第11話 ワンダとノエル1

 ベッドが空いたのは三つの内の一つだけなのに、まるでたくさんの人間が一度に居なくなったような、そんな寂しさをワンダとノエルは感じていた。


「まだリリアが出て行ってから二日しか経っていないのにねぇ」

「振り回されていたのも、なかなか楽しかったんだなと今になって思うわね」


 朝起きて天空神に祈りを捧げ、間に食事や休憩を挟みつつ行われる聖女教育。

 リリアがいた頃と全く変わらない生活のリズムを刻んでいるのに、歯車が一つだけ、足りない。


「元気でやってるかなぁ、リリア」


 ワンダが、いとおしそうにリリアの布団を撫でる。使い主がいないにも関わらず、女性神官が丁寧に手入れをしているので綺麗な物だった。

 リリアに続きワンダが魔王討伐をなしえなかった場合はノエルの次の聖女候補たちがここへと入る。新たな候補が聖女になる場合は何年もかけて育てられたノエル達と違い、前回の討伐隊も参加する、国の守りをかなぐり捨てた決死の攻略が行われる。


「そんなにのんびりしている暇はないわよ。私たちもリリアに託された調査をしなければ」

「そうだね。まずは休憩時間に結界の調査かな」

「召喚の間の管理担当に聞きに行きましょう」


 簡単な予定を立てた後、聖女教育を受ける為の部屋を訪れる。部屋には神官長が立つ教卓と、机と椅子が三つずつ。やはり、リリアの分は未だに片付けられていない。


 聖女教育は大まかに分けると魔術の訓練、座学、体術訓練だ。今日の午前中は座学。

 神官長の指示が出る前に、ノエルが挙手した。


「神官長、一つ質問なのですが、聖女教育をまだ続けるのですか。リリアが召喚できたと言う事は、私たちは聖女たりうる水準に達していると言う事ですよね」


 ノエルは神官長に質問をした。昨日、一昨日と何も思わず教育を受けていたが、ふと疑問が浮かんだのだ。

 問題児がいなくなって以前よりも生き生きと教育をしているように見える神官長は、的確な質問に笑みを浮かべて答えた。


「良い質問です。例えばリリアが道半ばで死んだ時。勇者たちだけでは塔を攻略できません。それは理解していますね」

「ええ」

「はい」


 二人は神妙な面持ちで頷いた。あっては欲しくない万が一。宝玉に向かって聖女が祈りを捧げてそれによって塔が攻略完了となるのだから、窓から入るなどして侵入し、最上階にいる魔族を勇者が倒したとしても魔王は弱体化しないままなのだ。


 その場合は戻ってきて再度勇者召喚を行う。聖女を死なせてしまう失態を犯しても、二人の勇者がそろうのだからより攻略は確実なものとなる。


「また、逆に勇者に何かあった時、次に勇者召喚をするのはリリア以外の聖女候補、つまりあなた達と言うことになります」


 こちらの場合は、ノエル達にとって初耳だった。


「リリアが生きていても、ですか」

「ええ。第一、外に出てしまったら神殿には戻って来られないでしょう? それにリリアが召喚した勇者よりもあなた達は強い勇者を召喚しなければなりません。故に聖女教育は続行されているわけです」


 聖女や神官は神殿と城の一部に行動が制限されている。許可なくそれ以外の場所に出てしまえば、もう二度と神殿には戻れない。


 神殿にいる間は親子の様に接しているのに、神殿から出た途端に縁もゆかりもない人間のように扱う神官長を、ノエルは確かに魔王のようだと思った。

 冷静なノエルとは反対に、火の高位精霊の加護を受けているワンダは激昂した。


「リリアが召喚したのは猫ですよっ! それなのにどうして旅立ちを承諾したのですかっ!」


 怒りの声と共に小さな火花が神官長に向けて飛ぶ。神官長はそれを恐れることなく、腕で払うだけでかき消してしまった。


「あの子がそれを望みました。勇者召喚で何かしら生き物が出現した瞬間に、聖女候補から聖女へと変わります。私はそれを認めず、ワンダを呼ぼうとしました。それがどういう意味か、分かってますね?」


 神官長の無機質な瞳が、リリアでは無くワンダに向けられるのは久しぶりの事だった。


「私が呼ばれてしまったら、リリアはただ神殿を追い出されるだけだった……?」

「ええ、そうです。果たしてどちらが人道的なのか私には分かりません。ただあの子自身が望み、道を選んだ事だけは覚えていてください。では、始めます」


 神官長の一声と共に、今日の座学は始まった。




 ―――休憩時間


「ねぇノエル。神官長をどう思う?」


 結界の綻びについて調べると朝話し合ったばかりなのに、二人はそのような気分になれなかった。芝生と数本の木が植樹されている庭で、長椅子にもたれ掛かって空を眺めている。

