第9話 東の塔 最上階
「声が戻ったと言うことは、元々話せる猫だったのか?」
「いや、俺は猫じゃなくて―――」
リリアが人差し指でバッテンを作ってふるふると頭を振って勇者に見せた。ケイはともかくセオドールとフィンレイを信じたいとは思っていても、確証が持てない。
人だったと明かしたら、何故姿が変わったのかと究明する事になる。召喚したリリアにも二人は追及するだろう。魔王の手先だった場合でも、きっと知らないふりをしながら。
勇者がこの世界に現れた時の様子を聞かれたら、リリアは話さずにいられない。互いに疑心暗鬼になり仲間はバラバラになる。
そうして孤立した勇者と、絶対に勇者の傍を離れないリリアに襲い掛かるのだ。
『お前らの力を削ぐために決まってるだろう?』
『魔王様ばかり弱体化させられるなんてフェアじゃないよね』
リリアの脳裏には魔族と化したセオドールとフィンレイが浮かんでいた。顔色を変色させて角やら羽やら尻尾が生え、凶悪な笑みを浮かべる二人が。
もちろん二人が敵でない可能性だってあるのだが、自分が抜けていると知っているリリアは油断するべきではないと判断した。
リリアの必死の思いは勇者にも伝わり、フィンレイの「猫じゃないならなんなのさ」との問いにハッとし、思わずこう答えていた。
「……犬。そう、犬だ!この世界にもいるか?犬」
人間と答えてはまずいらしいと判断した勇者は、猫の次に連想する身近な生き物を安直に答えた。誤魔化しきれるのかとひやひやしながら、セオドール達の反応を待つ。
幸いにして、不信感と疑問符でいっぱいの二人は少しずれた答えを出した。
「もしかして、犬と猫の概念が逆のところから来たのか?」
「にゃーとか鳴いてたくせに犬って言われても」
どうやら盛大な勘違いをしてくれたようなので勇者は逸れに乗っかる。異世界から来た事を逆手に取り、とぼけてみせた。
「えっ、この世界の犬ってにゃあって鳴かねぇのか」
「わんわんでしょ。そして君は猫。あたしはかわいいならどっちでもオッケー」
ケイはそう言って勇者の頭を撫で繰り回した。
リリアはほっと胸をなでおろす。勇者様、と呼びかけようとして一番大事なものを知らなくてはならない事に気付いた。
「勇者様。お名前をお教え願えますか?」
「俺の名前はユウ。漢字は―――って文字は別にいいか。皆、改めてよろしくな」
「勇者様のしゃがぬけてユウ様になるのですね。覚えやすくてとても良いです」
リリアが長い名前や発音の難しい名前でなくて良かったと安堵していると、フィンレイが水を差す。
「その言い方だと成りそこないの勇者みたいだね。猫勇者にぴったりだ」
と、肩を竦めて言った。リリアの言葉をいさめたつもりのフィンレイだったが、皆はそう受け取らない。小さくて弱い勇者に対してのこれ以上ない皮肉に聞こえてしまった。
「ち、違うんですユウ様、わたくしは全くそんなつもりでは」
「フィンレイ、それは言い過ぎだ。綺麗な響きでいいと思うぞ」
「そうだよ、ユウって可愛い名前じゃんか」
セオドール達は口々にユウの名前を褒めて場を収めようとするが、ユウの発した次の一言でひっくり返された。
「異世界から人を呼ばなきゃ魔王を倒せないヤツらが何を言ってんだか」
フィンレイの言い草にカチンと来た勇者は、この世界に生きるもの全てを見下していると取られかねないセリフを言った。セオドールも、ケイも、フィンレイも、激昂することは無かったがいら立ちを持ち始めた。
「成りそこない?人を誘拐しておいた挙句に言う事がそれか。別に俺に魔王を倒してやる義理は無いぞ」
「ああそう、じゃ辞めれば。聖女と勇者が入れ替わるだけで僕らのやることはどうせ変わらない」
「止めろフィンレイ。……勇者も。皆この世界の決まりごとに従っているだけなんだ」
「人の名前を貶すのが決まり事なのか」
「そんな事は言ってないだろ」
セオドールが何とかなだめようと間に入るが、二人とも口が達者なのでうまく止められていない。
ケイも「やめようよー」と泣きそうになりながらおろおろしている。
召喚を誘拐と言われてしまったリリアは青ざめながらユウの前に出る。一連の会話の流れも発端はリリアであり、勇者を召喚したのもリリアだ。この場を収めなくてはならないと責任を感じていた。
