第8話 東の塔 三階
三階部分を歩き始めると、二階と同じように迷路にはなっていたがそれよりは幅の広い通路が続く。ケイが言った通り、厄介なのは迷路よりも所々に仕掛けられた罠だった。
「いい?何か気になる物があっても絶対に触らないでよ。あたしなら避けられるけれど結構えぐいのもあるからね」
歩き始める前にケイが注意事項を伝えると、三人と一匹は神妙に頷いた。ケイの案内で皆が歩きはじめると、石壁にわざとらしいくらいの赤いポッチがリリアの目に留まる。
「あら、明かりのスイッチがありますね」
神殿で使っていた照明を灯すボタンによく似たそれを、リリアが何のためらいも無く押す。先頭を歩いていたケイの目の前を、右から左へ向かって矢がひゅっと通過した。
「わ……っとと誰かなんか触った?」
「あ、はい。わたくしです。おかしいですね、明かりが付きません」
「もう!罠があるから気を付けてって言ったでしょ」
ケイに窘められるとリリアは驚いて目を見開いた。光の球はリリアの頭上を移動してきているが、もしかしてケイたちには見辛いかもしれないと思い親切心から明かりをつけようと思っただけである。
「今のが罠ですか。神殿にあるのと同じ明かりのスイッチかと思いました」
「主に聖女を引っ掛ける罠だね。でも、被害は先頭を歩く別の誰か、と。聖女に罪悪感を植え付けられるよね」
フィンレイが冷静に指摘するとリリアも流石に項垂れ、ケイに深々と頭を下げた。
「すみませんでした……私の失態です」
「いいよいいよ。でも気を付けるべき場所は声かけるけれど、ボタン押さないでーってそこまで言うのが面倒なんだ。全部の罠で言った方が良い?」
「いいえ、絶対に今度は触りません」
リリアはぐっと両手で拳を作り、気合を入れると言うよりは何かを触ってしまうのを防いだ。思えば、神官長にも余計な事はするなとよく言われた。自分にはそんなつもりは無いのだが、周囲には余計な事と映るらしい。
ケイ、フィンレイ、勇者、リリア、セオドールの順で歩く。二階と違い、集中力が必要になるのでただ黙々と進んだ。
自然と皆、目の前にいる物を凝視することになる。リリアは勇者のゆらゆらとよく揺れる尻尾をほんのり笑みを浮かべながら眺めていたが、背中の黒い毛並みの中に白い塊を見つけてしまった。
「あら、勇者様。背中に埃が付いてます」
「にゃ?」
「少々お待ちくださいませ」
リリアが埃を取ろうとしゃがんだ拍子に、背負った剣の柄が壁から突き出ていた石のレバーを引っ掛けた。
「ぉうわっ」
リリアの動向を気にかけていたセオドールの足元に床からでっぱりが急に出現し、躓いて顔面をしたたかに打ち付けた。ゆっくりと頭を振りながら起き上がると、諸悪の根源であるリリアがきょとんとセオドールを見ている。
「どうしました、セオドール」
「リリア」
恨みがましく見る表情をする時、人は怒っているのだとリリアは神官長で学んだ。そしてそんな顔を向けられるのは自分に非があるのだと。
「はい?わたくしまた何かしましたでしょうか……はっ、まさかっ、勇者様の背中に付いていた埃も罠なのですかっ!」
「違う、背中の剣が壁の仕掛けを動かしたんだ」
リリアは首を横に回して自分背負っている剣を見やる。そしてもう一度セオドールの顔を見た。ただし、今度は眉間にしわをくっきりと寄せて。
「まだ狙っているのですか」
「違う、君がしゃがんだ拍子にこのレバーにその剣が引かかったんだ!」
リリアが背中に背負っているのは勇者の剣なので、勝手に動く事くらいあるかもしれないと思っていた。その剣がわざとレバーを引いたのなら。
―――魔王の手先はセオドール?