 通りかかる神官が時折会釈をしていく。周囲にひと気が無くなったのを確認し、更に声を小さくして話し合う。


「好みかどうか? 性別不明よ?」

「違うって。分かって言ってるでしょ」

「完璧な人間ではないと、そう思ったわ」

「魔王の手先って可能性は?」

「それは―――あ、ちょっと待って」


 先ほどのやり取りから何かを掴めそうなノエルは、手のひらをワンダに向ける。ワンダは直感型だが、ノエルはじっくり思考型だ。答えが出るまで邪魔にならないようにワンダは黙っていた。

 やがて自分とワンダに確認するように、ノエルはゆっくり話し始める。


「一度目の勇者召喚が失敗した場合……いえ、何も出なかった場合は直ぐに次を行うのよね?けれど厄介なものを呼び出してしまった場合は、確か日を改めて行うはず」

「召喚の間を清めなくてはいけないから、だったね」


 実際に意思の疎通ができない不定形の物体を呼び出してしまった聖女が、過去に居た。「勇者様?」と問いかけた聖女に突然襲い掛かり、控えていた騎士と魔術師、神官長によって、取り込まれた聖女ごと退治しなければならない事態になったと、記録されている。


 清めの期間が終わって次の勇者は無事に召喚できたが、塔を三つ攻略した後で魔王が復活してしまい、その時代の討伐はとても苦しい戦いになった。


 神の力を借りて行う召喚なのに、そのような失敗もある。


 召喚の間でリリアが転び、血を流すのを厭うて神官長が神経質になったのはこの事例が原因だ。


「魔王にとってみれば、日付を稼いだ方が方が良いのよ。黒猫はおとぎ話などで、どちらかと言うと不浄の者扱いでしょう?神官長が犯人ならば延期を選ぶ理由にきちんと値するとと思うの」

「つまり、無かったことにして直ぐに勇者召喚を行おうとした神官長は―――」

「「犯人ではないっっ!!」」


 二人の声が重なる。

 神殿内の最恐の人物を敵に回さずに済むと理解した二人は、人目があるにも関わらず抱き合って喜んだ。


「だとしたら、リリアの伝言を神官長に伝えて相談に乗ってもらえれば、かなり心強いと思うんだ」

「それは慎重に。どこで誰が聞いているか分からないもの」


 希望を確認したところで丁度休憩時間が終わり、神官長の待つ部屋へと向かう。すると神官長は誰かと話していた。聖女教育だけが神官長の仕事ではないので、このような事もある。

 二人は部屋の扉をノックしようとした瞬間、女性の声が聞こえた。


「……言えるわけがないだろ!先代魔王の子供だなんて」


 女性の声にしては少し乱暴な言葉遣いに、二人は顔を見合わせた。

 ノエルは咄嗟にノック無しで部屋の扉を開ける。中で話していたのは神官長とサリー・アディントンだった。


 サリー・アディントン―――フィンレイ・アディントンの師匠で前回魔王討伐に参加した魔術師。最強且つ偏屈で、無類の酒好き。

 女性ながら宮廷魔術師の師団長を務めている。


「アディントン様、あの子ってリリアの事ですか?それともフィンレイ様でしょうか」

「ノエル、私ってことも考えられるよ。孤児なんだから」

「二人とも、ノックもせずに入ってきて……。今、聞き耳を立てていたと白状しましたね?なんてはしたない」


 神官長からひんやりと冷気が漂ってくる。けれどノエルとワンダは怯まずに立ち向かった。


「答えて下さい」

「いくらなんでも魔王の血を引くものを聖女に仕立て上げるなんて、こいつに出来るわけがないだろう」


 呻くように答えたのは神官長ではなくサリーだった。


「では、フィンレイ様がそうなのですね」

「ああ、あの子は魔王の血を引いている。だが色々な事情があって私が預かることになった。本人は何も知らないんだ。それ以上は勘弁してくれ」

「でも、魔族は―――」

「ノエル」


 神官長は名前を呼んで首を振った。狂信的なリリアだったらもっと追究しただろうが、貴族の生まれでありながら神殿へ預けられたノエルはそれ以上聞けなかった。

 色々な事情が暴かれるのは本人や周囲の者を傷つける恐れがある。けれどフィンレイが先代魔王の息子であると言う情報を得た今、リリアの言っていた事に裏付けが取れてしまった。

