第19話 王都にて
魔族を倒したリリア達が、国を挙げての歓待を受ける事は無かった。まだ東の塔を攻略し終えただけであり、見方によってはそこで取り逃したエイダによって民間人に被害を出してしまった様なものである。
普段なら東の塔を攻略した後、いくつかの村や町を経由しながらドンディナ街道を通り、国の南側へと抜けて次の塔へと挑戦する。だが今回は王都へ戻ってしまっているので、ドンディナ街道を利用するよりも移動距離は短い。
東の塔の様に魔物がいない状態の南の塔を攻略してしまえば、二の舞になりかねないので、王都で少し時間を稼ぐことになった。
エイダ戦から帰ってきたその日、リリアとケイは再度城の中の部屋へと泊まる。魔族との戦闘経験をノエルとワンダに話すようにと神官長が二人を連れて来た。
今後、三方の塔へ続けて挑戦すると予想され、ゆっくりと話す機会を持てるかどうか分からないからだ。
せめて今日だけはゆっくりと休みたいと思っていたリリアだが、ノエルとワンダと会えるのも楽しみであった。
「魔族はどうでしたか」
「見た目は狼を人の形にしたような感じでした。緑の毛並みをしていて人の言語を解し、話しが全く通じないなんてこともありませんでした。けれど……」
自分にもしものことがあった時の為に、二人には魔族の話をしなければならない。神官長でさえ魔族を見たことが無いのだから、実際に対峙したリリアの話は貴重だ。
それどころか神殿の中にいると普通の人が見る動物も、実際に見た経験が無いことが多い。猫や犬、鳥ならともかく牛や豚や羊などの家畜も図鑑でしか見たことが無い。
当然、エイダを狼の魔物だと言ったリリアも、書物に描かれた絵を思い出して判断しただけだ。
只の動物であれば、天空神の元にみな平等であるとリリアは叫ぶ。
「けれど、あれほどの所業が出来る生き物に、慈悲を向けたくはありません」
街道の惨状を思い出しながら、リリアは何かに耐えるような顔で首を振る。
「人も、馬車も、馬も。皆、形が分からない程にぐしゃぐしゃになってました。血が、道や草原のあちこちに飛び散って、どれが腕やら足やら、頭も胴も分からなくて……」
「経験をしてないけれど分かりにくいかもしれないけれどね。においも凄いんだ。錆びた鉄のようなにおいが、戦っている間も息をする度に入り込んできて、むせ返りそうになる」
ケイも同じように話し始めた。口をつぐんで自分の中にため込み、夜中に悪夢として蘇るよりはすべて吐き出してしまった方が良いと考えた。
「ロージアンの貧民街に住んでたあたしですら辛かったから、こんなきれいな所に住んでいるリリアにはもっと辛かったでしょう?」
実際にはここは城であって神殿ではないのだが、内装や作りはほとんど同じである。
リリアは頷きながら胸に手を当て、ワンダとノエルを見た。
「わたくしは、ノエル達にあのような光景を見せたくありません。ですから、魔王討伐は私で終わらせたいと思います」
「リリア……」
「でも、今回の戦いでわたくしは無力を感じました。ですから―――」
びしっと天に向かってリリアは拳を突き上げた。
「格闘の道を究めたいと思いますっっ!」
「待ちなさいっ、どうしてそうなるのですっ!?」
神官長の鋭いツッコミが入った。城の中なのに神殿と同じように大きな声を出してしまった神官長はコホンと一つ咳払いをし、穏やかな声でリリアを諭し始めた。
「あなたは聖女として度に同行しているのですよ。祈りを捧げ治癒や防御を行い、勇者とその仲間を支える為に存在しているのです」
「何をおっしゃいますか。誰かがけがをするのを待つなんて魔族の様な所業、わたくしには出来ません」
「けがをしないようにするのが聖女の役目です!魔術で戦闘の支援をしながら時には回復をする。なくてはならない役割です」
「格闘を極めておけば魔術への動作もすんなりとうまく行くかもしれません。わたくし、珍しくしっかりと考えたのです」
神官長の必死の説得もむなしく、リリアの考え方はノエルやワンダにも伝染してしまった。
「私も薙刀をもう少し頑張った方が良いのかしら」
「近距離は精霊が守ってくれるから、チャクラムの訓練もう少ししておくかな」
「あなた達までっ!」
更にケイが畳み掛けるように賛同する。
「あたしもあたしも!セオドールみたいに腹筋六つに割れるくらい頑張る」
