第10話 東の塔のボス……だったはずの魔族

 窓の外には城全体を覆い尽くすように暗雲が立ち込め、時折稲光が白い蛇の様に走っている。ねっとりと纏わりつくように空気が重いのは、魔王復活が近いことを示していた。


 ―――魔王城、東の塔最上階。

 深い森を示す暗緑色の毛並みを持つ狼系の魔族が、気だるげに巨大なソファにもたれ掛かっていた。何度も何度も深いため息をついては腰を上げ懸けて、またもたれ掛かるの繰り返し。衣服をまとってはいるがデザインは簡素なもので、収縮しやすい生地を使った動きやすさを重視したものだ。


 四天王が一人、エイダ。


 本来なら魔族は実力主義であるため塔の中で一番強い物が選ばれるのだが、魔王城の東の塔の中で生まれ育ち、親が前の四天王だったと言うだけで選ばれた急場しのぎの四天王である。


「はぁぁ、次の勇者召喚までに人間界の東の塔へ行って準備しなくちゃあ」


 ここ、魔王城の東の塔はライトナムにある東の塔と表裏一体の存在である。こちらからあちらへは誰もが一瞬にして移動できるが、あちらからこちらへは移動できない。つまり一度行ってしまえば勇者を倒しても別ルートでしか戻って来れないので、なかなか踏ん切りがつかずにいた。


 最初の勇者は魔王直属の手の者によって猫にされたと情報が入った。塔担当であるエイダとは別の組織なので、どのようにしてそれが行われたのかは知らない。

 今回は余程優秀な神官長なのか、魔王復活の兆候から勇者召喚までの間隔が早かった。故に魔王直属の者達が温情を四天王たちにかける為の策である。言ってみれば時間稼ぎだ。


 その間に魔物たちの収集や移動、強化などに努めろと言うことだろうが、エイダは気分が乗らなかった。


「全く面倒だよねぇ、モンスターの配置とかさ。森の中にあるからって植物系と獣系とスライムの比率をーって、言うけどさ。実際にやってみると大変なのよこれ」

「そ、そうですか。大変ですね」


 秘書をしている気弱な羊系の魔族が汗を掻き掻きエイダを宥めている。


「そうなのよ。種族が偏るとやれ差別だのハラスメントだの、ぶーぶー文句垂れる奴らばかりで。下手すると共食いする奴らもいるから、その辺も考えなくちゃいけないの」

「お気持ちお察しします」


 塔の内部に配置するモンスターは、ライトナムにいる魔物をかき集めるのではなく魔王城周辺から連れて行かなくてはならない。魔王の名のもとにエイダが招集を掛けても申し出てくれる魔物などほとんどおらず―――それほどエイダが強くないから当然なのだが―――


「あ~メンドくさ。モンスターなんて一種類でいいじゃん。やる気が出るようにお宝も用意ってなんなの?勇者ってかまってちゃん?あっ!大量に余ってる魚味の携帯食料でいいか」


 人間の街でこっそり大量に買い、食料兼お土産として仲間に配ったが何故かほとんどが返却されたいわくつきの品だ。エイダの分をついうっかり買い忘れたのでその返却された物を食べてみると、クッキーなのにほのかな磯の香―――と言うよりは生臭さ。乾燥しているはずなのに火で炙ってもどうにもならない湿気が含まれた不快な食感。味が付いているのか付いていないのか分からない程度の微妙な塩気と三拍子そろったまずさがエイダの味覚を直撃した。