悩んで、悩んで。口を開く。
「ユウ様。この宙に浮いている大陸がなんて呼ばれているか、まだ話していませんでしたね」
「ああ?そう言えばそうだな。でも今それは関係な―――」
「神々の箱庭、です。異世界から召喚された勇者は神の力の片鱗を得ます。それは、神々から魔王討伐の許可を得る事にも等しいのです」
一つずつ丁寧に説明をしていく。静かに。はっきりと。
リリア達とユウの間には見えない壁がある。この世界を知ってもらわなければユウはその壁にも気づかない。気づかなければ四方を囲まれて身動きが取れなくなる。
一番近くにいるリリアが壁を教えなければならない。リリアが蹴飛ばして音を出すなり塗料をかけたりして気付かせなければならない。
「魔王が何を為そうとしているかは先ほどお話し致しました。それに加えて私たちだけで魔王を倒すのは、神に逆らうことになるんです。その後、箱庭がどうなるかご想像できますね?」
一連の決まり事は、神殿で大切に保管されているこの世界の大綱を記した古文書に掲載されている。聖女や勇者の力を借りずに魔王討伐を成し遂げた者は未だいないが、結果は魔王に滅ぼされるのと同じ道をたどると考えられている。
リリアが狂信的に天空神を崇める理由は、そこにある。魔王と違うのは、決まりごとに沿って生きれば、大切な人たちの命が一瞬にして奪われることは無い。恐れるあまりに信仰する。
召喚した時と同じく勇者の前に両膝を揃えてつき、丁寧に両手をつきながら頭を下げた。
「突然お呼び立てして申し訳ありませんでした。どうか、この世界をお救い下さい」
違うのは震える声。あれだけ焦がれていた勇者が、簡単に自分たちを見捨ててしまえる存在であると知ってしまった。そんな考えを心の片隅にでも持てる人間だと知ってしまった。
けれど、そばを離れるわけにはいかない。
「お願いします」
召喚した時と同じように。けれど今度はぶつけずに額を床にこすり付けた。
必死なリリアにユウもばつが悪くなり、言い出したフィンレイと仲直りをすることにした。
「わーったよ、リリア、顔を上げてくれ。フィンレイ、やっと喋れたからついついストレスぶつけちまって悪かった。それから野菜味の食料、ありがとな。弱っちぃ姿ですまん。頼りなくとも頑張るから、協力してくれ」
「……悪かったよ。にゃーにゃー鳴いてた方が可愛かったとか思って」
フィンレイも不承不承ではあるがぼそりと答え、ユウは口元をわずかにひきつらせた。謝罪は謝罪だと気を取り直し、次にゆっくりと顔を上げたリリアに優しい声を掛ける。
「年頃の娘がそんな簡単に土下座なんかするもんじゃない。どうせなら出来るだけ楽しい旅にしよう」
「ユウ様……」
「ほら、立って立って。取り敢えずこの塔は攻略終わりって事で良いんだな?下に降りるのか?」
明るい声だが、少し照れが混じっている。ユウはちょっとした揶揄に乗ってしまった自分を恥じていた。
ユウが投げかけた話題に、セオドールがうんざりした顔をする。
「またあの仕掛けたっぷりのところを抜けて行かなくてはならないのか」
「何言ってんの、そんなの窓から降りるに決まってんじゃん」
「え?」
フィンレイは呼びかけも無しにいきなり四人と一匹を魔術で宙に浮かせると、ふよふよと何とも不安定ながら窓の外へと地面と平行に移動させる。全員が塔の外へ出たところで、そこから一気に地面に向かって垂直落下させた。
「きゃあああああああーーーーっ」
「うぉわわわわ」
「やだーーーっ」
「にゃあーーっじゃなかった、ギャーーっ」
地面に激突する寸前で、上方向に引っ張られるような感覚がして停止したのち、ゆっくりと降ろされた。三人と一匹が恐怖で地面にへばり付いている中、フィンレイだけが涼しい顔をして立っている。
息も絶え絶えのセオドールが、体勢を立て直そうと四つん這いになりながらフィンレイに聞く。
「もう少し穏便に降りられなかったのか」
「重力をうまく使っただけだよ。途中で魔力切れ起こして全員墜落するよりましだろ」
「せめて事前に言ってくれ。足がガクガクする」
ユウはふらふらしながらも何とか立って女性陣を気遣った。
「フィンレイのヤツやっぱり性格わりぃ。ケイ、リリア、大丈夫か」