「ああ、あれは見事でしたよね。腹筋とはあのようになる物なのですね。わたくしのお腹も鍛えればああなるのでしょうか」
自分のお腹を見るリリア。その前に聞き捨てならない言葉を聞いてノエルは両手を口に当て、ワンダは口をポカンと開けた。
「見たの……え、もうそんな仲に?」
「しかも二人一緒に?」
一番ショックが大きかったのは神官長だった。顔を真っ青にしておろおろと普段の様子からはあり得ない程に動揺している。
「り……りりあ、いくら俗世に塗れても、その……魔王を倒すまで清らかな体でいなくてはいけませんよ?」
「わたくしはユウ様一筋なので大丈夫ですよ。猫から人間に戻れたとしても、そこはきちんと守ります」
リリアがぽんこつなので、男女の機微をどこまで理解しているのか神官長にも計り知れない。一通り教えたつもりだが、リリアが相手ではどうにも疑わしい。
言葉を選び、慎重に神官長は聞いた。
「と、殿方の腹部を見るなんて、どのような状況ですか」
「けがの治癒魔術を掛けただけなのですが、何かまずかったでしょうか」
きょとんとした顔でリリアに答えられ、神殿組は単なる勘違いだったと気づいて脱力した。ワンダとノエルは「なぁんだ」と笑う。
「そっか。そう言う事もあるもんね」
「ええと、何の話でしたか……そうそう、前にも説明したとおり、せっかくリリアは神殿で教える事の出来る魔法を全て覚えたのですから、精度を上げていった方がユウ殿の助けになります。今回はそんなふうに思う余裕があったかもしれませんがこれからはそうも行きませんよ」
「そうでしょうか」
リリアは足元に座っているユウを見た。疲れてしまったようですやすや眠っている。戦闘終了直後より魔力も少しずつ回復しているようで、開きのような状態ではなく香箱座りで寝ていた。
戦闘の最後にエイダはリリアを狙った。防御の結界を無効化されてしまい、肉弾戦を覚悟したのだが瞬時に思いつかなかっただけで魔術による手立ては確かにまだ有ったかもしれない。
状況を詳しく説明し、神官長の意見を仰ぐ。
「光による目くらましが直ぐに思いつきますね。後は興奮している状態ならば狂暴化を解く魔術も有効かもしれません」
「なるほど、私は全く思いつきませんでした」
「何事も経験ですよ。でも……そうですね、神殿でももう少し実戦を取り入れた訓練を行った方が良いのかもしれません」
「神官長はどこかで戦った経験がおありなのですか」
「ええ、あります」
きっぱりとした口調だったが、それ以上踏み込ませない何かを感じて、リリアは何も言えなくなった。
街道の整備も終わり、再出発の日と決定したのはエイダを倒してから一週間後だった。ユウの為の魔力回復薬も、サリー・アディントンの指揮のもとに魔術師たちの犠牲……もとい努力によって短期間で無事に開発された。
リリアは魔術の精度を基本的に上げていったが、隙を見て格闘の訓練も行った。流石に短期間で腹筋を割ることは出来ず、がっかりするリリアをユウが肉球で慰めた。
今日は準備の為に買い物をする日。リリアとケイとユウ、それからセオドールが一緒に出掛ける事になった。セオドールがフィンレイを誘ったが、用事があると断られた。
最初に旅立った時のリリアは、神殿で用意された旅支度をそのまま持って行ったので、城から城門まで脇目もふらずに歩いた。旅立ちに緊張していたこともある。
「実は王都で買い物をするのは初めてなのですよ」
「え、そうなんだ。じゃあ、案内できるのはセオドール一人?」
「そうだな。迷子にならないように気を付けろよ」
ロージアンよりも遥かににぎわっている王都の商業区で、三人と一匹ははぐれないようにまとまって歩く。
必要なのは携帯食料などだが、セオドールは食料品の店にまっすぐ行かずに女性の好みそうな店の前を通る。
これに、ケイが食い付いた。
「あ、これ可愛い。ああっ、これも」
「安くしておくよ」
「でも……これから旅をするから余計なものは買えないよね」
「お嬢さん、冒険者だね。だとしたらこれはどうだい?金運がちょっとだけ上がるアクセサリだよ」
店主が示した者は銀貨を楕円形に模したペンダントトップだった。少し古いデザインの物で、ケイは何となく懐かしさを覚える。
「素敵。いくらですか」
「銀貨一枚でどうだい?」