先ほど勇者の尻尾を踏んづけていたし、この塔に入ってから全く役に立っていないセオドールをリリアは訝しく思っていた。ただ、この罠だらけの場所で魔族と戦闘を起こすのはかなり大変であると理解している。そこでリリアは取り敢えず謝ることにした。疑いを悟られないように、出来るだけ無心になる。
「すみませんでした」
「棒読み!無表情!本当に反省しているのか?」
「にゃー」
「ああ、勇者は悪くない。そうだな先を急ごう」
リリアは後ろにいるセオドールに剣を取られないよう、体の前に剣を身に着けた。だがあまりの歩きにくさに、もう一度後ろに付け直す。自分が切られても勇者が無事ならそれでいいと、リリアは密かに心を決めた。
三階のとある一画まで進むと、小さな光が床に壁にと縦横無尽に動き回ってる。リリア達はそれを気にも留めなかったが、勇者は目で追いながら歩いている。光は勇者をあざけるように勇者の近くをうろちょろするようになった。
勇者は我慢できずに伏せをした状態からお尻だけを上げ、左右にフリフリする。
動きのおかしい勇者にリリアは聞いた。
「勇者様、どうかしましたか?」
「うーーーにゃっ!」
丁度自分の足元に来たところでたしっと前足を打ち付けて光を捕まえようとした。いや、意図的にと言うよりは本能によるもので、体が勝手に動いてしまったと言えよう。
ただの床の感触しかなく、勇者が前足の裏を確認しようと上げた瞬間―――
ガコンと音がしてフィンレイの足元の床が突然消えた。
「フィンレイ!」
慌てて皆で駆け寄り穴を覗き込むがフィンレイは下の階へと着地せず、魔術でふよふよと浮いてリリア達の元へ戻ってきた。
その顔には、怒りが浮かんでいる。
「リ~リ~ア~?」
「違います私じゃありません神官長っっ!じゃなかった、フィンレイ」
「君じゃなかったら誰が作動させたって言うんだよ」
「……にゃ~」
申し訳なさそうに前足を上げた勇者が名乗り出て、うるうるとした目でフィンレイを見上げる。フィンレイは叱ろうと思って口を開いたり閉じたりするが、喉まで出かかっている言葉が出て来ない。堪らず、長いため息を吐きだして何とか心を落ちつけようとするフィンレイ。
その仕草に許しを得られないと思った勇者は、首をもたげ、やがてほとほとと涙をこぼし始めた。スンスンと鼻を鳴らし、辺りにどうにも居た堪れない空気が流れる。
リリアはどうにも同調してしまい、涙交じりに名前を呼んだ。
「フィンレイ……」
「僕まだ何も言ってない。勇者は一度目だしわざとじゃないなら仕方ないよ」
「にゃあ」
「良かったですね、勇者様」
リリアは自分の事の様に喜んだ。一行が足を止めてしまったので、丁度良いとケイが落とし穴の恐ろしさを語る。
「下の階に落ちたら厄介だよ。迷路をもう一度抜けなくちゃならないから。……一人で」
「その前に僕が浮遊させればいい。床が閉じるには時間があるみたいだし。ロープを伝って上がるより早いと思う」
フィンレイは先ほど自分が落ちたはずの場所を見た。下方向に向かって開いていた床は、今になってゆっくりと閉じていく。
「なんにせよ、敵がいないのは幸いだな。いたらおそらく危険度が段違いだろう」
「そうだね。あ、ここから色が違う床を踏むとやばいから気を付けて」
四階も似たような構造が続いた。三階と違うのはギロチンやナイフなどの刃物や、一階まで堕ちてしまう落とし穴など、危険度や面倒臭さが格段に上がった物ばかり。
偶に不注意でリリアが引っかかってしまったが、誰もけがをせずに進む事が出来た。
そして五階。階段を上がってすぐに壁があり、大きく厚みのありそうな扉があった。魔族がいるかもしれないと聞いているので、打ち合わせをする。
「入る前にリリアは皆に防御の補助魔法をかけて。中へ入ったら防御と回復に徹して、余裕があるようだったらその場に応じて速さや攻撃力を上げて」
「はい」
「この補助魔法はどれくらい持つんだ?」
「一時間ほどです……あの、ケイさんはどうしますか?」
リリアが一般人であるケイを巻き込むのか聞いた。ケイが戦うのをまだ見ていないし、通常の魔物ならともかく相手は魔族だ。
ケイは心外だと反論した。
「ここまで付いてきたのに置いてくの?すっごいお宝があるかもしれないのに」
「参加してもらおう。ケイの素早さならかく乱できるかもしれない」
セオドールはケイを擁護した。後衛はリリアとフィンレイがいるが、前衛が自分と勇者だけでは心もとない。冒険者を名乗っているのだから危険は承知の上だろうと判断する。
フィンレイは首を振った。
「僕は反対。勇者とリリアで手一杯なのにこれ以上面倒みられない。リリアの意見は?