「怖かったけど、なんとか」
「こ、腰が抜け―――っユウ様、今初めてわたくしの名前を呼びましたかっ!?」
感極まった顔でリリアががばっと飛び起きた姿を見て、ユウは確信した。
「……大丈夫そうだな、これ以上ないってくらいに」
「も、もう一度呼んでください」
「さっきの喧嘩の後でなんでそんなに盛り上がれるんだよ。これからどうするんだ、セオドール」
「あ、ずるいです、セオドール。いつの間にそんなに仲良くなったんですか」
「……勘弁してくれ、俺を巻き込むな」
外はすっかり暗くなっており、森を歩くのは危険だと判断する。昼間と違い夜行性のモンスターも多く徘徊するので、塔を攻略した後で疲労しているのでけがを負う可能性を増す。敵がいないのだからもう一度塔の中に入り一泊するかと相談していた時、リリアが転移魔術を扱えると言い出した。
「えっと、転移の魔術は一人ずつです。転移先として選べるのは行った事のある場所で、ロージアンであればおそらく宿屋付近に着地するかと思いますけど……ケイはどうしますか」
「ロージアンに家があるんだ。流石にお客さんを呼ぶスペースは無いから皆を泊めるのは無理だけど」
「なら、同じ場所に転移で何も問題は無いな。リリア、頼む」
セオドールに言われてリリアは頷いた。
ケイ、フィンレイ、勇者、セオドール、リリアの順番で一人ずつ転移させていく。途中で神殿から持ち出した魔力回復薬を飲みつつ、いつになく集中してリリアは魔術を施行させていった。
「あら」
「ん、同時だね。おめでとう」
セオドールを転移させる際、リリアは自分も一緒に転移させていた。フィンレイが掛けた言葉に首を傾げる。
「でも私、自分を転移させる分の呪文を唱えていません」
「魔術の精度は同じ術を連続して使う時に上がりやすいんだ。無意識に次の術を同時に発動することで、前に使ったものよりも強い術の威力や、魔力の消費量を体で覚える。もちろん、弱い方もね。それがすなわち精度が上がるって事」
「そうだったんですか。神官長に同じ術を使い続けるように言われましたけれど、いつもわたくし途中で飽きてしまって」
リリアが精度の低い魔術しか使えない原因をフィンレイは発見した。単なる自業自得だったのかと思うと同時に、きちんと説明したであろう神官長の苦労を偲ぶ。
足元で聞いていたユウが声を上げた。
「精度って…レベルとかランクとかじゃないのか。体力や魔力は数値化されていないのか?どうやって自分の限界を知るんだ」
「ユウ様の世界ではそのようになっているのですか。便利ですね」
「いや、違う……けど……ステータス画面とか……見られないのか……そうか……」
ユウの言葉が自信なさそうに萎んで、最後にはがっくりと肩―――は、なで肩で落とせないので尻尾をたしっと落とした。リリア達は慰めようにもユウが何に落ち込んでいるのか分からない。
「難しい話は宿に入ってからにしたら?じゃ、あたしはここで。明日宿屋まで迎えに来るからね、ばいばーい」
ケイは大きく手を振った後、たたたと走って雑踏の中に消えていった。
「元気だなぁ」
「迎えに来るって、これからずっと付いて来るつもりなのか」
「親御さんに挨拶した方が良くねぇか?見たところまだ子供だろ」
ユウの言葉にリリアははっとする。リリアには出来ない気遣いが出来るユウにも家族がいて、ユウの帰りを待っているのかもしれない。
だとしたらやっぱり、召喚と言う形の誘拐をしてしまったのかもしれない。
話せるようになったユウから、元の世界に戻れるのかと聞かれなかったリリアは少しだけほっとし、そして罪悪感を募らせた。
召喚時も全く説明をしていない事実。
元の世界に戻りたくなくなるくらいに、ユウがこの世界で出来る限り快適に暮らせるよう、尽力するとリリアは誓う。
「どっちにしろ明日だな」
「さっさと宿に入ろう。リリア、今日は支払できるだろ」
「はい、銅貨十四枚ですね。おそらく大丈夫かと思われます」
「その言い方。なーんか心配なんだよなぁ」
リリア達は猫好きのおかみさんのいる宿屋に戻った。
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