 ノエルは、神官長に話す前にワンダに確認する。


「ワンダ、話しても大丈夫だと思う?」

「精霊は止めようとしていないし、先程答えは出てるよね」


 二人は、前を向いた。この行動が今後どのように転がっていくのか予想できない。けれど隣に一緒に立ち向かえる者がいる。


「神官長、音声遮断の魔術をこの部屋に施しても良いでしょうか」

「あなた達が入ってきた直後に施してます。全く、迂闊でした」


 神官長は軽く頷いた。


「私達、勇者召喚の際の様子をリリアから聞いたんです」


 ノエルたちは二人で補い合うようにしてリリアから聞いた話を神官長へと伝えた。


 召喚された直後の勇者の影は人の形をしていた事。

 白い稲妻に紛れて黒い稲妻が走った後に霧が晴れたら黒猫の姿になっていた事。

 勇者の間に居た三人、即ちセオドール・フィンレイ・神官長がそれを行った可能性、或いは結界が無効化していた可能性、その術を使った魔族が結界を凌ぐ程とんでもなく強い可能性をリリアが考えていたと報告した。


 神官長をリリアが疑っていると話したところ、神官長の顔が鬼の形相になったのでワンダの精霊が少しだけ揺らいだ。


「では、何者かが勇者をあのような姿に変えたと―――?」

「フィンレイ様本人だとは言いません。けれどフィンレイ様が結界の内側にいたと言うことは―――」

「結界が機能していなかった可能性もある、か。分かりました、こちらでも調べておきましょう」


 神官長がリリアの言う事と邪険にせずに信じたので、ワンダ達はほっとして顔を見合わせた。


「こいつに話すのは途轍も無く勇気が要っただろう?よくがんばったなぁ。えらいえらい」


 サリーが二人の頭に手を当てて撫でた。神官長からそのような褒め方をされた経験のない二人は、とても驚く。けれど緊張がうまい具合にほぐれて、くすぐったい気持ちになった。


「あ、それと一つ質問です。神官長は気付かなかったのですか。勇者が人型で召喚されたことに」


 今度はワンダが、実はリリアに話を聞いた時から思っていた疑問を口にした。リリアでなくても神官長を疑う理由の一つになってしまったから、どうしても明確にしておきたかった。

 予想してなかった質問に珍しく神官長の焦りを感じ、ワンダとノエルの猜疑心がむくっと復活してきた。


「いえ、実は……」

「なんだいなんだい、私も気になるねぇ」


 サリーが面白そうに茶化す。その様子に若干顔をしかめながら、神官長はコホンと一つ咳をした。


「恥ずかしながら実は、勇者よりもリリアを見てました。私の…ではなくあの子の努力が報われると思うと感慨深いものがありまして。だって、あのリリアが勇者召喚に成功したんですよ」

「何だ、恋ごころじゃなくて親心ってヤツか。でも、分かるよその気持ち」


 神官長の肩に手を掛けたサリーがうんうんと頷いてる。身内に対してほんのりスキンシップが多いのはサリーの標準装備だ。実はそれが微妙にフィンレイの気に障っていたことを、サリーは知らない。


「馬鹿な子ほど可愛いって言うもんねぇ」

「うちのリリアは馬鹿ではありませんよ。ただちょっとぶきっちょさん……不器用なだけで」


 神官長は国王の前で馬鹿聖女呼ばわりしたことをすっかり忘れて、サリーに噛みついた。他人に悪く言われるのは我慢ならず、自分が言うのは許せる。いつも嗜めてばかりの神官長のそんな姿を見て、ノエル達は呆気にとられた。


「はいはい、それじゃ、お暇するよー。お邪魔したね。二人ともあの件は黙っておいてね」

「あ、はい。天空神に誓って他言しません」

「私も誓います」

「あははは。そんなものに誓われちゃあ信じるしかないねぇ、じゃ、頼んだよ」


 サリーは適当な返事をしながら部屋を出て行った。


 見送ったノエル達は、休憩時間を終えてしばらく経っているにも関わらず、サリーのいた空気を引きずっている。


「まるで嵐のような人ですね」

「悪い人ではないんですよ。偏屈なんて言われてますが、懐に入れた者はとことん面倒を見るタチで……あなた達もたった今、懐に入れられたようですよ」

「え、そうなのですか」


 フィンレイの出自を知ってサリーを非難しなかった。ただ、それだけ。


「でも、リリアは難しいかもしれませんね」


 狂信的な程に天空神を崇めるリリアは、果たして旅の連れが先代魔王の息子と知ったらどうなるのか、神官長にも予測がつかなかった。


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