値段を聞いてケイは顔を曇らせた。
「ちょっと……無理だ。塔でお宝手に入らなかったし、これからを考えると無駄遣いできないよ」
「だったら俺が買おう」
「毎度。皮の紐もおまけで付けとくよ」
ケイが諦めかけたその時、セオドールが即決で買った。ポカンと口を開けるケイを余所に支払いを済ませて差し出す。混乱しているケイは受け取らず、セオドールが首からかけてにこりと微笑んだところで漸く口を開いた。
「な、なんで?なんで、なんで?」
「そうだな……強いて言うならこれからもよろしくってところだな。俺やフィンレイは国からの命令でユウたちに付いていくけれど、ケイはそうじゃないだろ。だから有難うとよろしくって意味だ」
「あ、有難う」
恥じらいながらもくしゃくしゃに笑うケイを見て、リリアまで幸せな気持ちになった。
「にゃー」
「そうですね。少しだけ見直しました。只の壁だと思って済みません」
「酷すぎるっ!」
「あ、間違えました。壁役です」
「それならい……いのか?」
「前衛って意味ですよね?あら、違いますか」
これがフィンレイだったら間違いなく嫌味だと思えるのだが、本気で言っているのか嫌味で言っているのか分からないリリアを、セオドールは怒ることも出来なかった。
店主はリリアにも勧めたが、頑として欲しがらなかったので一行はその場を後にする。
実は人型に戻った後で同じようにユウにプレゼントしてもらいたいとリリアが密かに望んでいることなど、ユウもセオドール達も微塵も思わなかった。
一行は食料や日用雑貨を売る店にやって来た。個人経営の物よりもかなり広い店舗で、客が自由に手に取れるようなシステムになっている。
セオドールが籠を持ち、リリア達が品物を入れていく。
「あ、携帯食料紅茶味だって。茶葉が入ってるのかな」
「ロージアンには無かったものですね。ではわたくしはこれに致しましょう」
リリアが魚味を取らず、足元で密かにほっとしたユウだった。
「カンテラは必要ないかな?要らないなら売ろうかな」
「万が一に備えて持っていてくれ。リリアもフィンレイも魔術を遣えない状態って可能性もあるからな」
「そっか。じゃ、燃料も補充しておこうっと」
「でしたら私も少しお金を出しますよ」
ああだこうだと言いながら買い物を済ませていくリリア達の後ろを、ユウがとてとてと付いていく。
異世界に転移してからずっと「異世界」だったのに、スーパーのような場所のせいか、はたまた買い物と言う日常が紛れ込んだせいか、元いた世界の感覚が少しだけ戻ってくる。
他人との距離を測りかねていた。話しかけても相手に迷惑にならないか、傷つけてしまわないかと、いつだって怯えていた。
東の塔ではそれに失敗して、リリアに土下座までさせてしまった。鳴き声が戻ってしまったのはこの世界の神による天罰かもしれないとさえ、思っている。
楽しそうに買い物をしているリリア達とほんの少しの距離を感じてしまう。同じ世界にいるのに別の世界にいる様な感覚。既視感どころか、そのまま向こうの世界で経験した光景だ。
自分の声が届くかどうか試したくて、ユウは「にぅ」と控えめに鳴いてみた。
「どうしました、ユウ様」
「なんか気になるもんでもあった?」
「腹でも減ってんじゃないのか」
リリアが直ぐに振り返り、ユウを抱き上げた。ケイとセオドールも気にかけて声を掛ける。フィンレイがこの場に居たらきっと皮肉を言った。
もしかしたら皆が優しいのは猫の姿である時のユウ限定かもしれない。人の姿だったら見向きもされなかったかもしれない。
けれど、ただそれだけで、ユウはこの世界を救いたくなった。
「ユウは何か欲しいものはありますか。やっぱり携帯食料は魚味が良いですか」
「にゃにゃにゃにゃっ」
ユウは必死に首を振った。それでもリリアは笑顔で魚味に言及する。
「やっぱり猫と言えば魚ですよねー」
「にゃにゃにゃーっっ」
「どう見ても嫌がっているんだから止めてやれ」
「にゃうっ」
猫の姿であるのは仕方のないことなので、ちょっとした齟齬でさえ楽しんでしまっている。
今後、どれだけ無力さを感じても、自分は最後まで絶対に諦めずにいようと、ユウは決心した。
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