第16話 エイダ戦1

 ドンディナ街道の周囲は広い範囲で草原が広がっていた。所々に巨大な岩や背の高い植物などが生えていたが、基本的には見晴らしがよく、国の東側から南へと移動するのに多数の商人が使っている。

 街道沿いには街や村などもあったが、被害があったのはその間隔が一番広い場所だった。


 サリーの魔術で転移した直後、リリア達の目に真っ先に入ってきたのは、あちこちに飛び散る赤い色だった。それから錆びた鉄の匂いが鼻に付く。視覚から得た情報の理解を脳が必死に拒絶していた。

 人だったモノ、馬だったモノ、馬車の荷台だったモノ。形を認識しようとすればするほど、寧ろ目の錯覚だと思い込みたくなるような有り様だった。


 空は良く晴れていて風も穏やかで、だからこそ、この凄惨な場がより際立った。


「酷い……こんなの。冒険で悲惨な状態ってみたことあるけど、こんなの」


 それっきり、ケイは言葉に詰まった。程度の違いはあれどもケイは経験があるが、リリアは初めてだった。けがをして神殿に運び込まれる者は皆無ではなかったが、聖女候補がほとんど立ち入らない入り口付近の部屋で施術が行われたので、大量の血を流す者を見たことは無かった。


 血だまりの中に横たわっている中に、ひときわ小さい体も見つけてしまう。


 だが、綺麗にされた遺体を見ることは多く、顔面を蒼白にした極限状態の中で、リリアは習慣となっている行動を起こそうとした。

 死者への祈り。天空神アイルの御許へ召されるために必要な儀式。震えながら遺体の傍へと近づこうとするリリアを、止めようとする者がいた。


「お祈りをしなくては」

「後にしなさい。どうやら犯人が来たみたいだ。心をしっかり持って」


 サリーに肩を掴まれてそちらを見やると、人とも獣ともつかない生き物がいた。深い森色の毛並みをした、狼のような生き物。二足歩行で人間の様に衣服をまとい、こちらにゆっくりと近づいてくる。


 毛並みの所々に赤いものがべったりと付いているのが、リリア達からも見えるようになった。人面カラスだったものを踏みつぶしながら、数歩先で止まる。


「ああ~ァ、黒い猫ちゃんだ。探してたんだよ。ひょっとしてあんたが勇者?」


 女性の声をしたその魔族は、恍惚とした顔でリリアの足元にいるユウを指さした。ユウは律儀に「にゃっ」と短く答える。


「東の塔からなら絶対にここを通ると思って、ずっと待ってたんだよ。待って待って、待ちくたびれちゃった。せっかく登ってくれたのに、留守にしてごめんねぇ」


 その言葉で目の前にいる魔族が東の塔にいるはずだった者だと、リリア達は理解した。塔に現れなかったのだから仕方がないのだが、倒さなかった結果がこれだった。

 おそらく戦闘を行い、倒し損ねたまま宝玉に祈りを捧げても同じような顛末になったと一同は予測する。


 魔族を倒さなければいけない理由を塔の中で尋ねたケイは、身を持って恐ろしさを実感した。

 魔族は気だるそうに首を動かし、リリアに視線を定める。


「となるとあんたが聖女か。そっちのひょろいメスは魔力なさそうだもんね。そっちは聖女と言うには血に染まりすぎてる感じ?」


 自分で聞いておきながら魔族はうんうんと頷いた。


「初めまして。私の名前はエイダ。一応、今回の四天王をやってるよ」

「魔王が復活するまで、塔以外での魔族の戦闘は禁じられているはずだ」


 フィンレイたちの前で見せるお茶らけた雰囲気の一切消えた、偏屈とも称されるサリーに指摘されてエイダは肩を竦めた。


「だってー、戦闘じゃないよこんなの。一方的な殺戮をあんたは戦闘って言うの?」

「言わないな」

「うん、その通り。だから私は何にも悪くない。きっと、準備が間に合わなくて簡単に東の塔を明け渡した事だって、無かったことになる。ここで、あんた達を倒せばね」


 エイダはユウたちが疑問に思っていたことを聞いてもいないのにべらべらと話した。まるで、誰かに言い訳をするかのように。


「つまり自分の失態を覆すためにここに居たのか」

「そうそう。あんた話分かるね。だって場所が変わっただけでやることは一緒だよ」


 それからしばらく、エイダは話を続けた。馬車には護衛が付いていたけれど弱かっただとか、一人で旅をしていたのは魔術を使っていたけれど簡単に殺せただとか、自分の父親は前の四天王だっただとか。

