスタイムを考えて注文をするつもりらしい。通りかかった店員に声を掛けて注文をした。
「すみません。餃子を四枚と、ウーロン茶を二つ」
「はいっ。かしこまりました」
彼は急ぎ足で厨房の方へと入って行った。
「お前一度に四枚も頼んだら冷めちまうだろうが」
「おじさん、いくら私でも其処まで考え無しじゃないよ。おじさんの分ももう無くなるから頼んだんだよ。ウーロン茶、飲むでしょ?」
「あぁ、そうか。悪いな」
慣れたようにそうやって俺の調子を見て行動するこいつを見て少し感心したが、それも次の焼き立ての餃子が来る頃には頭から消えていた。俺の頭の中は目の前にある子の餃子で一杯なのだ。俺たちは一心不乱に餃子をもさぼり続けて、皿が重なり続けて調度に十分ほど経った所で、俺たちはほぼ同時に箸を止めた。
「お前、学校でビビられないのか。女にしては食う方だろう」
「古いなぁ、おじさん。今はね、美味しそうに食べる女子が流行りなんだよ。確かに太ったりしたら話は別だけど・・・」
「虫のいい話だな。食べる女は好きでも太った女は嫌、ってことだろ。つまり食べてもその分運動もするアクティブな女じゃないといけないっていう風潮だろそれ」
「なんだ、ちゃんと分かってるんじゃない。まあ、女の方も男に理想を追い求めている所有るんだからお相子かな」
「お前は・・・」
口に仕掛けた言葉を俺は引っ込めた。こいつにはそれを聴いたら面倒な事に成ると俺は分かっている。
「ん?何か言った?」
「何でも無い。其れより、デザートは食べるか?俺は胡麻団子と杏仁豆腐を食うつもりだが」
「食べる!!」
満腹に成って店を出た俺たちは家までの道をゆっくり歩いて帰った。少し冷たくなってきた風に湿り気を感じた俺は隣で鼻歌を歌いながら歩くこいつの腕をつかんだ。少し驚いたように目を見開いた顔は少し面白かった。
「雨が降りそうだ。少し急ぐぞ・・・」
驚いて何も言えなかったのか、無言で俺に引っ張られながら歩くこいつの事を少し可愛いと思い始めている俺は、危ないのかもしれない。
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