第7話 東の塔 内部

 リリアは祈りを捧げ、もう一度入口を開く。今度は皆しゃべらずそそくさと入り、外に誰かが取り残される事もなかった。

 塔の中は暗く、入り口が開いて居る為に視界が利いているが、閉じてしまえば僅かな先も見えないのは明白だ。

 ケイが率先して荷物を探る。


「ちょっと待ってて、カンテラを付けるね……ってさっき下りた窓のところへ置いてきちゃったんだった」

「フィンレイかリリアのどちらかに灯してもらうから大丈夫だ」

「僕やだよ、めんどくさい。リリア」

「はい」


 短い呪文を唱えてリリアが手のひらを上へ向けると、煌々と灯る光の球が出現した。光の球はすっと手のひらから離れ、少し高いところで辺りを照らす。ケイと勇者は目を丸くしてその光を見上げた。


「ほえー、便利だね」

「にゃーぉう」

「魔力が切れたら真っ暗だけどね。大して消費しないから大丈夫だとは思うけど」


 言いながらフィンレイがリリアを見ると、リリアは力強く頷いた。


「一日中ずっと点けっぱなしで、様々な防御魔術や治癒魔術を使う訓練もしてました。大丈夫です」

「リリアは魔力の総量が多いの?」

「いえ、扱う魔術の精度が低いので。他の聖女候補は魔力切れで倒れてましたよ」


 えっへんと胸を張るリリアをじとっとした目で見るフィンレイ。


「それって威張れることじゃないよね?」


 勇者も呆れたように「にゃあ」と鳴く。セオドールは魔術の話になると付いていけないので、黙って辺りを警戒していた。だが、視界を遮るものがほとんどないこの場所では全くの無意味だった。


 塔の一階部分は大きな広間になっている。高い天井を支える柱と隅の方に階段がある以外は、外壁まで壁の類が一切ない。外側の壁まで照らす光の球の下に、モンスターどころか動く物は見当たらなかった。


「一階はなーんにも無いよ。二階は迷路みたいになっていて三階と四階はそれに加えて仕掛けがあるんだ。五階以上は入れなくてまだ行ったことが無い」

「勝手知ったる何とやら、だな。でも事前情報があるのは助かる。有り難う」


 セオドールが貴族の令嬢に対して使う騎士スマイルを無意識に向けるが、ケイはきょとんとした。


「勝手?知ったるってどういう意味?」

「自分の家でもないのに良く知ってるって皮肉だよ。さっさと行くよ」


 また話を始める一行を、フィンレイが急かした。




 一階は辺りを探索することもなく素通りして階段を上がる。上がった先にはケイの置き忘れたカンテラが置いてあり、外壁には採光の為に大きな窓が開いていた。リリアの腰よりも高い位置に有り、ガラスなどは嵌め込まれていない。

 ケイがカンテラを拾い上げて折りたたむ間に、セオドールが窓から下を見る。


「あったあった。でも必要ないからしまっておこうっと」

「ここからこの蔓を伝って降りたのか。結構な高さがあるな」

「入ってくる時もだよ」


 リリアも窓から覗き込む。二階とは言え地面までには距離があり、聖女以外だったらこのような場所から入る機会もあるかもしれない。自分が聖女で良かったと心の底から思った。


 一行は二階の迷路部分へと足を踏み入れる。

 通路は細く人一人が通れるほどの幅で、両側を天井まである壁が隔てていた。奥の方には突き当りの壁が見えているが、壁が切れて曲がり角になっている部分がその手前に数か所ある。本来なら全ての分岐を見て回るのがダンジョン攻略の手順だが―――


「じゃ、最短の道順を案内するよー」

「待って下さい、マッピングを…」

「大丈夫大丈夫、ケイ様に任せなさい。って言うか仕掛けのある上の階と違って歩くだけでも結構時間かかるんだ。通路の幅を狭めて距離を稼いでるって感じ?早く歩かないと日が暮れるよ」