 自分を強く見せようとする語りは、リリアにとって神官長の説教並みに詰まらなかった。お陰でここへ飛んできた時に持っていた緊張感はすっかりさっぱり消えていく。


 エイダはひとしきり話し終えた後、ぽつんと呟いた。


「……あたし、動物殺すの嫌いなんだよね」

「その割には馬も殺されているようだが?」

「綱を外してやったのにね、逃げないんだよ。せっかく人間から解放されたってのに、自由を謳歌しないなんて可哀想だから殺してあげたの」


 エイダは目を伏せ、悼むような仕草を見せた後にリリアへ赤く染まった瞳を向けた。


「勇者が猫になってるから仕方ない。聖女、あんたから殺すよ」


 そう言った瞬間にエイダの姿がふっと掻き消えた。セオドール達がリリアの周りを囲もうと動き出している。リリアは動きが目で負えないと判断し、呪文を唱える前に取り敢えず自分の後ろをなぐってみた。


「えいっ。あ、手ごたえありました」


 まんまるウサギを一撃で破裂させるリリアの拳が、エイダの頬にあたる。

 よりにも依って聖女に最初の物理攻撃をくわえられたエイダは信じられないとリリアを見た。思わず手を当てた頬は幽かに熱を帯び、口の中は血の味がしている。ペット吐き出すと、奥歯が一本外れていた。


 エイダが呆然としている間にリリアは少し離れた場所へ移動し、ユウを抱えて既に防御の結界を張っていた。三日間の訓練で精度を上げた、移動してもリリアに付いて来る防御結界だ。


「な、なんで」

「速さに自信のある人は、見えなくなったら大体自分の後ろに立ってるものだと神官長が言ってました。皆さん、結界を張ったのでわたくしを気にせず戦ってください!」


 言いながら、リリアは地面へそっと剣を置いた。


 騎士団で共に稽古をしたケイとセオドールが協力して近接攻撃を浴びせかける。ケイの手数の多さとセオドールの一撃の重さを組み合わせ、エイダの皮膚に刃物を何度も食い込ませる事も出来た。

 だが。


「うるさいよ」

「くぁっ」


 エイダは攻撃するケイの腕を力任せに掴んだ。それだけで細い腕にはみしりと骨にひびが入り、苦痛に顔が歪む。

 そのまま空へとケイを放り投げると、軽い体は簡単に死を覚悟させるところまで浮いた。それにつられてセオドールが一瞬の油断を見せ、補うようにフィンレイが火属性魔法をエイダに浴びせる。


「ぎゃんっっ!」


 炎はエイダの顔を焼き、慌ててはたいて消すエイダへセオドールが思い出したように切りかかる。剣の風圧を感じたエイダは慌てて距離を取り、セオドールの剣先は空を切った。


 ユウが剣の為に唱えていた浮遊魔術の対象をケイに切り替え、地面に叩きつけられる前に浮かせる。リリアが防御魔術ごと駆け寄ってケイに治癒を施した。


「大丈夫ですか?」

「うん、何とか。有り難う、ユウも」

「にゃ」


 ケイは掴まれた腕を軽く振って痛みが無いか確認する。


「よし、じゃあ行って来るね」

「あ、待って下さい。今のうちに攻撃力をもう少し上げておきましょう」

「うん、分かった」





「猫ちゃんも魔術使えるんだ。私と同じだね」


 リリア達の様子をちらりと見ながら、対峙するフィンレイとセオドールに話しかけた。お互いに警戒を解かず間合いも取ったままだが、のんびりとした口調は


「今の猫ちゃんって、魔物とどう違うのかな。そう思わない?」


 ユウが実は人間だと聞いていないフィンレイとセオドールは、目を見開いた。


「知らない人から見たら魔物と変わらないよね?」

「獣人が勇者として召喚されている前例もあるからな。確か狼の獣人だったか」

「うん。別段、気にもしなかったけれど。勇者だから」


 この世界に獣人は存在しない。いるのは動物から進化した魔物、更に進化した魔族だけ。三代前の勇者は呼び出されるなりかなり警戒され、獣人と言う種族だと周りから理解を得るのにかなり苦労した。