「天空神アイルの御心のままに。塔で会ったのも何か意味があるはずです」
「案内役って言う意味ならもう終えたけれどね」
「用済みになったって事?ひどい」
ケイはフィンレイの言い草に文句を言った。けれども全く怯まないフィンレイは、正論を言う前に一言礼を述べる。
「感謝しているよ。けれどこの先にいるのは魔族だ。魔族に対して少しでも同情している心があるのなら扉の外で待っていた方が良い」
「協力してくれた民間人を、もしも魔族に操られてしまったら殺さなくてはならない、か。そうなると俺も反対だな」
手のひらを返したセオドールをケイがきっと睨みつける。
意見が出そろったところで勇者がとてとてと進み出てにゃあにゃあと何かを訴えかけている。
「連れて行った方が良い、ですか」
リリアが訪ねると勇者はこくんと頷いた。理由までは流石に聞き取れないが、勇者には勇者なりの考えがあるようだ。セオドールとフィンレイは顔を見合わせながら、肩をすくめた。
「勇者が言うなら」
「仮にも天空神に選ばれた者だもんね」
「やった、有難う勇者様っ!」
セオドールが両手で扉を前に押し出す形で開いた傍から、ケイがひょいっと覗き込む。
「だあれもいないよ?安全確認した方が良い?」
「いや、魔族がいるかもしれないから皆で入ろう」
階段を上ってすぐの場所に壁が在る為、一階よりは狭いがそれでもだだっ広い空間が開いていた。
部屋の中心部には祈りを捧げるのであろう、真っ黒の巨大な宝玉が台座に鎮座していた。
「師匠が言うにはここで魔族と戦闘になって、その後聖女が祈りを捧げるって言っていたんだけど……」
珍しくフィンレイが自信なさそうな声を出す。念のために皆でぞろぞろと部屋の中を一周するが、魔族の影はどこにも見当たらなかった。ケイも隠し扉などを目を凝らして探す。
部屋に入るまでの緊張感がすっかり薄れた頃。
「でっかいお宝だけどこの大きさだと流石に持てないや」
「持って行ったら多分国が滅びるぞ、止めておけ」
宝玉を名残惜しそうに擦るケイにセオドールが笑った。フィンレイがリリアを促す。
「リリア、祈りを」
「はい。天空神アイルに仕えし聖女リリアが願う。不浄なる物への力を断ち、この地に安寧をもたらし給え」
リリアが祈りの文言を唱え終った途端、まばゆいばかりの光が宝玉に灯された。光は徐々に収まり、黒から空色へと色が変わっている。
「わあ、きれい」
「まずは一つ目、だな」
「でも本当にいいのかな。敵が全く出て来なかったことと言い、異変が起きてるって報告した方が良いかもしれない」
フィンレイが一つ終えた仕事よりも次を見据えて言った。リリアもいろいろと考えるが、結局神殿には戻れないのだ。神官や聖女が外へ出るのを許されているのは城の一部のみ。国王に会う時に運が良ければあえるかもしれないが、おそらくは神官長だけでノエルとワンダは連れていないだろう。
と言うことで、リリアは思考を放棄した。
「そうですねぇ。勇者様はどう思います?」
どんな時でも勇者を中心に動いているリリアに、セオドールも苦笑しながら茶化した。
「リリア、勇者に聞いたってしゃべれるわけが―――」
「俺は戻るに一票だな。そのまま進んで手遅れになるよりは遠回りになっても確実な方を選ぶ」
勇者が人間の言葉で意見を言った後、静寂がこの最上階を支配した。
リリアが、ケイが、フィンレイが、セオドールが。何よりも言葉を発した勇者本人が驚きのあまりに硬直している。
いち早く復活したリリアが聖女にあるまじき大きな声で叫んだ。
「勇者様が、しゃべったーーーっ」
「あー、あー、あー。テステス。本日は晴天なり。おお、どうやら声だけ戻ったみたいだ」
「言葉が分かっているようだからただの猫じゃないと思っていたが、本当に只の猫ではなかったんだな」
「声が……可愛くない。がっかり」
それなりに良い声をしているのだが、成人男性の声で話す可愛い猫にケイは落ち込んだ。
リリアははっとしてフィンレイとセオドールの様子を確認する。忌々しげな表情を二人はしておらず、ただただ驚愕しているだけ。何かを隠しているようにも見えなかった。
―――二人は、魔王とは無関係なのでしょうか?
リリアはただ、首をひねるばかりだった。
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