 先頭をケイ、次にフィンレイ、リリア、勇者と続き、しんがりをセオドールが務めた。いくつも分岐しているが壁は外壁と同じ石造りで、似たような景色が続く。

 最初こそ慎重に進んでいたリリア達だが、なかなか到達できない階段に気が緩み始めた。一階の広さを思い浮べても距離がありすぎる。


「にゃっっ!」

「悪い、勇者」


 後ろを警戒するあまり、前方には油断しながら歩いていた最後尾のセオドールが勇者の尻尾を踏んだ。悲鳴を聞いてリリアも足を止め、セオドールを睨みつける。


「危ないですね。勇者様、こちらへ」


 リリアは勇者を抱き上げた。塔に入る前から何も役に立てていないセオドールは、少し落ち込んだ。せめて皆の気が紛れるようにとおしゃべりを始める。


「そう言えばケイはどうしてこの塔の中に居たんだ?」

「そんなの、盗賊なんだからお宝を狙って入ったに決まっているでしょ。当てが外れたけど」


 馬鹿にしたような声を返すケイにめげず、セオドールは会話を続けた。


「一人でか?」

「うん。逃げ足だけは早いんだよ。あ、次は右行くよー」

「勇気がありますね。わたくし一人ではこの塔の中に入る気すら起きないでしょうから」


 リリアが尊敬のまなざしを先頭にいるケイに向ける。間に入っているフィンレイは後ろからの注視に居心地の悪さを感じながら自分の意見を述べた。


「やっぱりおかしくない?ここまでモンスターに遭遇しないのは、偶然にしては出来過ぎてるよ」

「アディントン様は何かおっしゃっていたか?」

「師匠は塔攻略も修行の内だって、くわしくは話してくれなかったけれどモンスターが出ないなんて言わなかった。最上階に行けば魔族がいるみたいだけど、それも具体的には何にも。弟子だからって贔屓はしたくないってさ」


 モンスターがいなければ戦闘が行われず、塔攻略の危険度は下がる。だが勇者たちの戦闘能力を上げる事も出来ない。修行の内と言われても、塔内に入ってから今までただ歩いているだけである。寧ろこの塔に入るまでの間に何度か行った戦闘の方が有意義だった。


 魔術関係には疎いセオドールが飽く迄一つの意見だと強調して言った。


「もしかして勇者を召喚するのが早すぎた、とか?」

「それは神殿の管轄だね。僕は知らない。リリアはどのタイミングで儀式が行われるか知ってる?」

「いえ、それは神官長しか知り得ません。ただ、百年の間が空いたり今回の様に二十年程しか経っていなかったりします。塔に魔物が現れるのが条件ならばそうかもしれませんが……」


 勇者召喚から魔王討伐までの塔の様子は経験者に聞くことは出来るが、普段の塔の様子となると尋ねる当てもない。今の状態が正常なのか異常なのか、知る術を持たなかった。


「どちらにしろやっぱり塔の管理は必要ですよ。戻ったら神官長に上申を…いえ、ダメですね。わたくしは神殿には戻れないのでした」

「神官長でなくても国王で大丈夫だろう。塔を全て廻ったら城へ戻らなければならないから、その時に言ってみれば良い」

「そうですね。まずはこの塔の攻略です」


 日差しの届かない塔の中では時間を知る事も出来ず、感覚を持たないままに歩く。口数も段々と減って行き、やがて黙々と進むようになっていた。上階へと上がる階段にたどり着いた時は、体力だけではなく精神的にも疲労を感じていた。


 階段を登りきったところで二階と同じように窓が開いている。こちらは東側を向いていて、傾き始めた太陽は見えない。


「勇者様、見て下さい。あれがこの大陸の端っこです」


 リリアは勇者を抱き上げて窓の外を見せる。塔の東側には地面が少し続いた後、突然途切れていた。その先は海ではなく空が、地平線や水平線に遮られることなく続く。

 勇者はその迫力に「にゃぁぁぁ」とため息交じりに鳴いた。


「この大陸は、大昔に下の世界から切り離されて浮いている状態なのだそうです」

「だから、この大陸に街や村はいくつかあるんだが、国はライトナム王国一つしかない」

「そして、魔王はこの大陸を下の世界へと落とそうとする。どういうわけか皆、同じ行動をとるんだって師匠が言ってた」


 知識としては備えていたものの、国土の端を初めて見る三人は窓をこぞって覗き込む。勇者への説明に反応したのは、後ろで聞いていたケイだった。


「へー。あたし、初めて知ったよ。だから魔族は人間にとって敵なんだね。何で王様や騎士は目の敵にするのかなーって思ってた。協力し合えばいいのにって」


 聞く者が聞けば危険思想と判断されない意見を、ケイは事も無げに言う。セオドールは驚いて窓から顔を離した。


「民には伝わっていないのか」

「うん、だあれもそんな事知らないよ。あたしは塔に上る前に大陸の端っこを見たから宙に浮いているんだなってのを知っているけれど、街に住んでいる人はフツー知らないでしょ。生きていくのにカンケーないし」