「あれを作った人間ってどんな味覚をしてるんだろうね。あんたは勿論食べたよね?」

「はい、家族で分けました」

「ん、えらいえらい。上司からもらったものを捨てるなんてあんたには出来ないよね」


 エイダの脅しをさらりとかわし、羊は嘘を言った。魚好きの水棲系の仲間たちでさえよけて通る代物である。


「サービスで宝箱にぎっちり詰め込んであげよう。よっ、エイダちゃん、太っ腹!」


 只の在庫整理であるその方法をとてもいい良案が閃いたと喜んでいるエイダに、秘書は憐れみの目を向ける。


「んー乗ってきた!やる気でてきた!さぁ、いっぱいスカウトしてきちゃうよー」

「くれぐれも誘拐だけはお止めください。弱い仲魔しか集められませんから」

「もーう、わかってるよーう」


 やっとソファーから立ち上がってぐぐーっと伸びをするエイダ。伸びきったところでふと動きを止める。


「ん?あれ、なんか……空気変わった?」


 敏感な鼻先に感じる空気が湿った物から乾いた物になり、皮膚や毛並みに感じる感覚も随分と軽くなった。


「あんたは変な感じしない?」

「え、とそう言えばほんの少しだけ何だか明るいような」


 秘書の言葉に慌てて窓の外を見やると、魔王の復活を告げる暗雲が東の塔の部分だけきれいさっぱり晴れてしまっている。重苦しい雰囲気も吹っ飛んで頭痛や肩こりも消えてしまった。


 空には星や月が見えていた。


「綺麗な星空ねー。思わず遠吠えしたくなるくらいとてもロマンチック」

「明日はきっと洗濯日和ですね」

「ああ、それはいいかも。お日様に当てたふっかふかのお布団は嬉しいよねー」


 しばらくして、ライトナムの東の塔を偵察していた人面カラスが、ばっさばさと羽音を立てて窓枠に止まった。


「た、大変ですエイダ様っっ!勇者一行が東の塔を制覇しました!」


 その報告にエイダは大きな口をポカンと開けて驚愕の表情を浮かべた。


「え、マジ?だって勇者猫になってんのに。国王と神官長は何やってんだ」

「それが、普通に旅だって普通に塔に入り、普通に最上階まで登ってました」


 エイダは頭を抱えながら部屋の中をうろうろする。


「どうしようどうしようどうしよう………戦わずして塔を明け渡した史上初の四天王になっちゃったんじゃない?あたし」

「そうですね。今までに例が無かったわけではないですが―――」


 秘書が冷静に対応する。


「東の塔規則第十一条によりますと、人間に対して戦闘放棄した者は魔物或いは魔族として見られず、一切の生命活動を停止させるべしと有りますね。状況に応じて魔王様が最終的に判断を下されるそうですが、おそらくは」


 と羊秘書は意地悪くそこで言葉を止め、首を掻き切る仕草をした。本来なら上司であるエイダにそんな仕草をしたら恫喝ものだが、動揺しているエイダは気付かなかった。


「ま、魔王様に殺される。目覚める前に何とかしなくちゃ。勇者一行が次の塔に行くまでに何とかしておけば問題ないよね?」

「ええ、全滅させれば無かったことにはなりますね。そうでなくても勇者と聖女のどちらかを殺せば更に時間稼ぎができたと、寧ろ直属の方々に喜ばれることでしょう」

「そうだ、そうだよ!たとえ場所が変わってもやること変わんないんだから。地図出して」


 秘書はライトナムの大まかな地図を棚から取り出して机のソファの前に有るテーブルに広げた。エイダはさっと目を通すとまず東の塔を見つけて、右手の指で示す。次に左手で南の塔を指し、両方を結ぶ街道を発見した。


「ええと東の塔から南の塔へ移動するんだから、ここのドンディナ街道で待ち伏せしておけば完璧よね」

「流石です」


 秘書はぱちぱちぱちと投げ槍気味に拍手した。それでもふふんとドヤ顔になるエイダ。


「お一人で行かれるのですか?」

「うーん。私の失敗だから皆に迷惑かけられないしね」


 そもそも声を掛けても誰もついて来てくれないしとぼそぼそと付け足す。弱いくせにそんな所ばかり律儀で、だからこそエイダは弱いままだ。弱肉強食の魔族の中で、強い者が律儀であるのは賞賛されても、弱い者が律儀であるのは馬鹿にされるだけ。大口ばかり叩く、と羊の秘書はエイダを馬鹿にした。


「留守の間を頼むね」

「はい」

「私に何かあったら今度こそ強い者が選ばれるようにして」

「はい」

「間違っても私みたいな弱いの選んじゃダメだよ」

「はい」

「反論しないの? あんたも私が弱いと思っているんだね」

「は……い、いえ。わたシ……ぁ」


 エイダの声に怒気がこもり初めて自分が失言したと理解した秘書は、弁解をする間もなく声を失った。


「まぁ、少なくともあんたよりは強かったわけだけど」


 眼にもとまらぬ速さで家畜の血抜きをするかのように喉元を綺麗に切り裂かれて、ただただ流れていくだけの赤い液体を見つめている秘書。やがてその瞳からも光が失われて行った。