 エイダは二人の様子に驚愕した。


「おかしいと思わなかったの? だって他の世界の厄介なものが呼び出される可能性だってあるんでしょ?」


 エイダに聞かれてセオドールとフィンレイはユウが召喚された時の光景を思い出す。


『召喚は失敗だ。ワンダを連れて来る』

『どうしてですかっ!勇者様はここに居らっしゃいます』

『どう見てもただの猫―――』

『生きとし生けるもの全てに差別は許されないと、神官長が教えて下さったではありませんか。猫が勇者になれない道理は無いはずですっ』


 リリアの言葉通りなら、魔族に対しても差別はいけないはずなのだ。ここで終えていれば、確かに聖女を誑かす魔族としてユウを疑っていたかもしれない。


『何をしているのですか?リリア』

『勇者様にご挨拶をするのに、上から見下ろしたのでは不敬に当たります』


 挨拶の為だけに床に這いつくばる聖女。清廉なイメージがガラガラと音を立てて崩れて言った。


『今、この世界は魔王復活の脅威にさらされています。どうか魔王を討ちこの世界をお救い下さい。お願いします』


土下座からの前頭部強打。聖女が。二人が夢見たヒロインが。

―――誤魔化しようのないくらいぽんこつだった。


 ユウが猫だったのも、リリアが召喚したのだから仕方がないかと許容出来てしまっていた。


思い出した二人は強敵を前にしているにも拘らず、笑ってしまった。


「リリアが衝撃過ぎたからなぁ」

「右に同じ」

「何、そんなにすごいの? あの聖女」


 情報を伝える人面カラスは自分が殺してしまったにも拘らず、エイダは少しでもリリアの情報を得ようとした。

 聖女の能力はそれぞれ違う。魔族にとって非常に厄介な能力を持つ者も過去に居た。


「ああ、すごいんだ。まだまだ旅を続けたいんだ。だから」

「殺させるわけにはいかないね」


 フィンレイはセオドールの剣に炎を纏わり付かせた。先ほどの魔術攻撃を食らったエイダは、それだけで怖気づく。


「これで、相手が防いでも躱してもダメージを与えられるから」

「助かる」

「何それずるい」

「問答無用!」


 ケイが離れているので、セオドールは自分がけがをするのも厭わず思い切り動き回った。

 フィンレイはフィンレイでエイダの足元に草を纏わり付かせたり、風の刃でエイダを切り裂こうとした。エイダとセオドールが距離を置くと、すかさず天から雷をエイダめがけて落とす。轟音が後から鳴り響いた。


 エイダが寸でで避けると、雷が直撃した地面は黒く焦げていた。


「ちっ、外したか」

「あっぶな~~、あんたかなり怖い子だね。本当に人間?」


 フィンレイは舌打ちし、エイダは非難する。






「お、ちょっとだけ連携っぽいね。多数よりも二人の方が動けている気がするねぇ」


 サリーは腕を組んで仁王立ちしながら弟子たちの戦いを分析していた。手を出す気は微塵も無く、動くのは皆が死にかけている時だけと決めている。

 そのサリーの元に残りの二人と一匹が寄ってきた。


「どうしよう、戦線復帰出来ないよぉ」

「にゃあ」

「なんか二人で盛り上がっちゃったみたいだよ。リリアを殺させるわけには行かないっ! とか何とか」


 サリーはリリアの恥じらいや、恋の予感を期待して事実を報告したが、リリアは頬に手を当てて首を傾げただけだった。


「もう少し危機的な状況だったら分かりますけれど。何ですか、その胸の熱くなるような展開は」

「リリア、まだまだ無傷だもんね。変なの」

「にゃにゃ」


 ユウまで頷いたのでサリーは苦笑してしまった。弟子と騎士を見やると先ほどよりも動きが鈍ってきている。


「でも相手は多分底なしの体力だし、そろそろへばってくる頃だと思うよ。ユウは魔術の準備。ケイは隙を作る為の攻撃の準備、リリアは奴らの体力回復ね。防御結界は大丈夫?」

「はい、掛けなおします」

「素直でよろしい。行っておいで」

「はいっ!」


 元気のいい返事をしながら、ケイだけが真っ先に飛び出して行った。


「あ!ユウ様の剣、地面に置き忘れてました!」

「にゃにゃ」

「あ、そっちですか。はい、すぐに行きます」

「……おいおい、大丈夫かぁ?」


 草むらに隠れて見えにくくなっている勇者の剣の元へ、ユウの先導でリリアが駆け寄る。サリーはその様子を見てかなり不安になった。


 セオドールは防戦一方となり、剣に纏った炎もいつの間にか消えている。

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