「どなたか、魔族のお知り合いでもいるのですか」


 リリアは出来る限り優しく聞いた。セオドールもフィンレイも、顔に動揺を出さぬ様に努めている。


「ううん、会ったこともないよ。だから、どれだけ怖いのか分からない」


 ケイは肩を竦めながら答え、リリアたちはほっとした。魔族に、種族を分け隔てなく扱う博愛精神を利用された人間は過去に何人もいる。

 ケイがもしも悪意を持たずに魔族の味方に付くのなら悲しい結末は避けられない。知り合ったばかりの少女が道を誤るのを、リリアたちは黙って見ているつもりは無かった。


 けれどそれも杞憂に終わり、リリアはもう一度窓の外を見る。もちろん勇者を抱えたまま。

 大気を感じられる場所は即ち天空神の力に満ちている所だ。頬を撫でる風に目を細めながら暫く窓辺にたたずんでいた。


「気持ちいいですね、勇者様」

「にゃー。にゃっ」

「あら本当、鳥かしら?それにしては大きいような」


 セオドールはそのままリリアの隣に座りこむ。ケイも壁に寄りかかり、自然と休憩の様を呈していった。


 フィンレイはリリアと一緒になって窓を覗き込んでいたが、隣で空色の髪を靡かせるリリアがそのまま大気に溶け込んでしまいそうな、幻想的な錯覚に陥る。

 何度か目を瞬いて見直すと、その光景は決して錯覚ではなかった。リリアはつま先で立ち、窓から身を乗り出し過ぎている。

 空色の髪がそのまま視界から消えそうになり、フィンレイは思わず「リリア!」と叫んで手を伸ばした。


「え、きゃああああぁぁぁぁっっっ」


 辛うじて腕を掴むも非力なフィンレイでは落下を止められず、リリアのつま先は離れてしまう。上半身が既に窓の外に出始め、フィンレイも引きずり込まれそうになる瞬間に反対側からセオドールとケイが引き戻した。

 リリアは足が床に着くと、そのままへたり込む。腕には目をカッと見開いたままの勇者が、悲鳴も上げられずに硬直していた。


「馬鹿っ!あれだけ乗り出したら落ちるって子供でも分かるだろっっ!」


 あらん限りの大声を出してフィンレイが怒鳴りつけるが、リリアは返事が出来ないほど震えていた。堪らず、フィンレイは壁にもたれ掛かる。

 セオドールはリリアががっちりとホールドしている勇者をゆっくりと取り上げ、ケイに託した。勇者の背中は何度も優しく撫でられて硬直が解されていく。


 リリアの顔を覗き込みながら、優しく問いかけるセオドール。


「そんなに面白いものが見えたのか」

「や、えっと、あれ?すみません」

「何だ、目を開けながら寝ぼけてたのか?でもそうだな。そろそろ休憩するか」


 セオドールが笑いながら茶化す。ケイがツッコミを入れた。


「って、十分休憩してるじゃん!ちょっと遅いけど、窓が空いていて気持ちいいからここでお昼にしとく?」

「賛成。思ったよりも疲れてるみたいだ。魔術使って浮かせることなんか思いっきり吹っ飛んでた」


 フィンレイは自分の荷物から水と、ロージアンで買ったクッキーの様な携帯型の食料を取り出して齧る。


 ケイの昼食はサンドイッチだ。元々泊まりでここに居るつもりは無く、塔の中を一日歩く廻ることはあっても日が暮れる前に帰ってしまうのだと言う。


 野菜や肉をたっぷりと挟んだ美味しそうなサンドイッチを横目に見ながら、セオドールも携帯食料をつまむ。


 ケイはパンの間に挟んだ塩のみの味付けの鶏肉を床に落として勇者に分け与える。はむはむとお行儀よく食べる勇者を見ながらリリアも魚味の携帯食料を齧る。セオドールとフィンレイが驚いているのに全く気付かず、一つ、もう一つと食べていった。


「ごめんなさい、勇者様。怖い思いをさせてしまいました」


 小さく割って手の平に乗せた食料を勇者の口元に寄せる。勇者はリリアを見上げ「なぅ」と短く鳴いた後、リリアの手から直接食べた。直後に勇者はむせ返り、差し出された二口めをふいっとそっぽを向いて拒絶した。

 

「勇者様どうしました?魚味も美味しいですよ?」

「味覚もぽんこつ……」


 フィンレイはぽつりとつぶやいて、自分の野菜味の携帯食料を憐れな勇者に分けてやった。

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