 秘書が絶命するまでの間、微笑みかけながらエイダは話す。


「羊が狼を馬鹿にするなんて自殺行為だよ。弱いんならせめて賢くなきゃ。ねぇ?」


 窓枠に止まったままの人面カラスに話しかける。


「ええ、その通りです。私だって焼き鳥になりたくありませんから」

「あははは、あんたマズそう!誰も食べないよ」


 エイダは部屋の扉を開け、「ごめーん散らかしちゃったから誰かお掃除しに来てー」と叫ぶと、掃除係の鹿系魔族と事務的な仕事に就いている人の形をした木の種族、樹人がやって来た。樹人は棒切れの様な指でメガネを押し上げて部屋の中の惨事に驚きを露わにする。


「おや、珍しいですね。あなたが暴れるなんて」

「暴れるって程じゃないよ。見ての通り秘書がいなくなったから適当なの見繕っといて」

「了解いたしました」

「それと、この後ちょっと出かけて来るから」

「どちらへ?」

「ライトナム」


 エイダが一言放っただけで樹人は全てを悟った。節穴の目をわずかに伏せながら了承する。


「……かしこまりました。御武運を」

「ありがと。次は私みたいに弱いの選んじゃダメだよ」

「時間さえあればあなたは先代を凌ぐはずでした。そのように卑下してはなりません」


 見た目よりも長く生きている樹人は、エイダの欲しがるであろう言葉を的確に言った。エイダはきょとんとした後、満面の笑みを浮かべる。


「あんた、頭いいね。見届け魔物としてこの人面カラス連れて行くから、連絡待っててね」


 魔王城の東の塔の最上階から、ライトナムの東の塔の最上階へと転移する。これで簡単には戻れない。誰もいない塔の外側を、蔓を伝いながら降りる。道すがら人面カラスと話をしながら、西南方向へと続くドンディナ街道を探した。


「街道って言うからには人間が作った道だよね。人間が作った道ってことは人間がたくさん通るってことなんだよね」

「他には人間に使役されている馬なんかも通りますね」

「その中で猫を連れているのだけ襲えばいいのかぁ。って、どんな種類の猫か聞いてる?」

「確か黒い猫だと聞いてます」


 エイダは狼や親せきの犬ではなくてほっとする。魔物は動物が魔力を持って変化した物だ。更に進化して人型になったのが魔族になる。

 未来の仲間になるかもしれない生き物を殺してしまうのは忍びない。


 人間は人間にしかなれないから、味方にはならないから魔族であるエイダにとっては殺しても問題ない生き物である。


 人間は必死でこの大陸を守っているけれど、動物たちはもっと広い場所を望む。地平まで続く大地。どこまでも吹く風。大陸が落ちた時に死ぬなんて弱い生き物だけだ。人間は弱いから、だから空に浮かせたままにしようとしているのだ、と。


 そんな考えがエイダの様な考えを持つ者が魔族には多い。弱い人間の思い通りになっていることが許せなかった。


「今回の勇者は一筋縄ではいかないと言うことですかね」

「いいや、これは魔王さまが、私たち四天王がなめられてるってことよ。早く攻略すれば簡単に落とせるだろうってね。弱く見られるのって大っ嫌い」


 ドンディナ街道に付いた後、エイダは茂みの中に身をひそめていた。通り過ぎるいくつもの商隊に目を凝らしていると、どうにも出来ない人間への嫌悪感が募っていく。

 弱いくせに堂々と闊歩している姿、弱いくせに動物を使役している姿、弱いくせに笑っている姿。それは元々は自分の弱さからくる感情なのだが、エイダは気付かない。


 やがて、人面カラスが止めるのも聞かず、街道を通る人間を無差別に攻撃し始めた。


「お止めください!まだ魔王様が目覚めていないのにこのような事をされては―――」

「うっさい、どうせ早いか遅いかの問題なんだから、黙って見てなさいよ」


 すっかり勇者の事など頭から離れてしまったエイダは、血の匂いに酔い始めていた。 

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